オペラ解説:「アンドレア・シェニエ」と「トスカ」 (4) キャラクター:バリトン編

ジェラードとスカルピア;人間味ある男と残虐な変質者

ジェラールの場合

 

ジェラールはコワニー家の召使いでした。 恐らく幼い頃より賢い子供だったのでしょう。コワニー伯爵夫人は彼が本を読んだためにばかばかしい考え(革命思想)を持ったのだと考えていますが、彼は衰えた父が、そして貧しい人々が軽んじられるのを怒り、召使いのお仕着せを脱ぎ捨てて館から立ち去り革命に身を投じるのです。

 

しかしそれだけが彼を革命に走らせた原因ではありません。 3幕で彼はマッダレーナに語ります。 幼い頃より彼女と一緒に遊び彼女にあこがれていたこと、しかし身分の違い故に自分の恋心を打ち明けられず悔しい思いをしたことを・・・。 このことが彼を革命に走らせた第1の理由なのかも知れません。

 

第2幕は革命が始まってから5年たち、既にジャコバン派が政府を牛耳る恐怖政治の時代になっています。 政府の高官となった彼はマッダレーナを探し求め、とうとう彼女を探し出しますが、その時シェニエと剣を交えます。

 

しかし、シェニエの剣に傷ついた彼はシェニエに「君は危険人物としてリストに載ったから逃げろ」「マッダレーナを守ってくれ」と言うのです。そして群衆に彼を傷つけた犯人の名前を言いません。

 

どうしてこの様な行動をとるのでしょう?シェニエは恋敵。しかも彼に傷つけられているのです。その答えは3幕で明らかになります。ジェラールは捕らえたシェニエに対する告発状を書きながら有名なアリア 「国を裏切る者」 で彼の複雑な心の内を歌います。

 

国を裏切る者?!・・・・・・・・・

昔は幸福だった。憎悪と復讐の狭間にあっても純粋で無邪気で強かったのだ

 

しかし俺は未だ召使いのままだ!ご主人様が入れ替わっただけなのだ。

俺は凶暴な情熱につき従う従順な召使いだ! いや、もっと悪い!人を殺し震えている。 殺しながら泣いている!

 

俺は革命の子、・・・・・・俺の行く道はなんと栄光に輝いていたことか!

しかし、俺はいま神聖なる叫びを拒否する!俺は憎悪する。 誰が俺をこんな風に代えてしまったのか?

 

皮肉にもそれは絶望的な愛だ!俺は肉欲に耽る男だ!

新しいご主人様、それは情欲だ!全てが嘘だ!真実は情欲だけなのだ!

 

ジェリコ・ルチッチ 第3幕「国を裏切る者」” Nemico della patria”

歌詞対訳:「国を裏切る者」

 

Nemico della Patria?

祖国を裏切る者?

 

È vecchia fiaba che beatamente 

古いおとぎ話だが

 

ancor la beve il popolo. 

大衆には好まれる。

 

Nato a Costantinopoli? Straniero! 

コンスタンティノープル生まれ?外人だ!

 

Studiò a Saint Cyr? Soldato! 

サンシールで学ぶ?兵士だな!

 

Traditore! Di Dumouriez un complice! 

裏切り者!デュムールエの共犯者だ!

 

E poeta? Sovvertitor di cuori 

詩人だと?人心と

 

e di costumi! 

風俗を堕落させる奴!

 

Un dì m'era di gioia 

あの頃は幸せだった。

 

passar fra gli odi e le vendette, 

憎悪と復讐の狭間にあっても

 

puro, innocente e forte. 

純粋で無邪気で強かった。

 

Gigante mi credea… 

自分を偉大だと信じていた・・・

 

Son sempre un servo! 

俺はいつも召使いだ!

 

Ho mutato padrone. 

ご主人様が入れ替わっただけなのだ。

 

Un servo obbediente di violenta passione! 

俺は凶暴な情熱に付き従う従順な召使いだ!

 

Ah, peggio! Uccido e tremo, 

いや、もっと悪い!人を殺し震えている、

 

e mentre uccido io piango! 

殺しながら泣いている!

 

Io della Redentrice figlio, 

俺は革命の子、

 

pel primo ho udito il grido suo 

革命の最初の叫びを聞き、

 

pel mondo ed ho al suo il mio grido unito…

俺の叫びはその叫びと一体になった・・・

 

Or smarrita ho la fede nel sognato destino? 

夢に見た宿命の中にありながら俺は信念を失った?

 

 

Com'era irradiato di gloria il mio cammino! 

俺の来た道は何と栄光に輝いていたことだろう!

 

La coscienza nei cuor ridestar delle genti, 

人々の自覚を呼び覚まし、

 

raccogliere le lagrime dei vinti e sofferenti, 

打ち負かされ傷付いた人々の涙を集めたのだ

 

fare del mondo un Pantheon, 

世をパンテオンとし

 

gli uomini in dii mutare 

人々を神へと変えるのだ、

 

e in un sol bacio, e in un sol bacio e abbraccio 

たった一回のキス、たった一回のキスと抱擁の中で

 

tutte le genti amor! 

全ての人々を愛するのだ!

 

e in un sol bacio e abbraccio 

たった一回のキスと抱擁の中で

 

tutte le genti amor!

全ての人々を愛するのだ!

 

Or io rinnego il santo grido! 

しかし、俺はいま聖なる叫びを拒否する!

 

Io d'odio ho colmo il core, 

おれは憎悪する、

 

e chi così m'ha reso,

誰が俺をこんな風に変えてしまったのか、

 

fiera ironia è l'amor! 

皮肉にもそれは愛だ!

 

Sono un voluttuoso! 

俺は肉欲に耽る男だ!

 

Ecco il novo padrone: il Senso! 

新しいご主人様、それは情念だ!

 

Bugia tutto! 

全てが嘘だ!

 

Sol vero la passione!  

真実は情欲だけなのだ!


 

自由・平等の精神を信じ革命に身を投じたが現在はただの殺人者に成り下がった自分を自嘲的に歌っています。

 

荒れ狂う革命の中心に居ながら、彼は権力の亡者になりませんでした。 むしろ人間的に成長し、密偵を使ってマッダレーナをおびき出す自分の心の卑しさを見据えています。

 

予想通りマッダレーナはやってきました。そして彼に革命後の悲惨な身の上を語り、自分の身を引き替えにシェニエの助命を願います。 (「亡くなった母が」)

 

初めは暴力的に彼女を奪おうとした彼でしたが、彼女の話に深く心を打たれ、

 

あなたには負けました! 私の命を賭けて彼を救いましょう!

 

と答えます。そして革命裁判所に於いて、「自分が偽の告発書を書いた」、と群衆の前で訴えシェニエを助けようとします。 が、結局シェニエはギロチン行きと決まります。 恐怖政治のまっただ中にあってこの発言はジェラードにとって危険きわまりない。  彼自身が反逆者として逆告発されるかも知れません。 それはジェラールもよくわかった上での勇気ある発言なのです。

 

そのような危険を冒したばかりでなく、シェニエと共に死ぬと覚悟を決めた愛するマッダレーナの希望を叶え、更に最後の最後まで二人を助けるために奔走するのです。 彼は誠に高潔な人間になっています。

 

ですが、私には彼の未来が明るいとはとても思えません。 考えてみて下さい。 第2幕は1794年6月と台本にかいてありますので、 第4幕は恐らくその年の7月頃でしょう。 

 

歴史上実在したシェニエは1794年7月25日、ギロチンにかけられています。 そして実際の歴史はシェニエの死後2日目に急転します。 1974年7月27日、テルミドールのクーデターと呼ばれる反乱が起こり、ジャコバン派は一斉に捕らえられ、7月28日から3日の間にロベスピエールを始めとして100人以上が処刑されます。

テルミドールのクーデター;ロベスピエールの処刑

 

荷台の上で茶色の上着を着て顎をハンカチで抑えている人物がロベスピエール(クリックで拡大します)

 

Execution robespierre, saint just....jpg

 

ジャコバン派の高官だったジェラールも恐らくこのクーデターで捕らわれたのではないでしょうか。 そしてシェニエとマッダレーナの死から一週間もたたないうちに、彼らの後を追うが如く断頭台の露と消えたのではないかと私は想像しています。(2018.3.15 wrote)


スカルピアの場合

 

オペラ「トスカ」はスカルピアを表現する3小節の短く威圧的な和音で始まります。スカルピア男爵を語るのに長い文章は必要ありません。 ローマ中を恐怖で震え上がらせている権力者。 サディスティックな好色家。 拷問を楽しみ、己が権力に屈した女の瞳に宿る悲しみや苦しみを見て快感に耽る人間とも思えぬ人間。 冷血で狡猾、残虐そのもの。 

 

第一幕、アンジェロッティを追って教会に来た彼はすぐさま大体の事情を察してしまいます。 そして 「逃亡犯アンジェロッティを見つけだし、カヴァラドッシを陥れ、トスカを我が物とする」 戦略をすぐに思いつきます。 彼はつぶやきます。

 

嫉妬心をあおり立てるためにイヤーゴはハンカチを使った・・・我が輩は扇を使うとしよう!・・・

 

哀れなトスカはスカルピアの思惑通りに動いてしまいます。 第2幕、スカルピアはアンジェロッティの居所を知り、カヴァラドッシに死刑を宣告します。 カヴァラドッシの命を助ける気はサラサラないにもかかわらず嘘八百と脅しでトスカを我が物にしようとします。 スカルピアの計画は完璧に思えました。 彼は勝利の叫びをあげます。

 

Tosca, finalmente mia!...  トスカ、おまえはとうとう我がものだ!

 

しかし追い詰められたネズミはネコ(じゃなくて狼か虎かもしれない)に襲いかかります。

 

Questo è il bacio di Tosca!  これがトスカのキスよ!

 

トスカを甘く見ていたスカルピアは彼女にナイフを突き立てられます。 ローマ中から恐れられていたスカルピアはか弱い女の手にかかってあえなく殺されたのです。

 

スカルピアはどこから見ても嫌悪すべき男で人間的な「善」の心をまったく持ち合わせません。 しかしプッチーニは彼の為に 「テ・デウム」 を用意しました。  第1幕の終わり、教会の中、 鐘とオルガンが鳴り響く荘厳なミサの中でスカルピアは己の欲望を高らかに歌い上げます。 

 

私には2つの望みがある。 一人は絞首台に、一人は我が腕の中に・・・トスカ、おまえは私に神を忘れさせる!

 

第1幕幕切れ「テ・デウム」。 圧倒的な迫力の演技と歌。 ブリン・ターフェル。

SCARPIA 

Tre sbirri... Una carrozza... 

部下3人と・・・馬車一台・・・・

 

Presto!... seguila

急げ!・・・(彼女を)追え 

 

dovunque vada!... non visto!... provvedi!

どこに向かうかを!・・・・見つかるな!・・・注意しろ!

 

SPOLETTA 

Sta bene! Il convegno?

わかりました!落ち合う場所は?

 

SCARPIA 

Palazzo Farnese! 

ファルネーゼ宮だ!

 

Va, Tosca! Nel tuo cuor s'annida Scarpia!... 

行け、トスカ!スカルピアはお前の心に巣くったぞ!・・・

 

Va, Tosca! ÈScarpia che scioglie a volo 

行け、トスカ!スカルピアは

 

il falco della tua gelosia. 

お前の嫉妬というハヤブサを解き放ち飛び立たせた・・・

 

Quanta promessa nel tuo pronto sospetto! 

お前の疑惑は何と期待できることだろう!

 

Nel tuo cuor s'annida Scarpia!...

スカルピアはお前の心に巣くったのだ!・・・

 

Va, Tosca! 

行け、トスカ

 

コーラス

Adjutorum nostrum in nomine Domini 

Qui fecit coelum et terram 

Sit nomen Domini benedictum 

Et hoc nunc et usque in saeculum.

 

SCARPIA 

A doppia mira 

俺は一石二鳥をねらう

 

tendo il voler, néil capo del ribelle 

反逆者の首領は

 

èla piùpreziosa. Ah di quegli occhi 

最も価値がある。 そしてああ、あの眼

 

vittoriosi veder la fiamma 

横柄なあの眼に燃える炎が消えゆき

 

illanguidir con spasimo d'amor, 

激情が萎えてゆくのを見るのだ

 

fra le mie braccia... 

俺の腕の中で

 

illanguidir d'amor, 

愛が萎えてゆく、

 

L'uno al capestro, 

一人は絞首台へ、

 

l'altra fra le mie braccia... 

もう一人は俺の腕の中へ・・・・

 

コーラス

Te Deum laudamus: 

Te Dominum confitemur!

 

SCARPIA 

Tosca, mi fai dimenticare Iddio! 

トスカ、お前は俺に神を忘れさせる!

 

コーラス、SCARPIA

Te aeternum Patrem 

omnis terra veneratur!

 

 


 

極悪人が歌うのにもかかわらず深く印象に残る何とも素晴らしいアリアです。 プッチーニは善と悪が共存する人の心の両面にスポットライトをあて、その両面ともに深い共感をもってこのアリアを書き上げたのかな、と思います。

 

スカルピアを演じる歌手は舞台の上で圧倒的な存在感が必要です。 また鳴り響くオーケストラを突き抜ける声量で 「テ・デウム」 を歌い上げなくてはなりませんし、更に演技がうまくないとこのオペラはまったく面白くなくなってしまう。 と言うことで、スカルピアを満足に演じられるバリトンはそうそう沢山居ないのです。(2018.3.15 wrote)

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