ヨナス・カウフマンのプロフィル/生い立ち

プロフィル

名歌手、名優

 

ヨナス・カウフマンはドイツが産んだスーパースターテノールです。テノールと言えば、パバロッティの突き抜けてくるような明るい声を思い起こされる方も多いでしょう。

 

しかしヨナス・カウフマンの声はちょっと違います。彼の声はバリトンのようで太く暗いのです。その声は中音域では豊かに力強く、その力強さを保ったまま高音域に突入し輝かしい最高音を響かせます。

 

一方、技術的に難しい高音のピアニッシモもため息が出るくらい美しい。音の強弱、緩急やフレージングを自由自在にコントロールして歌に豊かな表情を付け、演じるキャラクターの気持ちを表現するのがめっぽう上手な人です。

 

また、彼はオペラ界随一の名優でもあります。とにかく、うまい!キャラクターになりきって歌われる彼の歌と迫真の演技は観客を興奮の渦に巻き込みます。オペラキャラクターを解釈して歌と演技で表現する能力に関して、彼は現代最高の歌手と考えられています。

 

すでに額やひげに白い物が(たくさん)混じってはいますが、彼の暗めで端整な顔立ちは悲劇的な主人公にぴったりでしょう。

 

追記 2021.8.11

2021年に発行された"Opera Now" 編集による "The Greatest Tenors"で、彼はすでにCaruso, Gigli, Corelli, Vickers, Pavarotti, Domingo などの偉大なレジェンド歌手と並んで紹介されています。その理由は「我々のセレクションの中では最も若いが、すでにテノールのパンテオン入りは確約されているように見える」(P.5) からだそうで、彼を次のように評しています。

 

「最高レベルの歌う俳優として彼にかなう者はいない。彼は現代におけるテノールの概念を再定義した。賢く多才で音色や感情そして演劇的な可能性などの見地から声の限界を探求している。」(P.62) 

 

 広いレパートリー:

 

ヨナス・カウフマンのもう一つの特徴はとにかく、レパートリーが広いことです。イタリアオペラ、ドイツオペラ、フランスオペラをずっと満遍なく歌っています。以下の表は彼が歌ったレパートリーを歌った順番に並べてあります。コンサート形式やCD収録も含みます。演目の役を初めて歌った年で記載してあります。まだ抜けているところも有り完全ではありませんが参考までに。(2023.12.18 現在)


また、ヨナス・カウフマンは素晴らしいリート歌手でもあります。学生時代からお世話になっているヘルムート・ドイチュさんのピアノ伴奏によるシュトラウス歌曲シューベルトの歌曲(美しき水車小屋の娘冬の旅)は高い評価を受けています。最近はディアナ・ダムラウとともにヴォルフ、ブラームスなどの歌曲を歌って人気を博しています。

 

更に彼はマルチリンガルなのです。ドイツ語はもちろんですが、フランス語、イタリア語、更に英語も流ちょうにしゃべることが出来ます。

 

この様に多芸多才なヨナス・カウフマン、いったいどの様な生い立ちだったのでしょうか。


生い立ち

子供の頃

 

ヨナス・カウフマンは1969年7月ミュンヘンで生まれています。父親は保険会社母親は幼稚園に勤めていました。

 

彼の一家はクラッシック音楽好きでした。彼の祖父は自分でピアノを伴奏しながらワーグナーの歌劇を彼によく歌って聴かせていました。

 

彼が子供の頃生まれて始めて見たオペラは「蝶々夫人」。幼い彼はオペラの美しさに引き込まれとても感動したのですが、カーテンコールで自刃したはずの蝶々さんが出てきたのでびっくりします。蝶々さんは本当に死んじゃった!と信じ込んでいたからです。

 

子供の彼にとって蝶々さんの死はリアルだったのです。オペラを上演する側になった今でも、オペラに出てくる人物や舞台の上で演じられる喜怒哀楽の感情は彼にとって真にリアルなのです。

 

学生時代

 

高校を卒業した後、彼はミュンヘン大学で数学を学び始めます。プロ歌手は非常にリスキーな職業なのでもっと堅実な職業を選ぼうと考えたのでしょう。

 

ところが実際に勉強を始めてみて数学よりも音楽を愛していることに気づきます。そこで一大決心をし、数学を辞め、1989年ドイツ国立ミュンヘン音楽・演劇大学に入学します。

 

最初の歌劇場専任時代

 

 在学中も歌劇場で小さな役を歌っていたヨナス・カウフマン、結局ザールブリュッケンの州立歌劇場と専属契約を結びます。この頃彼は軽くて甘く明るい声で歌っています。

 

ザールブリュッケンでの専属歌手になってから彼は声がしわがれる、というトラブルに悩まされます。ひどいときは舞台で上演中に声が出なくなってしまうという、プロ歌手にとって悪夢とも言うべき経験をしたようです。こんな時に救いの手をさしのべてくれたのがボーカルコーチのマイケル・ローズ氏でした。

 

ローズ氏は、カウフマンが「皆に好まれる軽くて明るいテノール声を無理に作っている」ことに気づきました。そして彼が元々持つ声で自然に歌えるよう指導してくれました。

 

忍耐強く様々な努力をした結果 、彼は自然で楽な歌い方を習得することが出来、声のトラブルは消失しました。

 

新たに獲得したその歌い方による彼本来の声は以前と比べて大きく、暗く太く引き締まっています。

 

彼はもともと非常に歌のうまいテノールです。声のトラブルがなくなり楽に歌えるようになってから、彼はその素晴らしい歌唱と説得力のある演技を一体化させていきます。

 

ところでこの様な声のトラブルを経験したせいでしょうか、彼は声のコンディションには非常に気を遣っています。

 

彼は昔から「具合が良くないときは、歌わないほうがよい」というスタンスを堅持しており (Domingo und Kaufmann: Wir sind Zirkusartisten ohne Netz Profil, 7.9.2013)、そのスタンスを批判する方々もいらっしゃいます。

 

しかし、キャンセルが多いという噂にもかかわらず彼の出演するオペラのチケットは争奪戦、完売、というのが多く人気の絶大さが見て取れます。

 

追記:声のトラブルを克服するところから有名になる前までをもう少し詳しく書いた若きカウフマンが歩んだ道」(おたく記事)という記事を掲載してあります。彼は全くのところシンデレラボーイではありません。この記事には、カウフマンが大きな挫折を乗り越え、地道に、階段の一番下から一歩一歩登って行った過程が書いてあります。興味のある方は御覧ください。(2023.4.9)

 

チューリッヒ歌劇場専属時代

 

ザールブリュッケンでの2年間が過ぎ彼は契約を更新せずフリーになります(1996)。

 

一時期シュトゥットガルトでよく歌っていましたが1999年くらいからザルツブルグ、ブリュッセル、シカゴなど国際的にデビューしてゆきます。そして2001年にチューリッヒ歌劇場の専属になります。

 

この劇場で彼は多くのドイツ、イタリア、フランスオペラを歌い、すでに30代半ばで非常に広いレパートリーを持つに至ります。

 

チューリッヒ歌劇場では専属とはいえ、

 

ブリュッセル、モネ劇場でのファウストの劫罰(ファウスト)(2002)

パリ、バスチーユでのオテロ(カッシオ)(2004)

ロンドン、ロイヤルオペラハウスでのつばめ(ルッジェロ)(2004)等、海外での活躍も増えてきます。 

 

またこの時期シューベルト、シューマン、シュトラウス等の歌曲を歌うコンサート歌手としても活動しています。

 

2002年を過ぎた頃からはチューリッヒ歌劇場の立役者、超人気者となってきましたが、 世界的にはさほど知られていませんでした。

 

世界のテノールへ

 

彼の最大の転機は2006年初めアンジェラ・ゲオルギューの相手役としてアルフレードを演じたMET「椿姫」の公演です。彼の歌と演技、そしてルックスの良さが大評判をとり、あっという間に世界の一流劇場から依頼が殺到します。

 

更に同年の暮れロイヤルオペラハウスのカルメンで,彼はドン・ホセを (一般的に演じられる)恋におぼれ破滅するマザコン青年ではなく、利己的暴力的な男、自己制御が効かずに自滅してゆくキャラクターとして演じ、その圧倒的な歌と演技で聴衆や批評家達を仰天させます。

2006年ロイヤルオペラハウス、カルメン第2幕 ドン・ホセのアリア「花の歌」

 

それ以降彼は様々な役を演じてきました。彼の際立った特徴は、演ずる人物に新たな側面を見出し、それを観客に極めてわかりやすく伝えることができる点です。また一つの役でも異なる公演ごとに異なる性格付けをして演ずることができるのです。彼がいくつかのオペラハウスで演じてきた性格の異なるドン・ホセはそのよい例だと思います。

 

イタリア語フランス語ドイツ語のディクションが非常によいこともプラスに働いているのではないでしょうか。

 

2006年の公演以降殆ど全ての公演を成功させスターテノールとしての彼の評判が確立していきます。

 

現在

 

とはいえ、彼自身は「僕は一番下の階段から一歩一歩登ってきました。それで良かったと思っています」「階段を1度に沢山は登りませんよ」("The Man Who Found His Voice: Jonas Kaufmann – Romantic Arias and Tosca" Classical Source, 12. May 2008)と、非常に冷静です。

 

しかし私には彼がすごい勢いで階段を上っていったように見えます。さほど有名でなかった時代に積み上げた経験が大いに役に立っているのでしょう。マルチリンガルな言語能力も多様なレパートリーを歌うのに大いに役立っていますね。

 

彼の業績に対しレコード会社や音楽界から様々な賞が贈られています (沢山有るので個々の賞は省略します)。

 

また、歌手の名誉的称号である「バイエルン州宮廷歌手」を授かっており、フランス文化省からは「芸術文化勲章」(2011年、Chevalier、シュヴァリエ)、ドイツからは「ドイツ連邦共和国功労勲章(政治経済文化などの領域で卓越した業績を成した人に与えられる)」も贈られています。

 

追記 1:2017年イタリアのサンタ・チェチリアアカデミアで「名誉会員」に選ばれる。

追記 2:2018年フランス文化賞より「芸術文化勲章 Officier, オフィシエ(将校)を授与される。

追記 3:2018年 Bayerischen Maximiliansorden (科学・芸術におけるバイエルン州最高の名誉)を授与され騎士団のメンバーとなる。

追記 4:2022年 ウイーン歌劇場の宮廷歌手となる。

追記 5:2022年 コレルリ賞 及び "Premio Internazionale Casa Museo Enrico Caruso" を受賞、

追記 6:2022年 バイエルン州よりBAYERISCHEN VERFASSUNGSORDEN (バイエルン州憲法勲章?)を授与される。

追記 7:2024年 フランスよりChevalier de l’Ordre national de la Légion d’honneur (レジオンドヌール勲章、シェバリエ)を授与される。

 

近年の彼はミュンヘンを中心としたヨーロッパ圏で活動していることが多いです。すでに数年先までびっちりと予定が詰まっている彼が日本でオペラの舞台に立つ機会があるかどうかはわかりません。しかし彼の歌唱と演技が作り上げる舞台芸術のすばらしさはDVDやYoutubeでも充分堪能することが出来ます。

 

追記:カウフマンは最近オーストリア市民権を取得 (ドイツ国籍も持っている)。 オーストリアに移り住み、ウイーン歌劇場、ザルツブルクなどでよく歌っています。(2024.1.14)

 

尚、「映像・音楽」の各ページにリンクしてあるYoutubeの中には昔のカウフマンの日常風景などを入れたTVフィルム、CDの録音風景なども入っているものがあります。話される言葉は理解出来なくても楽しめます。

(2016.10.23) 

 

このページは、公表されている数多くのインタビューやオペラ評論家の批評記事、解説、新聞記事等を参考にしてまとめられています。 2016.10.23.