死の都 バイエルン州立歌劇場 2019.12.6 公演


諸方面から賛辞の嵐が吹き止まない「死の都」です。しかも1、6日とカメラが入りDVDになる予定とか。こりゃ素晴らしい公演に違いない、、、。

 

ということだったのですがiltrovatoreはひどい風邪を引き込み、当日は絶不調。自分の面倒をみるのがやっとのゼコゼコ状態だったので、今回の鑑賞記はアバウトです。

 

まずカウフマンの第一声を聞いて直ぐに「こりゃ調子がいい」と感じました。声に力がこもり非常にクリアー。声の焦点がぴったりと決まり、弱音にも強音にも素晴らしい響きが伴う輝かしい歌唱。私が今年聞いた中で (3月の「運命の力」、7月の「オテロ」)一番良かったです。

 

このオペラの主役パウルが歌う声域は異常に高く、作曲者のコルンゴルトは果たしてテノールの限界をしっかりと認識していたのだろうか、と疑問に思うくらいです。実際パウルを歌う(カウフマンではない)テノールさんが絶えきれずに途中をファルセットで歌ってしまうという動画も有るくらいです。

 

彼の暗く太い声であの高音攻めの旋律を歌い切れるのだろうか、という不安は杞憂に終わりました。上手かったですよ。全く無理なく、柔らかく歌いこなしていました。恐ろしいほどの技術です。

 

加えて、その技術の更に上をゆく音楽性が何とも言えない。パウルの激しく動揺する心を表現するに彼以上の適役がいるか?と思ってしまいます。

 

今回の公演を聞く前まで、主人公のパウルは優しくおとなしい性格の引きこもり男と考えていました。しかしカウフマンのパウルは違います。非常にアグレッシブです。

 

その彼の頭に侵入してくるのがマルリス・ペーターゼン演ずるマリエッタです。マリエッタもパウルと同様難役です。相当の高音域を強く張って歌う箇所が多いのですが、決してつぶれることのない美しい声で難しいパートを完璧に歌います。

 

カウフマンとペーターゼンは対等に張り合い、二人の歌勝負は圧巻でした。

 

この2人は歌が上手いばかりではありません。芝居が俳優並みに上手いです。

 

サイモン・ストーンによる演出はなかなか知的で聴衆の想像力を刺激します。第1幕で舞台上にあったパウルの小綺麗な部屋は、彼の心にマリエッタが侵入することにより激しく変形します。

 

例えば、パウルがマリーの遺品をかざってある小部屋に通ずるはずのドアを開けてもそこには壁しかない。彼は混乱します。いったい何がどうなっているのだ? 

 

変形し、乱雑になった部屋の中をパウルはさまよい歩きますが、突然に子供達が出現して彼は翻弄され、へとへとになります。(そうですね、彼の心の中にはマリーとの間の子供を育てたいという果たされない夢もあったに違いないです)。やれやれとベッドに腰を下ろそうとするとベッドの下から別の子供が飛び出します、等々彼の心は安まる間もありません。

 

しかも彼の心が生み出したマリエッタの幻想は、彼をあざ笑い、挑発し、怒った彼は彼女を追いかけ廻します。混乱の極みにあるパウルの心をカウフマンは演技でも存分に表現しますし、ペーターゼンはこれでもか、とばかりに大胆な演技。二人の演技の巧さはあきれるほど。

 

こんなに激しい動きをするのに、カウフマンもペーターゼンも歌が全く乱れません。

 

そして、最後の幕。混乱した部屋は元通りになり、現実を受け入れたパウルは一人静かに「私に残された幸せ」の旋律にのせて妻への別れの歌を美しく歌います。ここまでくるとiltrovatoreの心は完全にパウルに寄り添い、半分陶酔の領域に入っています。もうすぐ舞台は終わる・・・。

 

と、その時!天井にバシッと光がともり、あっという間に現実に引き戻されました。平土間中央のどなたかが急病になったらしく、ざわざわ状態。もちろんオペラはそのまま最後まで続きましたが(といっても恐らくわずか2-3分だったでしょう)、パウルのすばらしい独白に対する感動はどっかにぶっ飛んで行きました。う〜〜ん、非常に残念・・・。

 

最後に付け加えなければならないのがペトレンコの指揮によるオーケストラです。

 

ペトレンコはかなり難度の高いと思われるスコアをいとも楽々と演奏し、オーケストラの響きは彼の完璧なコントロールの下、深く、広く、こうあるべし、というところをきっちりと表現してきます。しかもオーケストラは絶えず歌手に寄り添い、決して歌手の声を邪魔することなく歌を盛り上げていました。

 

最後は勿論ブラボーとスタンディングオベーションが続きました。相当数の観客が立って拍手していました。(2019.12.10 wrote)