東京春祭 2024 :「アイーダ」 2024年4月17日公演 於東京文化会館

 

全体的に素晴らしい演奏でした。特にオーケストラの演奏は最初の前奏曲から繊細、緻密、スケール感があり、しかもエモーショナルで、滅多に聞けないほどのハイレベル。

 

東京春祭オーケストラは所属の異なるさまざまな奏者やソリストたちの集まりなのでまとめるのは大変だったろうと想像しますが、統一感がありました。やはり指揮者ムーティー様のお力は偉大です! 

 

第2幕の凱旋の場やダンスシーンのオーケストラ演奏も素晴らしかったし、全幕出ずっぱりで歌っていた合唱団の歌も壮大でした。

 

歌手ではなんと言ってもアムネリス役のユリア・マトーチュキナが圧倒的でした。彼女は2023年の春祭「仮面舞踏会」でウルリカを歌っていましたが、素晴らしいド低音Gと歌唱で印象に残っていたメゾです。特に第4幕、アムネリスが懊悩する場面は聞き惚れてしまいました。

 

ランフィス役のヴィットリオ・デ・カンポの素晴らしくよく響く美しい低音は魅力的でした。又来日していただきたいものです。

 

主役アイーダ役のマリア・ホセ・シーリは美しい声で表現力もあり、体に声がこもることもない。しかし声量が乏しくてエモーショナルな所で声を張ることができず、声がオーケストラや合唱に埋もれてしまう場面が散見されました。もしかしたら調子が悪かったのでしょうか。

 

王様役は片山将司さんが歌っていました。彼の歌はなかなか良かったです。が、隣で歌っているカンポと比べてしまうと声が少々曇り引っ込んで聞こえるのが残念。

 

巫女役の中畑由美子さん。このかたワーグナーガラで森の鳥も歌っていらっしゃいました。抜群に良く響く美声で主役のアイーダより声が通って聞こえます。ただ歌いだす最初の一声は良く響くのですが、歌詞を歌うに従い声が後ろに引っ張られる感じがするのです。この点を改良できれば世界の歌劇場でも通用する声だなあ、という印象がありました。

 

そしてラダメス、、、 「清きアイーダ」はあまり良くなかったです。このアリアはとにかくフレーズをレガートに、そしてそのレガートラインを積み重ねながら歌わなければならないのですが、そのレガートラインが貧弱。

 

また声量をmpくらいにセーブして歌っていたのですが、むしろレガートラインに詰まった感が出ていました。最後の高音B♭は(ピアニシモではなく)フォルテで終わりましたが、少々ブチ切れて聞こえました。

 

でも「清きアイーダ」はものすごく難しいアリアだし、それ以外のところはまあ問題なく歌っていたかな、と感じています。 (2024.4.18 wrote) 


東京春祭 2024 : 「ワーグナー・ガラ」ルネ・パーペリサイタルラ・ボエーム 於東京文化会館

「ワーグナー『ニーベルングの指輪』・ガラコンサート」 (4月7日公演)

 

歌手・オーケストラとも音楽のスケールがあまり大きくない感がありました。

 

マルクス・アイヒェは美声ですがヴォータン役としては声が軽い感じ。

 

テノールのヴィンセント・ヴォルフシュタイナーは楽譜通りきちんと歌い声もしっかり出ていましたが、エモーションに欠ける平板な歌い方。ジークムントの有名な場面なのに眠たくなりました。ただし彼のジークフリートは良かったです。ジークフリートは頭脳単純系の英雄ですので、彼の歌い方が合っていたのかもしれません。

 

エレーナ・パンクトラヴァのブリュンヒルデは素晴らしかった。エモーショナルに盛り上がり、このコンサートの最後をきっちりと決めてくれました。

 

「ルネ・パーペ&カミッロ・ラディケ」 (4月10日公演)

 

前半の歌曲はあまり問題なく聞いていました。しかし後半の「死の歌と踊り」第4曲の司令官(だったと思います)は高音がモサモサとしてこの曲の重厚で堂々とした迫力のある輝かしいメロディーラインが失われてしまいました。パーペの歌うオペラでこのように歌のラインが崩れるのを聞いたことがないので、今回は彼の調子が悪かったのかもしれません。

 

「ラ・ボエーム」 ( 4月14日公演)

 

結論として、とても楽しい公演でした。空席が目立ってはいましたが、お客さんの反応も上々だったように思います。演奏会方式とはいえ、舞台前方にテーブルが置かれ、椅子やワインなどの小道具を使い、おふざけの決闘シーンなども取り入れた演技をしてくれたので面白かったです。

 

歌手たちの歌唱は技術的にも音楽的にも今一歩と言ったところでしょう。ただし「ボエーム」は青春物語オペラなので、歌手たちの「僕らの能力を精一杯使って頑張って歌っています!」、という “懸命さオーラ” をポジティブに受け取ることができました。

 

歌手の中で目立ったのはエチオピア生まれのイタリア人、ムゼッタ役のマリアム・バッディステッリ。はっきりとよく通るソプラノ声が美しく、さらに顔もスタイルも良かったので将来楽しみな方だと思いました。

 

一方アルチンドロを歌ったイオアン・ホレンダーは御年88歳。往年のバリトンスターで元ウイーン国立歌劇場のディレクターです。足元もおぼつかない感じでしたが、とにかく歌えました。ショナール役の息子さんに付き添われてカーテンコールにも出てきましたが、父子が一つの舞台で歌えるなんて素敵ですね。イオアンさんも大満足だったでしょう。

 

又、ベノア役の畠山さんも外人勢と遜色なく歌い演じていましたし、第2幕の合唱がド派手に大きく響いていました。

 

最後にオーケストラ(指揮者)が良かったです。プッチーニの音楽は心象風景を描き出すのがうまいですが、指揮者はこのプッチーニの良さを引き出していたように感じられました。(2024.4.15 wrote)鑑賞記に戻る


“Leo Nucci” コンサート 2024.3.10公演、サントリーホール

 

1942年生まれ、御歳81歳になっておられるレオ・ヌッチ様。何年か前に引退を宣言されていたのですが、コロナ禍に見舞われ、「イタリアオペラの伝統を絶やすわけには行かない!」と現役復帰。そして今回が(おそらく)最後の来日となるであろう、、、コンサートなのです。

 

最初のアリアは「道化師」より「ごめんください、皆様方」 “Si può?... Si può?...” で、第一声からハリのある明るいよく響く声に驚嘆しました。疑いなく最高級の現役バリトンそのものです。

 

公演を始めるにあたり、このアリアを選んだのも心憎い。「ごめんください、皆様方」、と我々観客に語りかけ、最後は「さてどの様になるかお聞き下さい。さあ、始めますぞ!」 ”Andiam. Incominciate!” と高らかに宣言して、道化のもったいぶった挨拶でアリアを締めます。もちろん観客はヤンヤの大喝采。

 

次からはヴェルディのアリア、「プロヴァンスの海と陸」(椿姫)、「ああ、年老いた心よ」(二人のフォスカリ)、「哀れみも、誉も、愛も」(マクベス)、後半は「お前こそ心を汚すもの」(仮面舞踏会)、「私の最後の日」(ドン・カルロ)と続きます。どのアリアも各々のキャラクターが表情豊かに表現されていて、実際のオペラを見ているような気分にさせられるパーフォーマンスでした。

 

アリアの間に演奏される前奏曲(序曲)も、「椿姫」「マクベス」「シチリアの夕べの祈り」「運命の力」、とよく知られた曲ばかりで、楽しんで聴くことができました。指揮者フランチェスコ・イヴァン・チャンパはヌッチの動作、声量などに合わせてオーケストラを細かくコントロールしながら指揮をしていて、感心させられました。

 

アンコールは2曲。一曲目は「悪魔め、鬼め」(リゴレット)。とにかく「ヌッチ=リゴレット」なのです。ヌッチの「リゴレット」を舞台で聞いてみたいという私の願いは叶いそうにありませんが、今回彼のこのアリアを聞けて満足です。

 

2曲目は「国を裏切るもの」(アンドレア・シェニエ)。これも劇的で深い内容のオペラです。バリトンのアリアは人間の心の中にある恐れ、苦しみ、怒り、はたまた深い愛情、友情など、複雑で時として屈折した感情を表現した曲が多いのですが、今回の公演はそのようなバリトンアリアの真髄を聴かせてくれたように思います。

 

アリアが終わるたびにヌッチは舞台の右に左に、オーケストラの裏をぐるりと回って、観衆の喝采に応えます。指揮者がそれとなく舞台裏に引っ込ませようとしますが、引っ込んでもまたすぐに舞台に出てきて人々の歓呼に応えます。半世紀以上舞台に立ってきた名歌手の舞台に対する熱い想いを垣間見た気がしました。 (2024.2.10 wrote) 鑑賞記に戻る


「Juan Diego FlorezとPretty Yendeのデュオコンサート」 2024.2.4公演、東京文化会館

 

オペラ「ロメオとジュリエット」以外は全てベルカントオペラのアリアと二重唱でした。

 

びっくりしたのはフローレスがひどく不調だったこと。出だしは「チェネレントラ」から「そう、誓って彼女を見つけ出す」という有名な超難アリアで、普通の彼だったら完璧に歌ったはずでした。しかし声は曇り、非常に苦労しながら高音、特にハイC、を出しているのがはっきりとわかりました。最後のアンコールで歌った「ボエーム」第1幕フィナーレの二重唱、最後のハイCは出すか出さないか迷った末根性で出したけれどもぶっちぎれた感があり。

 

後半部で歌うはずだった「連隊の娘」の有名な「メザミ」アリアは歌わず(ハイC 9回は不調の時はキツイです)、代わりに歌うのが比較的楽な「人知れぬ涙」(愛の妙薬)を歌いました。

 

客席で見ていても体調が悪そうで、大丈夫かしらと心配になる程。上に書いたことは彼の元気な時の歌唱と比べての感想です。そんな不調の時でさえ難しいアジリタを優雅にこなしながらハイCを何回も出し、音楽を美しくまとめることができる能力は素晴らしい。優秀なベルカントテノールでさえ今回の彼のレベルで歌うことができれば嬉しいくらいの出来ではないでしょうか。

 

一方アンコールのギター弾き語りではしっとりと抒情的、絶妙な間の取り方、ウルトラに美しい歌唱、で観客の圧倒的な拍手をもらっていました。

 

イェンデは表情も変えずに続々と超高音を繰り出してきます。またその声は強い響きを伴い半端なく美しい。さらに難度の高いアジリタも楽々とこなし、高度な技術を持っているソプラノだと思いました。華やかな赤いドレスがよく似合う御方です。

 

ただ一抹問題かもしれないと思ったのは響きの強さにムラがあること。アジリタそのものは非常に上手です。しかし響きが強く付いている部分とあまり付いていない部分が一つのフレーズ内に混在し、響きの少ない声で歌う部分が相対的にやせて聞こえる、要するにフレーズがムラムラになる。その結果メロディーが綺麗なラインとして浮かび上がらない、という感じがしました。

 

などと書き連ねましたが、そりゃ絶対値で言えば相当ハイレベルの公演だったと思います。2024.2.4 wrote)鑑賞記に戻る


「エウゲニ・オネーギン」 2024.1.31公演 新国立劇場

新国立劇場オペラの中では平均以上の公演だったと思います。聞いていて酷いと思う歌手もおらず、全員ある一定程度以上のレベルで、聞いていて安心できました。また初めてみた今回の演出ですが、奇を衒ったところのない普通の演出で好感が持てました。

 

ただ第1幕での農民のコーラスとダンスの場が抜けていたのが残念。それから第2幕2場でオネーギンの介添人(元の台本では従者のギヨー)を酔っ払いのトルケに変更した演出は気に入らないです。すでに心中決闘を後悔しているオネーギンが決闘相手を更に侮辱するようなこのような行動をとるとは考え難い。

 

タチヤーナ役のエカテリーナ・シウリーナは密度のあるしっかりとした美声を持つ上手いソプラノです。第1幕は手紙の場でも淡白に歌いすぎるという印象でしたが、第3幕の最後の場面は成熟し自己コントロールができる女性となったタチヤーナの複雑な想いを上手く出していると感じられました。

 

オリガ役のアンナ・ゴリャチョーワの声は低音がものすごく充実し、メゾと公称しているものの、アルトに近い声だと思いました(女声でアルトは希少品種)。Wikiで調べたら、オリガ役はコントラルト(女性で一番低い声種、ほぼアルトと同義)となっているのですね。

 

主役オネーギンは見目麗しい長身のバリトンで声も良かったのですが、歌唱が平坦に感じられ存在感が薄かったです。ただ私のオネーギン・スタンダードは故ディミトリ・ホヴォロストフスキー。彼と比べちゃいけないとはわかっているのですが。

 

今回の出演者の中で最高だったのは、第3幕にちょっとだけ出て1曲だけ有名なアリアを歌うグレーミン公爵役のアレクサンドル・ツィムバリュクでした。最初の一声からよく響く深い低音で、滑らかなレガートが素晴らしい。年老いた高貴な傷痍軍人が人生最後に愛する妻を得た喜びを朗々と輝かしく歌い上げます。エモーションに満ち溢れながらも公爵としての気品が感じられる素晴らしい歌唱でした。

 

最後に、日本人ソロ歌手たちの声にも響きが付いており、とても嬉しかったのですが、問題になるのはやっぱり演技です。年老いた乳母はどうみても若い女性にしか見えないし、ラーリナの演技もイマイチ。トリケは一生懸命頑張ってたね、としか言えません。それから合唱団のダンスももっとどうにかできないものか。以前から新国立合唱団のひどく拙いダンスを見るたびにそう思ってます。 (2024.1.31 wrote) 鑑賞記に戻る