オペラ解説: 「アドリアナ・ルクブルール」 “Adriana Lecouvreur” フランチェスコ・チレア作曲

 

チレアの作曲したオペラの中で唯一頻繁に上演されるオペラ。女優アドリエンヌ・ルクヴルールとザクセン伯モーリッツとの恋愛、及び彼女の急死という実話を題材としている。当時アドリエンヌの急死は恋敵のブイヨン公爵夫人が毒を盛ったとの噂が流されたが、実際は病死または単に死亡しただけだとされている(1)。

 

初演は1902年で、「道化師」「カヴァレリア・ルスティカーナ」などと同様ヴェリズモオペラの代表作の一つ。美しい旋律に乗せて緊張感に富むドラマティックなストーリーが続く。

 

ただし台本を読む限りマウリツィオのキャラクター設定の曖昧さ(後述)がこのオペラの欠点と思う。しかし音楽の美しさがその欠点を十分に補っている。

 

このオペラではアドリアナが歌う第1幕の「私は創造の神の卑しい下僕」(Io son l'umile ancella del Genio creator )とブイヨン公妃が歌う第2幕最初の「苦い喜び、甘い責め苦」(Acerba voluttà, dolce tortura )が有名である。さらに第2,3幕での女優アドリアナとブイヨン公妃の対決シーンは演技力に優れたソプラノとメゾが演じると圧倒されるほどのすごみがあり見応えがある。

 

1. アドリエンヌ・ルクヴルール wiki 最終更新 2022年6月23日 (木) 09:29 )

 

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アドリアナ・ルクブルール (ソプラノ) :

 

コメディ・フランセーズの女優でマウリツィオと相思相愛。非常に人気のある女優。平民階級に属する彼女だが大勢の観客の前で高位の貴族であるブイヨン公妃の不倫を正面切って批判するなど、度胸もある。

 

アドリアナはセリフを吟詠する場面が第1,3,4幕にあるので、この役を演じる歌手は俳優としての能力も必要。

 

マウリツィオ (テノール):

 

ザクセン伯爵。だがアドリアナにはザクセン伯の旗手であると身分を偽っている。作曲者のチレアが原作の一部を省略したため、マウリツィオを巡る2人の女性の立ち位置がいまいちよくわからない。つまり、ブイヨン公妃と愛人関係にあったマウリツィオがアドリアナに心を移したのか、それともアドリアナと恋愛関係にあったマウリツィオをブイヨン公妃が横恋慕したのか、が明確には示されていない。そのため観客はこの三角関係をどう理解したら良いか、もやもやと迷うことになる。

 

どちらにしても、マウリツィオは愛してもいないブイヨン公妃を政治的に利用し続けている。国を統べる指導者として恋愛よりも政治を優先しているとも弁解できるが、どっちつかずに見える彼のいくつもの行動は愛する女性に対する誠実さに欠け、このオペラの主人公アドリアナが命を賭けて熱愛する男としては中途半端でスッキリしないキャラクターである。

 

とはいえ最終的にアドリアナに結婚を申し込む彼、ではある。マウリツィオを演じるテノールはこのような二面性のある曖昧なキャラクターどのように演じるかを考えなくてはならない。

 

ブイヨン公妃 (メゾ・ソプラノ):

 

高貴な貴族であり、わがままいっぱいで尊大。欲しいものは必ず手に入れ、自分を侮辱した人間は殺してやる、というような激しい性格。女優デュクロ(アドリアナの仕事仲間)と夫ブイヨン公の不倫関係を見逃す代わりにデュクロを自分とマウリツィオとの連絡係にさせている。

 

ミショネ  (バリトン):

 

コメディ・フランセーズの舞台監督。初老で密かにアドリアナを愛しているが、彼女に若い恋人がいることを知り身を引く。一方アドリアナは彼の想いに気がついていない。彼は自らの恋心を押し隠し、いつも彼女のそばにいて控えめに彼女を支えている。バリトン歌手にとって魅力的でやりがいのある役だと思う。

 

ブイヨン公 (バス)

 

芝居愛好家の貴族。デュクロを愛人にして彼女に別荘も与えているが、そろそろ彼女にも飽きている。

 

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第1幕: コメディ・フランセーズの楽屋

 

もうすぐ舞台が開く。俳優たちや裏方に対応するミショネは大忙し、パトロンのブイヨン公と僧院長の相手もしなければならない。そこへアドリアナが台詞を練習しながら入ってくる。人々がアドリアナを称賛すると、彼女は謙遜して「私は創造の神の慎ましいしもべ」(Io son l'umile ancella del Genio creator) を歌う。  

アンジェラ・ゲオルギュー

Ecco: respiro appena ....

ああ、ちょっと息をしたのですけど、、、

 

lo son l'umile ancella del Genio creator:

私は創造の神の卑しい召使いです。

 

lei m'offre la favella,

神は私に話す力を与えてくださいました、

 

io la diffondo ai cor ...

私はそれを人々の心に広めるのです、、、

 

Del verso io son l'accento,

詩に於いて、私はその抑揚であり、

 

l'eco del dramma uman,

人間のドラマのこだま、

 

il fragile strumento vassallo della man ...

儚い道具、神の手のしもべです。

 

Mite, gioconda, atroce,

ときに優しく、ときに陽気で、ときに残酷、

 

mi chiamo, mi chiamo Fedeltà:

私は (芸術に)忠実と言われております:

 

un soffio è la mia voce, un soffio è la mia voce,

吐息は私の声、吐息は私の声、

 

che al novo dì morrà ..

その声は翌日には消えてしまうのです、、、

 


ミショネは密かにアドリアナを愛しており結婚を申し込もうとするが、彼女に若い恋人(マウリツィオ)がいるのを知り身を引くことにする。そこへマウリツィオが現れる。二人が愛を語らった後、彼女はマウリツィオにすみれの小さなブーケを渡し彼は客席に去る。

 

ブイヨン公は愛人デュクロの浮気を疑っている。しかしデュクロはブイヨン公妃とマウリツィオとの仲介をしているだけで、デュクロは今夜もマウリツィオに密会の場所と時間を手紙で連絡している。

 

その手紙を手に入れたブイヨン公はデュクロの浮気相手がマウリツィオだと勘違いし、デュクロの浮気現場を押さえようと密会の場所(彼がデュクロに与えた邸宅)でパーティーを催すことにする。アドリアナも招待される。

 

芝居が始まった。ミショネは舞台裏でアドリアナの詠唱と演技に感動しつつ、自らの報われない愛に対するやるせない想いを独白する。(ミショネのモノログ)

アンブロージュ・マエストリ

Ecco il monologo ...

ああ、モノログだ。。。

 

Silenzio sepolcral! ... grave momento!

墓場のような静寂! 重々しい瞬間だ!

 

Strugger di gioia e di timor mi sento ...

喜びと恐怖にさいなまれるのを感じる。。。

 

Bene! Benissimo! ...

いいぞ!ものすごく良い!。。。

 

Così ... così ... che fascino! che accento!

そう、そうなんだ、なんて魅力的なんだ!なんというアクセントだ!

 

Quanta semplicità! Com'è profonda e umana!

なんてシンプルなんだ!深みがあり人間的だ!

 

Men sincera è la stessa verità!

誠実さもまた真実なんだ!

 

Che fanno, dunque, là? Applaudite, beoti! beoti!

で、彼ら(聴衆)はあそこで何をしている? 拍手喝采だぞ、脳足りんな奴ら!愚か者!

 

Ah, stupenda, mirabile! sublime!

ああ、すごいぞ、立派だ!気高いぞ!

 

Ah! L'ha visto! ... e glielo esprime.

ああ!彼女が彼(マウイツィオ) を見た!彼女は彼のために演じたのだ。

 

Congli sguardi, I sorrisi, I gesti, I moti…

彼女の視線、微笑み、素振り、動き、、、

 

E dir che così bene

このような素晴らしさも

 

recita per un altro, e non per me! ...

他の男のためで、私のためではない!

 

Ma rimedio non c'è!

だが、もう成すすべはない!

 

non c'è costrutto! ...

何もできない!

 

In ascoltarla, affogo le mie pene,

彼女を聴きながら私は苦痛に溺れる、

 

e rido, e piango, e sogno,

そして笑い、泣き、夢見て

 

e dimentico tutto.

そして全てを忘れるのだ。

 

E rido, e piango, e sogno

そして私は笑い、泣き、夢見るのだ。


第2幕:デュクロの邸宅

 

ブイヨン公妃はマウリツィオが来るのをいまかいまかと待っている。マウリツィオに対する愛情と疑念の嵐に翻弄される公妃の心情を歌うのがドラマティックなアリア、「苦い喜び、甘い責め苦」(Acerba voluttà, dolce tortura )。

 

この役を歌うメゾソプラノはウオーミングアップのステップが無い。第2幕で初めて登場した途端に目一杯歌わなければならないのがこのアリアの大変なところ。

エリーナ・ガランチャ

Acerba voluttà, dolce tortura,

苦い喜び、甘い責め苦、

 

lentissima agonia, rapida offesa,

じわじわと襲う苦痛、急激にせまりくる怒り

 

vampa, gelo, tremor, smania, paura,

燃える炎、冷たい霜、震え、激昂、恐怖が

 

ad amoroso sen torna l'attesa!

恋人を待つ胸中に戻ってくる!

 

Ogni eco, ogni ombra nella notte incesa

燃えるような夜、こだまと影の全てが

 

contro la impaziente alma congiura:

打ち震える心を貶めようとする:

 

fra dubbiezza e disio tutta sospesa,

疑念と憧れとの間で揺れ動き、

 

l'eternità nell'attimo misura ...

この瞬間が永遠に続くように思える、、、

 

Verrà? M'oblìa? S'affretta?

彼は来るかしら?来ないのかしら? 急いでいるのかしら?

 

O pur si pente? ...

それとも彼は後悔しているのかしら?

 

Ecco, egli giunge! ...

ああ、彼が来る!

 

No, del fiume è il verso,

違うわ、川の流れが詩を歌っているのだわ、

 

misto al sospir d'un arbore dormente ...

眠っている木のため息と混じっているのよ、、

 

O vagabonda stella d'Oriente,

おお、東に輝くさまよう星よ、

 

non tramontar: non tramontar: 

沈まないで、沈まないでおくれ:

 

sorridi all'universo,

宇宙で優しく微笑んでおくれ、

 

e s'egli non mente, scorta il mio amor! ..

そして彼が嘘をついていないのならば、私の恋人を送り届けておくれ!

 


遅れて到着したマウリツィオは言い訳をするが、疑い深い公妃は彼の胸にあるブーケを見つけ疑念を持つ。マウリツィオはそのブーケを贈り物として公妃にわたす。しかし公妃の疑念は晴れない。そんな公妃にマウリツィオが自分の苦しい心情を訴えるのが下の動画、「心は疲れて」(L'anima ho stanca)。

ヨナス・カウフマン

L'anima ho stanca, e la meta è lontana:

私の心は疲れ果て、ゴールは遠い:

 

non aggiungete la rampogna vana

無意味な非難をしないでください

 

all'ansia che m'accora .

私を悩ませる苦悩に。

 

Assai vi debbo; Aaa, ma se amor,  se amor cadrà

私はあなたに多くの借りがあります;ああ、しかし愛が失せても、

 

memore affetto in core, in cor mi fiorirà, .....

私は感謝の気持ちを胸中にいだき続けるでしょう

 


そこにブイヨン公が到着したので公妃はあわてて小部屋に逃れる。ご機嫌なブイヨン公はマウリツィオに「デュクロにはもう飽きているので手を切りたい(あなたに渡す)」と申し出る。マウリツィオは誤解に気がつく。一方、彼がザクセン伯の旗士ではなくザクセン伯その人であることをアドリアナに知られてしまう。

 

「小部屋に隠れているのは私にとって政治的に重要な女性であるからこっそりここから逃して欲しい。ただし顔を見ないで。」とマウリツィオに頼まれたアドリアナはマウリツィオに対する疑念を押し隠し彼を信頼してブイヨン公妃を逃がそうとする。が、暗闇の中、お互い名前はわからないものの相手が恋敵だと気づく。

 

ブイヨン公妃は屋敷から逃げ出す際に腕輪を落とし、それを拾ったミショネはアドリアナにその腕輪を渡す。

 

第3幕:ブイヨン公の邸宅

 

ブイヨン公の夜会が開かれており、「パリスの審判」とバレエが上演されている。アドリアナが部屋に入ると彼女の声を聞いた公妃はアドリアナが恋敵ではないかと疑う。2人は鋭い言葉を投げ合い周囲の人々にも緊張感が走る。公妃はブーケを示し、アドリアナは腕輪をみせびらかす。ブイヨン公は表面的にはにこやかにその腕輪が妻のものだと言い、アドリアナとブイヨン公妃はお互いが恋敵であることを確信する。

 

ブイヨン公妃はアドリアナに朗唱を望む。ブイヨン公妃は「捨てられたアリアドネ」のモノログを望むがブイヨン公はラシーヌ作「フェードル」帰還のシーン(不倫をした女性の心の葛藤のモノログ)を望む。

 

アドリアナはラシーヌの詩の最後の「厚かましくも不道徳、裏切りを喜び、赤面することも無き冷酷な顔をした女の如くに!」という箇所で思わせぶりにブイヨン公妃に向き合う。観衆は拍手喝采をするが、人々の面前で侮辱されたブイヨン公妃は復讐を心に誓う。(フェドーラのモノログ)

アンナ・ネトレプコ

ADORIANA

"... Giusto Cielo! che feci in tal giorno?

正義の神よ!あの日私はなんということをしたのだろう?

 

Già s'accinge il mio sposo col figlio al ritorno:

既に夫は息子を伴い帰国しようとしている:

 

testimon d'un'adultera fiamma, ei vedrà

炎の証人として息子は見るであろう、

 

in cospetto del padre tremar mia viltà,

父の目前で私が臆病にも震えるのを、

 

e gonfiarsi il mio petto de' vani sospir,

虚しいため息で我が胸は膨らみ

 

e tra lacrime irrise il mio ciglio languir!«

私の眉を嘆き悲しむ涙でぬらす!

 

Credi tu che, curante di Tèseo la fama,

信じるだろうか、テセオの名声に免じ、

 

disvelargli non osi l'orrendo mio drama?

我が醜悪な物語を夫に暴露する気はないのか?

 

Che mentire ei mi lasci al parente ed al re?

我に嘘をつかせ、近親者や王に我を託すと?

 

E raffreni l'immenso ribrezzo per me?«

そして我への大いなる嫌悪を鎮めると?

 

»Egli invan tacerebbe! So il turpe mio inganno,

虚しくも彼は沈黙するだろう!我はおのれの卑劣な欺瞞を知っている、

 

o Enon, né compormi potrei, come fanno 

おおエノン 我は我の心を鎮めることができない、、、

 

Le audacissime impure, cui gioia è tradir, una fronte di gel, che mai debba arrossir!«

厚かましくも不道徳な輩、裏切りを喜び、赤面することも無き冷酷な顔をした女の如くに!

 

LA PRINCIPESSA

Brava! ...  ブラボー!

 

TUTTI

Brava! Sublime!  ブラボー! 素晴らしい

 

MICHONNET

O sconsigliata, che mai facesti?

がっかりだ、なんてことをしたのだ?

 

ADORIANA

Son vendicata!

復讐したのよ!

 

LA PRINCIPESSA

Un tale insulto! Io sconterà! ... Restate!!! ... 

このような侮辱!おもい知らせてやる! (マウリツォに) ここにいて頂戴!

 

ADORIANA

Chiedo in bontà di ritirarmi ...  Sèguimi! ...

(ブイヨン公に) 失礼いたします、、、(マウリツォに) 私についてきて!

 

MAURIZIO

A domattina ...

(アドリアナに対して) ではまた明日の朝に、、、

(マウリツィオはアドリアナの願いを聞き入れず公妃のそばに残る)

 


その後その場を立ち去るアドリアナも、はたまたその場に残る公妃も、双方がマウリツィオに自分の側に留まって欲しいと願うが、彼はアドリアナに「明日の朝に」と言ったきり公妃の側に残る。

 

第4幕:アドリアナの自宅

 

アドリアナはブイヨン公のパーティーの後すっかり弱ってしまい舞台にも出ない。彼女を気遣うミショネは自分の恋心を押し隠して、ブイヨン公のパーティー以来音沙汰なしのマウリツィオに手紙を書く。

 

その後コメディ・フランセーズの芝居仲間が彼女のお誕生日を祝いにやってくる。舞台に復帰してくれと頼む彼らの暖かな思いやりにアドリアナは元気が戻り、芝居に戻ると宣言する。

 

そこに召使いが贈り物不明の小箱を持ってくる。アドリアナが箱を開けた途端彼女は不吉な匂いを嗅いでしまう。箱の中には枯れたすみれのブーケが入っており、それは以前アドリアナがマウリツィオに渡したブーケだと気づいた女はすっかり打ちのめされ、ブーケを火の中に投げ込む。 この時歌うのが「哀れな花よ」(Poveri fiori)。

 

そこにミショネの手紙を読んだマウリツィオが彼女の家に駆けつけ、結婚を申し込む。嬉しさ極まる彼女だが顔は蒼白になり震えだす。ブーケに仕込まれた毒が効いてきたのだ。瀕死の彼女は錯乱して舞台にいるかのように女神メルポメネの詩を朗詠するが、マウリツィオとミショネの腕の中に倒れ込んで死ぬ。

 

(2023.10.20 wrote) オペラ解説に戻る