オペラ解説:「ウェルテル」 ”Werther” ジュール・マスネ作曲

 

「ウェルテル」を作曲したのはフランス人マスネ。彼は「マノン」、「タイス」、「サンドリオン」など現在でも頻繁に上演される人気オペラの作曲家です。

 

「ウェルテル」はドイツ人ゲーテの書簡体小説「若きウェルテルの悩み」をオペラ化した作品です。舞台はドイツの田舎、出てくる人物達も基本純朴なドイツ人ですが、奏でられるメロディーはフランス的。極めて甘美で叙情に満ち、しかもドラマチックな場面の音楽は緊迫感があり劇的で変化に富んでいます。

 

ちなみにフランス人作曲家がドイツ人作家の小説をオペラ化した作品には有名なものがいくつかあり、例えば、

 

★ グノーの「ファウスト」やベルリオーズの劇的物語「ファウストの劫罰」: 両方ともゲーテの劇詩「ファウスト」を元としています。ドイツではグノーの「ファウスト」はゲーテの「ファウスト」とは別物という認識で、「マルガレーテ」と呼ばれています。

 

★  ジャック・オッフェンバックの「ホフマン物語」:E.T.A. ホフマンの幻想的な小説から3つの物語を使っています。オッフェンバックはドイツ生まれですがフランスに帰化しています。

 

★  アンブロワーズ・トマの「ミニヨン」: ゲーテの小説「ヴィルヘルム・マイスターの修行時代」を元にした作品、などです。

 

ROHの音楽監督アントニオ・パッパーノは、

「ウェルテルを歌うテノールは大声でなくても良い。しかしマスネの音楽はワーグナーのように巨大で、オーケストラを貫いて声が通らなければならない。これは必須だ。・・・  ウェルテル役は過去の偉大なテノール達が歌っている、例えばクラウス、ドミンゴ、カレラス達だ。そしてアラーニャ、カウフマンなども歌っている」と語っています。(1)

 

ウェルテルは自然と子供を愛する詩人。内省的で夢想家です。しかし周りの現実世界と折り合うことができず初恋の人妻に異常な程執着するストーカー的青年で、だれにでも好かれる人物とは到底思えません。しかしマスネの音楽は彼の純粋さ、脆さ、葛藤、孤独、悲哀、絶望を感傷的に美しく描き出し、観る人を魅了します。

 

ただしウェルテルを歌うのは難しい。彼は豊かな内面を持っていますが、周りの人々を悲劇に巻き込む滅びの愛に執着しています。そのような彼の両面を観衆が納得・共感してくれるように表現しなければなりません。

 

特に最後の場面、ピストルで自らを撃ってから死ぬまでの長い長い16-17分間、観客の心を舞台に集中させ続けるのはとても難しい。下手にやると観客はしらけるし飽きてしまい、「ウェルテル、ピストルで心臓を撃ったのなら、もっとはよ死なんかい!」という気分になってしまうからです。

 

シャーロットは地味で禁欲的な女性なのでしょう。亡き母親との誓いや夫婦としての義務感に縛られウェルテルに対する恋心をずっと封印しています。彼女が自らの心を開放し行動するのはウェルテルが自殺するとわかった時です。しかし結局彼女はウェルテルもそしてアルベールとの平穏な生活も失ってしまいます。

 

シャーロットの夫アルベールは第3幕でウェルテルの自殺を勧めるような冷酷な態度に出ます。しかし彼は元々妻を愛する平凡で善良な夫で、彼をこのような心境に追いやったのはウェルテルなのです。

 

おまけですが、マスネは「ウェルテル」をバリトン向けに編曲していて、トーマス・ハンプソンやリュドヴィック・テジエなどが歌っています。 こちらはトーマス・ハンプソンが歌う “Pourquoi me réveiller, ô souffle du printemps?”(オシアンの歌)です。テノールが歌うのとかなり違った感じがします。

 

1.“Antonio Pappano introduces the music of Werther (The Royal Opera) 、https://youtu.be/JViyMlZ1blo


第1幕:大法官の家の庭 、7月

 

緊張感と切迫感のある前奏曲に続いて幕が開く。

 

妻をなくした大法官の小さな子供たちの世話をしているのは主に長女のシャーロット、そして妹のソフィーである。シャーロットは亡くなった母にアルベールと結婚することを誓っており、現在彼と婚約中。

 

大法官が子供たちにクリスマス・キャロルを教えていると、友人のシュミットとジョアンがやってくる。大法官は「今夜舞踏会が開かれる予定でシャーロットは迎え(ウェルテルのこと)を待っている」と答える。二人はウェルテルについて「いい男で物知りで上品だが陰気」「彼は外交官になるのだ」など会話をして去る。

 

そこにウェルテルが現れる。ウェルテルは周りの風景を見回し、自然の素晴らしさに感動して、アリア「大自然よ」”O nature, pleine de grâce”を歌う。(下の動画)

Roberto Alagna

WERTHER

Alors, c'est bien ici la maison du Bailli?

ああ、ここが大法官の家ですか?

 

Merci. ありがとう。

 

Je ne sais si je veille ou si je rêve encore!

僕は目覚めているのだろうか夢を見ているのだろうか!

 

Tout ce qui m'environne a l'air d'un paradis;

僕の周りすべてが天国のようだ;

 

le bois soupire ainsi qu'une harpe sonore,

森はハープの音色のような吐息をしている、

 

Un monde se révèle à mes yeux éblouis!

世界がまばゆいばかりに目の前に広がっている!

 

O nature, pleine de grâce,

おお恩寵に満ちた自然よ、

 

Reine du temps et de l'espace

時と空間の女王

 

Daigne accueillir celui qui passe et te salue, Humble mortel!

通り過ぎる者を歓迎してくれる、卑しい死すべき者を!

 

Mystérieux silence! O calme solennel!

神秘に満ちた静けさ!厳かな静寂!

 

Tout m'attire et me plaît!

すべてが魅力的で僕を喜ばせる!

 

Ce mur, et ce coin sombre... Cette source limpide et la fraîcheur de l'ombre;

壁、そしてこの暗い角、、、 澄み切った噴水と涼しい日陰;

 

il n'est pas une haie, il n'est pas un buisson où n'éclose unefleur, où ne passe un frisson!

どの生け垣も茂みも、花が咲き揺らめいている!

 

O nature! enivre-moi de parfums,

おお 自然よ!―麗しい香りで私を酔わせてください。

 

Mère éternellement jeune, adorable et pure!

永遠に若く、崇敬すべき、けがれなき母!

 

O nature!

おお 自然よ!

 

Et toi, soleil, viens m'inonder de tes rayons!

あなたは太陽、あなたの光で私を満たしてください。

 

LES ENFANTS (子供たち)

Jésus vient de naître!

イエス様がお生まれなさった!

 

Voici notre divin maître,

ここに聖なる主がおられる、

 

Rois et bergers d'Israël!

イスラエルの王にして羊飼い

 

WERTHER

Chers enfants!

愛らしい子供たち!

 

LES ENFANTS (子供たち)

Dans le firmament des anges gardiens fidèles

大空には忠実な守護天使達が

 

ont ouvert grandes leurs ailes et s'en vont partout chantant:

翼を大きく開き、歌いながら行く!

 

WERTHER

Ici-bas rien ne vaut les enfants!

子供ほど素晴らしいものはない!

 

LES ENFANTS (子供たち)

Noël! Noël! Noël!

クリスマス!クリスマス!クリスマス!と

 

WERTHER

Chers enfants!

愛らしい子供たち!

 

Autant notre vie est amère...

私達の人生は辛いが、、、

 

autant leurs jours sont pleins de foi,

子供らの毎日は信仰深く、

 

leur âmes pleine de lumière!

彼らの魂は光に満ちている!


 

シャーロットが出てきて子どもたちの世話をするが、その様子を見ていたウェルテルはひと目でシャーロットに恋してしまう。ウェルテルはシャーロットと舞踏会に行き、大法官もその場から立ち去る。

 

そこに半年間仕事で留守をしていたアルベールが突然帰ってきて、シャーロットへの愛を独白して去る。

 

間奏:  舞台には誰もいない。静かな月夜。美しく甘美な旋律が演奏されゆっくりと夜は更けて行く。

 

シャーロットとウェルテルが舞踏会から帰ってくる。ウェルテルは彼女に熱い想いを告白するが、シャルロットが既に婚約していると知って愕然とし、絶望する。

 

第2幕:ヴェッツラーの街角、9月

 

今日は牧師の金婚式でシュミットとジョアンは朗らかに酒を飲んでいる。そこに結婚したシャーロットとアルベールが登場する。ウェルテルは苦痛に苛まれながらその二人を見ている。アルベールは慇懃に妻を忘れるようウェルテルに語りかけるが、ウェルテルは彼女を忘れることができない。

 

ソフィーはウェルテルに漠然とした恋心を抱いておりウェルテルをダンスに誘うがウェルテルには彼女をかまう心の余裕などない。シャーロットと二人きりになったウェルテルはまたもや彼女に愛を告白する。彼女は夫婦の義務感を優先し彼を拒絶する。そしてクリスマスまで彼女と会わないことを彼に約束させる。

 

絶望したウェルテルは、もう二度と帰らないと言い捨て、ソフィーの誘いも無視して荒々しくその場を去る。

 

第3幕:アルベールの家、クリスマスイブ

 

シャーロットの心はウェルテルへの想いで膨れ上がっている。彼からの苦痛に満ちた手紙は彼女の心を一層不安定にさせる。(手紙のシーン:下の動画)

Elīna Garanča

CHARLOTTE

Werther... Werther... ウェルテル、、、ウェルテル、、、

 

Qui m'aurait dit la place que dans mon cœur il occupe aujourd'hui?

今日彼が私の心を占めている場所を一体誰がわかるというのでしょう?

 

Depuis qu'il est parti, malgré moi, tout me lasse!

彼が去って、我ながら、何もかも嫌になる!

 

Et mon âme est pleine de lui!

私の心は彼のことでいっぱいよ!

 

Ces lettres! ces lettres!

この手紙!手紙!

 

Ah! je les relis sans cesse...

ああ!何度も読み直したわ、、、

 

Avec quel charme... mais aussi quelle tristesse!

魅力に満ちていて、、、だけれどなんて悲しいこと!

 

Je devrais les détruire... je ne puis!

捨てなければならなかったのだけれど、、、捨てられなかった!

 

"Je vous écris de ma petite chambre: 

「僕の小部屋で貴方に手紙を書いています:

 

au ciel gris et lourd de Décembre

灰色で重苦しい12月の空が

 

pèse sur moi comme un linceul,

経帷子のように僕の周りに垂れ込めている、

 

Et je suis seul! seul! toujours seul!"

そして僕はたった一人!たった一人!いつも一人きり!」

 

Ah! personne auprès de lui!

ああ!彼のそばには誰もいないのよ!

 

pas un seul témoignage de tendresse ou même de pitié!

優しさどころか憐れみすら無いのよ!

 

Dieu! comment m'est venu ce triste courage, d'ordonner cet exil et cet isolement?

神様!彼を追い出し孤独の身に追いやったこの悲しい勇気を私はどうやって得たのでしょう?

 

"Des cris joyeux d'enfants montent sous ma fenêtre,

子供たちの歓喜の声が窓の下から聞こえてくる、

 

Des cris d'enfants! Et je pense à ce temps si doux.

子供たちの声!あの楽しかった時に思いを馳せる。

 

Où tous vos chers petits jouaient autour de nous!

貴方の愛しい子供たちが僕らの周りで遊んでいた時を!

 

Ils m'oublieront peut-être?"

あの子達は僕を忘れてしまうだろうね?」

 

Non, Werther, dans leur souvenir votre image reste vivante... et quand vous reviendrez... mais doit-il revenir?

いいえ、ウェルテル、あの子達はあなたの面影をずっと忘れないでいるわ、、、そしてあなたが帰ってきたら、、、、だけど彼は帰ってくるのかしら?

 

Ah! ce dernier billet me glace et m'épouvante!

ああ!この最後の手紙は心が凍りついて恐ろしい!

 

"Tu m'as dit: à Noël, et j'ai crié: jamais!

「貴方はクリスマスにと言った、そして僕は決して戻らない!と叫んだ。

 

On va bientôt connaître qui de nous disait vrai!

もうすぐどちらが正しかったかがわかるだろう。

 

Mais si je ne dois reparaître au jour fixé, devant toi,

だけれどもし約束した日に僕が貴方の前に現れなかったとしても、

 

ne m'accuse pas, pleure-moi!"

僕を責めないでおくれ、僕のために泣いてほしい!」

 

Ne m'accuse pas, pleure-moi!

僕を責めないでおくれ、僕のために泣いてほしい!

 

"Oui, de ces yeux si pleins de charmes, ces lignes...

「そう、貴方は魅力に溢れた目で、手紙を一行一行、、、、

 

tu les reliras, tu les mouilleras de tes larmes...

涙で濡らしながら読み返すだろう、、、

 

O Charlotte, et tu frémiras!"

おお、シャーロット、そして貴方は身震いすることだろう!」

 

...tu frémiras! tu frémiras!

・・・貴方は身震いすることだろう!貴方は身震いすることだろう!


ソフィーが陽気にやってきて彼女の心を明るくしようと努力するが効果がない。ソフィーは帰る。

 

そこに憔悴しきったウェルテルが現れる。彼はシャーロットに彼の苦しみを訴え、机の上にあるピストルの入った箱に興味を示す。シャーロットは彼の気をそらす為、以前彼が翻訳したオシアンの歌を彼に見せる。彼はそれを手に取り、有名なアリア “Pourquoi me réveiller, ô souffle du printemps”(春風よ、なぜに我を目覚ますのか) を歌う。

Jonas Kaufmann、Sophie Koch、Opéra Bastille 2010

WERTHER

Toute mon âme est là!

僕の魂のすべてがここにある!

 

Pourquoi me réveiller, ô souffle du printemps,

春風よ何故に私を目覚めさせるのか、

 

pourquoi me réveiller?

なぜ私を目覚めさせる?

 

Sur mon front je sens tes caresses,

私の額にあなたの愛撫を感じる、

 

Et pourtant bien proche est le temps Des orages et des tristesses!

しかし嵐と悲しみの時は近い!

 

Pourquoi me réveiller, ô souffle du printemps?

春風よ何故に私を目覚めさせるのか、

 

Demain dans le vallon viendra le voyageur

明日小さな谷に旅人が訪れる

 

Se souvenant de ma gloire première...

私の最初の輝きを思い出しながら、、、

 

Et ses yeux vainement chercheront ma splendeur,

そして虚しく私の輝きを探し求める、

 

Ils ne trouveront plus que deuil et que misère!

しかし死の悲しみと惨めさしか見つからない!

 

Hélas!

ああ!

 

Pourquoi me réveiller ô souffle du printemps!

春風よ何故に私を目覚めさせるのか!


 

シャーロットの彼に対する愛情に確信を持ったウェルテルは激情にかられて彼女に強く言い寄るが、彼女はやっとのことで逃げ出し寝室にこもり、ウェルテルは絶望して去る。

 

その後すぐにアルベールが帰ってくる。シャーロットのうろたえた様子でウェルテルが来たことを知り、激怒する。すると召使いが「長い旅にでるのでピストルを貸してくれ」と書かれたウェルテルからの手紙をもってくる。アルベールはピストルを召使いに渡すようシャーロットに冷たく命令し、彼女は従う。

 

しかしウェルテルの状況を察したシャーロットは絶望的な気持ちで彼の元へ急ぐ。

 

第4幕:ウェルテルの書斎、前場のすぐ後

 

クリスマスの夜の街の様子がオーケストラで表現される。幕が上がると(ピストルで自らを撃った)ウェルテルが横たわっている。

 

ドアが開きシャーロットが入ってきて倒れているウェルテルに気が付く。シャーロットは彼に愛を告白し、彼は束の間の幸福感にみたされる。外からは子どもたちが歌うクリスマスの歌が聞こえてくる。

 

彼は「墓地の奥に2本の菩提樹がある。そこに僕を葬ってくれ。もし(自殺は罪ということで)墓地に葬れなければ道端かさびしい森の谷間に葬っておくれ。牧師はその墓を避けて通り過ぎるだろうけれど一人の女性がひそかにその男の墓を訪れる。死んだ哀れな男は彼女の甘美な涙に祝福されると感じるだろう。」

と言って息を引き取る。

 

シャーロットは「ああ、全てが終わった!」と絶望し、舞台裏からは朗らかな子どもたちの声が聞こえてきて、幕が降りる。

 

この長い「死の場面」が下の動画。ウェルテル役カウフマン、シャーロット役コッシュ両人とも緊張感を維持しながらの名演。

Jonas Kaufmann、Sophie Koch、MET 2014


(2023.5.9 wrote)  オペラ解説に戻る。