オペラ解説:「椿姫」”La Traviata" ジュゼッペ・ヴェルディ作曲

Giuseppe Verdi, La traviata title page - Restoration.jpg

Title page of Verdi, Giuseppe, 1813-1901. [Traviata. Vocal score]. 

 

Harvard University Library

Leopoldo Ratti (1821-1874)

Restoration by Adam Cuerden


 

世界で最も人気が高く、上演回数も多いヴェルディの傑作。今でこそ人気が高いが初演は散々の評判で大失敗でした。

 

失敗の理由は肺病病みのヴィオレッタ役があまりにも健康的だったため、とかリハーサル不足のためとも言われますが、当時の社交界では人間扱いされなかった娼婦を悲劇の主人公に据えたため、人々の反感を買ったとも言われています。

 

作曲者のヴェルディはデュマの戯曲「椿姫」の上演を見て、このオペラの作曲を思い立ったようです。それには彼の個人的な事情が深く関わっていたように思われます。ヴェルディは最初の妻と二人の子供を貧乏生活の中で亡くしていますが、その後すぐに歌手のジュゼッピーナ・ストレッポーニと同棲を始めます(後に結婚する)。

 

彼女はオペラ界の裏事情もよく知っておりフランス語にも堪能だったので若きヴェルディにとって有難い存在でした。また彼女はその生涯を彼に捧げたのです。しかしヴェルディと出会った時彼女は父親の違う私生児をすでに何人も生んでおり、ヴェルディの将来を期待する彼の支援者や地元の人々からはひどく冷淡に扱われていました。

 

愛するジュゼッピーナに対する冷たい視線をヴェルディが感じないはずはありません。「椿姫」のヴィオレッタに気高い人格を与えて主人公にしたのは、彼女を非難する人々への彼なりの反駁だったかもしれない、とも考えられています。

 

*** *** *** ***

 

このオペラの上演が成功するかしないかはひとえにヴィオレッタ役の歌手の技量にかかっています。

 

第1幕には「花から花へ」の華麗で難しいコロラトューラがあります。第2幕では父ジェルモンとの緊迫した会話、そしてアルフレードに対する深い愛と彼女の自己犠牲をドラマチックに歌い、第3幕は死を目前にした絶望感と儚い希望とを密度の濃いピアノで歌うのです。

 

ですからこの3幕を全て完璧に演じられる歌手はあまりいません。多くの歌手は第1幕が得意、または第2・3幕の方が上手い、のどちらかになってしまいがちです。

 

ヴェルディの作品には、歌唱を劇的に盛り上げるため(または歌手が自らを目立たせようとするため)音を勝手に上げることがもはや通例になってしまった箇所が多くあリます。「イル・トロバトーレ」のマンリーコのアリア 「見よ、恐ろしい炎を」(オペラ解説:「イル・トロバトーレ」)などが有名ですが、「椿姫」にもいくつかあります。

 

第1幕ヴィオレッタのアリア「花から花へ」の最後のハイEsや第2幕でアルフレードが出すハイCなどです。実際このように歌われると歌が華やかになることは確かで、これらの高音を出さない歌手をバカにするオペラ愛好家もいます。このような高音を出せる歌手の高い技術は褒め称えて然るべきでしょうが、作曲者の本来の意図は尊重した方がいい、というのがiltrovatoreの基本的な考えです。

 

最後に、アルフレードは若いテノールがインターナショナルで有名になるための登竜門ともいうべき役で、愛に燃えてはいるが視野が狭く、思い込みが強く、暴走する未熟な青年という役どころです。

 

また父親のジョルジョ・ジェルモンは階級意識のはっきりした田舎の紳士で、ヴィオレッタの弱みを見抜いて利用するという狡猾さも併せ持ちます。大体ヴィオレッタにとっては、アルフレードの妹など本当にいるかどうかわからず、ヴィオレッタを丸め込むためのジョルジョの作り話なのかもしれない。ただし、ジョルジョの性格設定は演出によって相当変わります。


前奏曲 

 

ヴィオレッタの死を予感させる旋律が極めて弱音で繊細に演奏される。これは第3幕の前奏曲と同じメロディー。ついで第2幕でヴィオレッタがアルフレードに別れを告げる際の、心の絶唱ともいうべき旋律が奏でられ、続いて第1幕が始まる。それ故この前奏曲を、病床に伏すヴィオレッタの回想、という場面で始める演出もある。

 

第1幕 ヴィオレッタの屋敷

 

高級娼婦ヴィオレッタの屋敷では華やかなパーティーが開かれている。ヴィオレッタはガストーネ子爵からアルフレードを紹介される。その場で歌を促されたアルフレードは有名な”Brindisi”「乾杯の歌」を歌う。

MET 2006  Angela Gheorghiu (ヴィオレッタ)、Jonas Kaufmann(アルフレード、METデビュー

 

当時全く無名なカウフマンはこの公演でブレークし一躍世界のトップスターに躍り出た。いくつかの動画(明らかにゲオルギューを撮影する目的で撮られておりカウフマンはお味噌)でわずかに映るカウフマンの歌と芝居は上手い。ちなみにこの公演の稽古はリハーサル・スタジオで行われただけで舞台でのオーケストラ稽古はなかった (「ヨナス・カウフマン テナー」小学館」)

 


その後、ヴィオレッタは気分が悪くなり倒れ込む。アルフレードは “Un dì, felice”「ずっとあなたに恋をしてきました」と愛を告白する。 

 

ヴィオレッタは彼に椿の花を渡して再会を約束し彼は去る。客たちが去り一人きりになったヴィオレッタは「ああ、そは彼の人か〜花から花へ」を歌う。初めて訪れた恋のときめきに心を踊らせ、しかし現実の自分の境遇を自嘲的に見つめるという2つの相反する思いを続けて歌う非常に難しいアリア。

パリオペラ座 2014 Diana Damrau, Francesco Demuro  アリア最後の部分は高音Esに上げA♭で終えている。

VIOLETTA

È strano! è strano! in core

不思議だわ!変だわ!心の中に

 

Scolpiti ho quegli accenti!

あの人の言葉が刻み込まれている!

 

Sarìa per me sventura un serio amore?

真面目な愛なんて私には不幸でしょ?

 

Che risolvi, o turbata anima mia?

どうしましょう、こんな厄介な心を?

 

Null'uomo ancora t'accendeva - O gioia 

私の心を捉えた人なんて今までいなかったのにー喜び

 

Ch'io non conobbi, essere amata amando!

私が知らなかった喜び、愛する人から愛されるなんて!

 

E sdegnarla poss'io

軽く考えるなんてできないわ

 

Per l'aride follie del viver mio?

今の私の生活が不毛で無意味だからといって

 

Ah, fors'è lui che l'anima

ああ、あの方こそ

 

Solinga ne' tumulti, solinga ne' tumulti

喧騒の中にあって孤独な私の心が

 

Godea sovente pingere de' suoi colori occulti! De' suoi colori occulti!

神秘な色彩で密かに描いていたのは!

 

Lui che modesto e vigile

あの方は慎み深く注意深く、

 

All'egre soglie ascese,

ここに訪ねて来てくださった。

 

E nuova febbre accese,

あの方は新たな情熱で、

 

Destandomi all'amor.

私に愛という情熱を目覚めさせた。

 

A quell'amor, quell'amor ch'è palpito 

ああ、このときめく愛

 

Dell'universo, Dell'universo intero,

全宇宙のときめき。

 

Misterioso, Misterioso, altero,

神秘で気高く

 

Croce, croce e delizia, croce e delizia, delizia al cor.

心に苦難と歓喜をもたらす 

 

croce e delizia, delizia al cor. delizia al cor.

心に苦難と歓喜をもたらす

 

Follie! follie delirio vano è questo!

馬鹿な!馬鹿な!馬鹿げた妄想だわ!

 

Povera donna, sola

哀れな女、たった一人、

 

Abbandonata in questo 

見捨てられて、

 

Popoloso deserto Che appellano Parigi,

パリのこの喧騒の砂漠の中で

 

Che spero or più?

何を望むの?

 

Che far degg'io! Gioire,

何をしたらいい!浮かれて楽しむことよ、

 

Di voluttà vortici, di voluttà perire !

魅惑に満ちた喜びの渦の中に消えてゆくのよ。

 

Gioire, Gioire,

楽しむこと、

 

Sempre libera degg'io

いつも自由に

 

Folleggiar di gioia in gioia,

花から花へと浮かれ騒ぐことよ、

 

Vo' che scorra il viver mio

私は追い求めたいの

 

Pei sentieri del piacer,

快楽の道を

 

Nasca il giorno, o il giorno muoia,

今日生まれようが、今日死のうが、

 

Sempre lieta ne' ritrovi

いつも幸せを

 

A diletti sempre nuovi

世の楽しみを求めて

 

Dee volare il mio pensier.

私の思いは飛んで行くのよ

 

dee volar, dee volar, dee volare il mio pensier, 

dee volar, dee volar, il pensier.

 

ALFREDO

Amore, amor è palpito...  愛、ときめく愛

 

VIOLETTA

Oh! ああ

 

ALFREDO

dell'universo, dell'universo intero,

全宇宙のときめき

 

VIOLETTA

amore   愛

 

ALFREDO

Misterioso, misterioso, altero,

神秘で気高く

 

croce, croce e delizia, croce e delizia, delizia al cor.

心に苦難と歓喜をもたらす 

 

VIOLETTA

Follie! follie! Ah sì! Gioir, gioir!

馬鹿な!馬鹿な!ああ、そうよ!楽しみよ、楽しみよ!

 

Sempre libera degg'io

いつも自由に

 

folleggiare di gioia in gioia,

花から花へと浮かれ騒ぐことよ、

 

vo' che scorra il viver mio

私は追い求めたいの

 

pei sentieri del piacer.

快楽の道を

 

Nasca il giorno, o il giorno muoia,

今日生まれようが、今日死のうが、

 

sempre lieta ne' ritrovi,

いつも幸せを

 

a diletti sempre nuovi,

世の楽しみを求めて

 

dee volare il mio pensier.

私の思いは飛んで行くのよ

 

dee volar, dee volar, dee volare il mio pensier.

dee volar, dee volar, il mio pensier.

 

 

ALFREDO

Amor è palpito

愛、ときめく愛

 

dell'universo, 

全宇宙のときめき

 

VIOLETTA

Dee volar, dee volar, dee volar il mio pensier 

私の思いは飛んで行くのよ

 

ALFREDO

Amor è palpito

愛、ときめく愛

 

dell'universo,

全宇宙のときめき

 

VIOLETTA

Dee volar, dee volar, dee volar il mio pensier,

il mio pensier, il mio pensier !

私の思いは飛んで行くのよ(繰り返し)。

 


第2幕 

 

第1場、パリ郊外田舎の家 

それから何ヶ月後、ヴィオレッタは贅沢なパリの暮らしを捨ててアルフレードと暮らしている。アルフレードは有頂天。” Dei miei bollenti spiriti”「燃える心を」 。しかし彼女は暮らしを支えるため彼女の全財産を売ろうとしている。それに気がついたアルフレードは財産を取り戻そうとパリに出かける。

 

ヴィオレッタが一人でいると、アルフレードの父ジェルモンが訪ねてくる。アルフレードが娼婦に騙されている、と怒り狂っていた彼だがヴィオレッタの真摯な態度に心を打たれ怒りも和らぐ。しかし彼の妹の結婚がヴィオレッタのために破談になりそうなこと、彼の彼女への愛もいずれ冷める可能性などを述べたて、彼と彼女を引き離そうとする。二人の緊迫したやりとりが見どころ聞きどころである。初めは抵抗したヴィオレッタだがアルフレードのために別れることを決意する。

 

父ジェルモンと入れ替わりにアルフレードが帰ってくる。彼女はさりげなく、しかし万感の思いを込めてアルフレードに別れを告げる("Amami Alfredo”)のが下の動画。

 

MET 2019 Aleksandra Kurzak final dress rehearsal

 

 

VIOLETTA

Ch'ei qui non mi sorprenda

私はびっくりしたくないから

 

Lascia che m'allontani... tu lo calma

座を外すわ…お父さんをなだめてあげて

 

Ai piedi suoi mi getterò divisi

お父様の足元に身を投げ出すわ

 

Ei più non ne vorrà sarem felici, sarem felice,

そうしたらお父様も幸せになるし、

 

Perché tu m'ami, tu m'ami Alfredo, 

だって、貴方は私を愛している、私を愛しているわよね アルフレード、

 

tu m'ami non è vero?  

私を愛している、そうよね?

 

tu m'ami Alfredo, tu m'ami

私を愛しているわよね アルフレード、私を愛しているわよね

 

Alfredo, non è vero?

アルフレード、そうよね?

 

ALFREDO

O, quanto... Perché piangi? 

ああ、そうだよ…  なぜ泣くの?  

 

VIOLETTA

Di lagrime avea d'uopo or son tranquilla

泣きたかったのよ、でも今は落ち着いたわ

 

Lo vedi? ti sorrido, lo vedi ? 

わかるでしょ? 貴方に笑いかけているの、わかるでしょ?

 

or son tranquilla. ti sorrido.

今は落ち着いたわ。貴方に笑いかけているの。

 

Sarò là, tra quei fior presso a te sempre, 

私はいつも貴方のそばにある花の中にいるわ、

 

sempre, sempre presso a te.

いつまでも、いつまでも、貴方のそばに。

 

Amami Alfredo, amami quant’io t’amo, 

アルフレード私を愛して、私があなたを愛するほどに

 

amami Alfredo, quan’io t’amo, 

アルフレード私を愛して、私があなたを愛するほどに、

 

quan’io t’amo, Addio!

私があなたを愛するほどに、さようなら! 

 


ヴィオレッタが去った理由をアルフレードは理解できない。そんな時父ジェルモンが現れ息子を慰める。その時歌うのが有名なバリトンのアリア “Di Provenza il mar” 「プロヴァンスの海と陸」

 

しかしフローラからヴィオレッタにあてたパーティーの招待状に目を止めたアルフレードは自分が捨てられたと思い込み、父の制止を振り切ってヴィオレッタを追いかける。

 

第2場、フローラの屋敷

フローラの屋敷でパーティーが開かれており、ジプシー占い師や闘牛士の扮装をしたダンサーによるバレエが上演されている。 ヴィオレッタがパトロンのドゥフォール男爵と一緒に現れたところにアルフレードがやってくる。復縁を迫るアルフレードだが、ヴィオレッタに拒否される。アルフレードはヴィオレッタの真意が分からず、激昂のあまり賭けで儲けた金をヴィオレッタに投げつける。

 

打ちのめされたヴィオレッタ、我に返り後悔するアルフレード、子供を諫める父ジェルモン、そして合唱が場面を盛り上げ、最後にドゥフォールがアルフレードに決闘を申し込んで第2幕が終わる。

 

第3幕 ヴィオレッタの寝室、謝肉祭の日

 

ヴィオレッタは結核がひどくなって余命幾ばくもない。父ジェルモンから彼女に宛てた詫びの手紙を記憶するほどに読んでいて、手紙に書かれてあったアルフレードの帰りを今か今かと待っている。しかし彼は現れず絶望にかられ、”Addio, del passato” 「過ぎ去りし日よさらば」を歌う。このアリアの中で初めて自らを「La Traviata」(道を踏み外した女)と呼ぶ。

ROH Ermonela Jaho  雰囲気に合っている。演技も迫真過ぎて怖いほど。

Addio, del passato bei sogni ridenti,

さらば、美しくも楽しい昔の夢よ、

 

Le rose del volto già sono pallenti;

薔薇色の頬も青ざめ

 

L'amore d'Alfredo perfino mi manca,

アルフレードの愛すら失った、

 

Conforto, sostegno dell'anima stanca

慰め、疲れた心の支えだったのに

 

conforto, sostegno. 

慰め、支えだった。

 

Ah !, della traviata sorridi al desio;

ああ!道を誤った女の願いに微笑みかけてください;

 

A lei, deh, perdona; tu accoglila, o Dio,

お許しください、私を受け入れてください、おお神よ、

 

Ah ! tutto, tutto finì, or tutto, tutto finì!

ああ!全て、全て終わった、今は全てが終わってしまった!

 

Le gioie, i dolori tra poco avran fine,

喜びも悲しみももうすぐ終わるわ、

 

La tomba ai mortali di tutto è confine!

全ての人にとってお墓が最後

 

Non lagrima o fiore avrà la mia fossa !

私の墓穴には涙も花もないでしょう!

 

Non croce col nome che copra quest'ossa!

私の骸骨の上には名前を刻んだ十字架もない!

 

Non croce, non fior !

十字架もない、花もない!

 

Ah ! della traviata sorridi al desio;

ああ!道を誤った女の希望に微笑みかけてください;

 

A lei, deh, perdona; tu accoglila, o Dio.

お許しください、私を受け入れてください、おお神よ、

 

Ah ! tutto, tutto finì, Or tutto, tutto finì!

ああ!全て、全て終わった、今は全てが終わってしまった!

 


そこへついにアルフレードが帰ってくる。再び一緒に暮らそう、と二人は二重唱 “Parigi, o cara” 「パリを離れて」を歌うのが下の動画。(日本語字幕付き)。

東京 1973 レナータ・スコットとホセ・カレラスによる来日公演 

ただし、この二人の二重唱は繰り返し部分が省略され最後も一部カットされている。楽譜に忠実な演奏はこちら(ネトレプコとカウフマンによる二重唱)


ヴィオレッタは喜びのあまり「痛みがなくなった、私は生きられる!」と叫ぶが、力なく倒れ皆に看取られながら息絶える。 (2020.05.20 wrote)  オペラ解説に戻る