オペラの衰退:音楽と乖離したオペラ演出

John Bull at the Italian Opera, print, Thomas Rowlandson (MET, 59.533.1426) CC0, via Wikimedia Commons


 iltrovatoreが大学生の頃(要するにすんごく昔)、第2外国語でとったドイツ語授業はオペラ関連記事が教科書でした。音楽とは無縁な理系学科のための授業だったのですが、担当の講師が某音楽大学のドイツ語授業を兼業していたので(めんどくさいから?)同じ教科書を使ったのではないかと疑っています。

 

それはさておき、その時に読んだ記事の中になぜオペラ演出の読み替えをするようになったかの話が出ていたのを覚えています。は〜るか昔の記憶なので内容はいまいち正確性に欠けるのですが、、、

 

「戦後のドイツはめちゃくちゃ貧乏でお金がない。でもどうしてもオペラを上演したい。そこで一本の棒をあるときは樹木に、あるときは柱に見立てよう。衣装を作るお金などないから舞台上の時代を現代に移し替え現代の服で済ませよう…」とか言う話だったと思います、、、

 

それから時がたち現在のオペラ界は演出家の時代と言われ、演出家がオペラの音楽や台本を無視し、

「(音楽よりも)演出が目新しく目立てばよいと考えているとしか思えない突飛でアホくさい演出」、

「音楽が描き出す世界とは全く異なる『演出家のストーリー』を語る演出」が氾濫しています。

 

iltrovatoreがオペラに出かける最大の理由、それは音楽に浸りたいからです。演出はあくまで補助的なもの、視覚によってオペラの内容に陰影をつけ作曲者の意図をはっきりとさせるもの、または深めるものと考えています。

 

ですから演出家の意図が良かれ悪しかれ何であれ、音楽で表現される作曲者の意図を差し置いてオペラを演出家の主張の場にすることをひどく嫌います。

 

演出家が優秀ならば作曲家の意図を尊重し、たとえ時代読み替えをしても音楽と乖離することなく彼らの思うところを演出できるでしょう。そして演出家の言わんとするところは言葉で説明されなくても聴衆は理解できると信じています。そのような演出はオペラに新たな深みを与えるでしょう。

 

しかし音楽が表現する内容と乖離した演出、それ故演出のストーリーとその意味付けを歌劇場や評論家が説明 (釈明、言い訳、つじつま合わせ) しなくてはわけがわからないような演出は、例え演出家にどんな主張や事情があるにせよ、私は全く評価しないです。

 

演出家は言います。「オペラは盛りを過ぎた芸術で観客は面白いと思わない。そこで我々が新たな設定を取り入れ、オペラの台本に新しい解釈を付け加えて現代の観客を惹きつけるのだ」。

 

要するに前時代的な音楽だけじゃ観客は面白がらないから、(極端な場合キテレツな)演出で面白みを加え、オペラを現在でも見るに耐える芸術にしてやっているのだ、ということです。

 

だけれどねえ、、、

 

音楽と乖離した物珍しい刺激的な演出はオペラを観飽きるほど観ているオペラオタクにとってある程度の面白味があるかもしれない。けれども、新たに参入する観客にとってはどうでしょう?眼の前で上演される演出(演出家の意図)と音楽(作曲家の意図)が全く乖離していては舞台を見ていても何が何やらチンプンカンプンで訳がわからないでしょう。それで彼らがオペラを好きになってオペラの常連さんになるでしょうか? 


音楽と乖離した演出を見ると、演出家が一体どれほど音楽を愛し尊重しているのか疑問に思います。むしろ音楽が表現する世界を理解せず極端な場合はむしろ嫌っていて、単に台本の上に自分の世界を築くことが興味の中心としか思えない演出家が居て失望します。

 

悲しいかな、私のような考えはマイノリティーに属するのでしょうか。

 

私に言わせれば音楽を無視して自らの考えを優先する演出家は他人のふんどしで相撲をとっているようなものです。もし演出家の意図がオペラの音楽より重要と思うなら、演出者が自らの意図に合わせてオペラの楽譜やセリフを大幅に書き換えた方が筋が通ります。演出主体のオペラにリメイクしたらいかがでしょう。

 

著作権が失効しパブリックドメインに移行している多くの有名オペラは基本的にリメイクが可能です。「演出家〇〇氏によるリメイク版オペラ『トスカ』 !」とか、実にオリジナルな作品になりますよ。もしそれが従来のオペラに新たな芸術的重みを加えることができたと評価されたならば、演出家は「オペラ改革の旗手」として名声を得ることができるでしょう。 (注:現在でも舞台に合わせてセリフ部分などをわずかに変えることはありますが、音楽と乖離しないものはあまり問題ない)。

 

オペラ好きの私でも、オペラは既に盛りを過ぎた芸術と思えます。ですからオペラビジネス界がなんとか観客の注目を集め衰退を防ぎたいと考えるのは理解できます。しかしオペラの基盤は作曲家が書いた楽譜であって、演出ではないと確信しています。オペラを救う解決法があるとしても、それは音楽と乖離した演出ではない、と思っています。

 

音楽無視の演出が行きつく先のオペラは音楽がバックグラウンド・ミュージックとしての役割しか持たない演出中心の単なる演劇、しかも純粋な演劇と比べると劣等な演劇、に成り下がってしまうでしょう。

 

それはオペラの主導権を握りたい演出家にとって大した問題ではないかもしれませんし、かえって好都合かもしれません。しかしわたしにとってそのような演出は邪道で、「音楽を主体とするオペラ芸術」が異形化し崩壊して行く一過程を表しているように思われます。  (2022.09.09 wrote) おたく記事に戻る