「アイーダ」第一幕目、初っぱなに歌われるラダメスの「清きアイーダ」。このアリアはテノールの喉が温まりきらないうちに歌わなければならない、アリアの中に三回出てくるB♭(変ロ音)が難しい、とかテノールにとって実に難しいアリアとして知られています。
では実際皆様がどの様に歌っているかというと、例えばパバロッティです(動画)。素晴らしい声、劇的な表現。最後に朗々と響きわたるBフラット。まさにブラボーです。
ただiltrovatoreが気になるのは最後の一節の歌い方です。"un trono vicino al sol!"「あなたの王座を太陽の近くまで(高くあげたい)」という歌詞が3回繰り返されるこのアリアの最後の部分です。この部分の楽譜をみてみましょう。
クリックでポップアップ画像が出ます。丸で囲った記号に注意。
たしかに、楽譜中央上段2番目のBフラット(赤字で示してある)はフォルテとかいてありますが、次の「太陽の近くまで」 "vicino al sol" で一挙にpppp (ピアノ4つ!)になり、曲の最後はピアニッシモ (pp) でしかも3つめの最後のBフラットはmorendo (遅くしながら消えるように) と書かれています。
ヴェルディはアイーダの作曲に大変力を入れていましたので、このpppp〜〜pp, morendoの指定は考慮の末付けられたのだと思います。何故ピアニッシモなのでしょう?
これ以降はiltrovatoreの想像ですが、エジプト人の軍人ラダメスは禁じられた恋をしていたのです。アイーダはエチオピア人の奴隷でしかもアムネリスの侍女です。この恋は絶対に人に知られてはなりません。
まだ軍功を立てる前の政治的に無力な青年ラダメスはアイーダに対する激しく熱い想いを密やかに自分の胸の奥底にしまっておかなければならなかったのです。曲の最後のpppp〜ppそしてmorendoはそんな心の状況を表しているのではないでしょうか。
ところがYoutubeで検索するとアリアの最後を浪々とフォルテで歌うテノールが圧倒的に多いのです。歴代の名テノール達、モナコ、ベルゴンツイ、コレルリ、カレラス等等、殆どパバロッティのように歌っています。ただコレルリには最後のBフラットをmorendoしている動画があります(こちら)。
何故ヴェルディの指定通りに歌わないのでしょう?もちろん自分の芸術的観点からヴェルディの意向はさておきこの部分をフォルテで歌う、という歌手もいるかもしれません。
しかしiltrovatoreはこんな風に考えるのです。オペラはエンターテイメントという重要な側面も持ち合わせています。テノールはオペラの華。劇場に響き渡るテノールの声を聴きたいが為に歌劇場に来る人も多いのです。ラダメスは私たち聴衆にとっては悲劇の英雄で、英雄がこのアリアを(弱音ではなくて)浪々と歌えば私たちもエンターテインされ拍手喝采満足するというものです。
歌手達は自分達が芸術家兼エンターテイナーだとはっきり自覚しているでしょう。そして観衆をがっかりさせたくないとも思っているでしょう。
オペラは観衆の満足や拍手喝采がなくては延命できない芸術だとiltrovatoreは考えています。清きアイーダの最後をフォルテで歌うのは長年の習慣になっており、もはや観衆の脳裏に深く刻まれています。観衆の多くはこのアリアがテノールの朗々とした声で歌われるのを楽しみにしています。iltrovatoreはこのアリアの場合ヴェルディの意向には反しますがフォルテで歌ってもいいのではないかと思っています。
ただし、一言付け加えさせて頂ければ、最後のBフラットを実声でしかもピアニッシモで歌うのはフォルテで歌うより更に難しい。ファルセットで歌えば楽です。しかし完全なファルセットでこの部分を歌うと歌が浅く弱々しく緊張感がなくなりアイーダを強く愛するラダメスの深い想いが消え去ってしまいます。
このアリアの最後の部分を実声またはほぼ実声に聞こえる声でしかもピアニッシモのままmorendoさせて歌うのがヴェルディの目指した歌い方だと考えています。しかしそれは一流のプロにとってもめちゃくちゃ難しいのでしょう。
しかし、ヴェルディの目指した通りに歌ったらどんな風に聞こえるのでしょう。
iltrovatoreが完全にノックアウトされた理想的な歌い方はこれ。ヨナス・カウフマンの「清きアイーダ」。アリア全体を抑え気味に柔らかく歌っています。2番目のBフラットを思いっきりフォルテで歌った後、最後の "un trono vicino al sol!" の繰り返しは楽譜の指定通りにぐっと弱音にして「pppp〜〜pp〜 」で歌っていきます。
最後のBフラットはmorendoさせその声は神殿の外気の中にゆっくりと溶けて消えてゆきます。深い深いアイーダへの想いが胸にあふれているような歌い方です。なんともはや・・・ぐっと心に迫り・・・素晴らしい。これぞ 「清きアイーダ」 。
下の動画、このアリアの最後のB♭はメッサ・ディ・ヴォーチェ(弱音からクレッシェンドしてまた弱音に戻る歌い方)で歌っています。 譜面にはメッサ・ディ・ヴォーチェと指定されていないけれど、歌に表情がでて美しい。
(2017.01.10. wrote) おたく記事へ戻る