若きヨナス・カウフマンが歩んだ道 前半 〜挫折を乗り越えて〜

 

本サイトの「ヨナス・カウフマンのプロフィルー生い立ち」と重なる部分もありますが、世界的に有名になる前の若きカウフマンがたどってきた道を思い起こしてみようと思います。

 

現在世界で最も人気のある歌手の一人となっているヨナス・カウフマンですが、彼は決してシンデレラボーイではありません。20代の若さでカーディフとかオペラリアなどの有名なコンペティションで優勝し一気に人気者になる歌手もいますけれど、彼はこれらの歌手とは全く異なる道を歩んできました。

 

むしろ手酷い挫折を乗り越え、地道に努力を続け、「階段の一番下から一歩一歩登り」(1)、ついに成功した歌手と言ってさしつかえないでしょう。

 

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彼は1969年生まれ。幼少よりオペラに興味があり合唱団などで歌っていましたが、大学は数学科に進学。しかし歌をあきらめきれず大学を中退して音楽大学に進学します (詳しくは本サイトの「プロフィル/生い立ち」を参考にしてください)。

 

学生時代の彼の様子をうかがい知ることができる唯一(?)の映像と思われるのが下の動画で、彼は「マノン」の「夢の歌」を歌っています(1993年)。まさにリリックテノールの軽く明るい声で、これだけ聴いていると彼の発声になんの問題もないように聞こえます。しかしこの発声は後々重大な問題を引き起こすことになります。

 

1994年(25歳) 大学を優秀な成績で卒業した彼はザールブリュッケンの専属歌手になります(2)。しかしこの劇場でプロとして毎日のように歌った結果、頻繁に声がしわがれるというトラブルに見舞われます。極めつけはちょい役のParsifalの従者役さえ歌いきれず舞台上で声を失なう、という大失態をしでかします(3)。

 

何年か後、彼は「自分が良いと信じる声 (注:ドイツの明るく軽いリリックテノールの声) に近づけるために自分の声を操作し、高音を絞り出し、喉にプレッシャーをかけて歌っていた。これはまったく喉には良くないことだった。」(3)と述懐しています。

 

しかし舞台上で声を失うなど歌手としては致命的で、素人の私でさえこれが繰り返されたらプロ歌手として生き続けることはできないだろう、と思います。

 

実際、彼の”About me” (以前カウフマンの正式サイトに掲載されていたが現在は削除されている)を読むと、この時期彼は自信を失い、プロ歌手を諦めるかどうか迷い、精神的に相当追い詰められていたように感じられます。

 

そんなとき彼は友人の紹介でマイケル・ローズ氏と出会います(1995年)(1)。マイケル・ローズ氏は彼の声が不自然でこわばり、本来持つ彼自身の声で歌っていないのに即気づきました。そして「発声を変え、自然な声で歌う」ように助言してくれました。

 

そしてローズ氏の指導のもと、20代の後半になって彼は皆に褒められる甘い優しい歌い方を捨て、一から出直したのです。

 

とはいえ一旦確立した発声法を根本的に変えるのは歌手にとって一大事業です。訓練されたプロ歌手であれば発声に関わる筋肉群は歌っている時無意識的・条件反射的に動いてしまうのです。体に染み込んだ条件反射的動きを完璧に抑え込み、「発声に関わる筋肉群を不自然に操作しない」という新たな動き・・・・・を体に完全に覚え込ませるには鍛錬と根気が必要です。

 

更に言えば発声法は極めて感覚的・個人的なものです。多くの場合指導者は正しい方向を示すだけで、歌手は体の内部感覚を頼りに試行錯誤しながら自らの発声法を確立するしかないのです。

 

後のインタビューで彼は、

 

「口を開け、リラックスして、操作せずに音をだすのは簡単なように聞こえますが、(声を)うまく操作できるようになるまでには長い時間がかかりました。・・・・・・ 私はあまりにも(正しい発声の)ルートから外れてしまいました。自分の声の中核がどこにあるかを探し出すため、自分の声の限界すなわち高音域の反対の低音域、を探ってゆきました。その声はバリトンの声の様でもなく、他の人が僕の声を聴いたら僕は高音などまったく持っていないように思えたでしょう。」(3)

 

と語っています。

 

このような努力の結果得られた新たな歌い方が出来るようになってから彼は長い時間歌っても疲れなくなり(3)、喉の心配をすることなく音楽そのものに没頭出来るようになったのです。

 

しかし苦労して得た新たな声も「ひどい(声)!」「音が平板で恐ろしく悪い」等と評判が悪く、みんなは「ヨナスの声は2,3年でだめになる」と思っていたらしいです(3)。

 

1 "The Man Who Found His Voice: Jonas Kaufmann – Romantic Arias and Tosca" Classical Source, 12. May 2008)

2. Saarbrucker Zeitung 1994.9.14

3. operaUK 2008.12 People:352 Jonas Kaufmann

 

後半に続く   (2023.03.04 wrote) おたく記事に戻る


若きヨナス・カウフマンが歩んだ道 後編 〜階段の一番下から一歩一歩登る〜

 

周りがなんと言おうと彼は新たな「声」を信じていたようです。彼はザールブリュッケン歌劇場を辞めてフリーになり、オーディションを受けながら色々なところでちょこちょこ歌っていたらしい。

 

その一つが1997年ハイデルベルクでのロンバーク作曲オペレッタ「学生王子」"The student prince"。動画は"Deep in my heart" 「我が心の奥深く」。 ローズ氏に発声の指導を受けていた頃で、今よりずっと明るく軽い声です。

 

次は1998年ピッコロ座での「コジ・ファン・トゥッテ」。カウフマンはフェルランドを歌っています(下の動画)。このアリアを聴くと彼の声がかなり強くなっているように感じられますが、反面歌い方がいまいちと感じられるところがあるように聞こえるのは私の気のせいでしょうか。

 

ちなみにカウフマンは2000年に来日しこのフェルランド役を歌っています。ですがこのカウフマンが世界的に有名な歌手になるなど、当時の日本人の誰が想像したでしょう

 

同1998年にはシュトットガルトで「フィデリオ」のヤッキーノを歌っていますが、声に張りと強さが出て歌い方もなめらかになっている感じがします。 (下の動画)

 

その後1998-2000年頃はシュトゥットガルト歌劇場などでよく歌っていて、ロッシーニ「セヴィリアの理髪師」のアルマヴィーヴァ伯爵なども演じていたようです。現在の彼の重い声を考えるとこの役を歌ったなどまったく信じられないですが、、、

 

2001年(2000年?)、30歳くらいで彼はフリーランスを辞めてチューリッヒ歌劇場の専属歌手となります。この劇場で彼は多くのドイツ、イタリア、フランスオペラを歌い、30代半ばで非常に広いレパートリーと舞台経験を持つに至ります。

 

この頃に歌っていたオペラというと、例えばチューリッヒ歌劇場での「フィデリオ」(2004) フロレスタン。声はもとより歌唱表現も深くなり、第2幕出だし”Gott!”のピアノからフォルテに持ってゆく歌い方なども非常に上手いです。(下の動画)

 

またフランスオペラ「ファウスト」(2005) も印象的で、ファウストのアリア「この清らかなすまい」(下の動画、56:00くらいから)はアリア最後の部分ハイCでフォルテからディミュニエンドするところが素晴らしい。既に弱音でのエモーショナルな表現が十八番のカウフマンになっています。

 

面白いのは以下の映像。スイスのTVの断片ですが、「リゴレット」のマントバ公を歌うカウフマンの舞台姿、練習風景、家族との日常、サッカーをする姿等が写っています。(若かりしエレナ・モシュクも写っています)

 

この時期は専属とはいえ海外での活躍も目立ち始め、2002年ブリュッセルモネ劇場で「ファウストの劫罰」(ファウスト)、  2004年ロンドンROHで「つばめ」(ルッジェロ)などを歌っています。下の動画は2004年パリバスチーユでの「オテロ」(カッシオ)です。歌もうまいが芝居も大胆でうまい。脇役なのに圧倒的な存在感があります。

 

チューリッヒ歌劇場専属時代 (2000〜2009) の彼の歌はYoutubeで聴くことができ、本サイトの「映像・音楽」にもいくつか載せてあります

 

彼はチューリッヒ歌劇場で圧倒的な人気を誇る看板歌手となり、「彼はおそらく過去50年の間にドイツが産んだ最高のテノールだろう」(4)という評論もでてきていましたが、世界的には未だ無名でした。その状況を一気に変えたのがMETにおける「椿姫」(2006) のアルフレード役でした。METではまったく無名だったカウフマンはこの公演であっという間に世界オペラ界注目の的となり、世界中の一流歌劇場から出演依頼が殺到します。この時彼は36歳でした。(下の動画)

 

そして同年2006年の終わり、ROH「カルメン」でドン・ホセを歌いその圧倒的な上手さで評論家達を仰天させ、彼の名声は急速に高まります。それ以降は皆様ご存じの通り。以降ほぼ全ての公演を成功させて世界のトップスターへの階段を駆け上がってゆきます。(下の動画)

 

1."The Man Who Found His Voice: Jonas Kaufmann – Romantic Arias and Tosca" Classical Source, 12. May 2008)

2. Saarbrucker Zeitung 1994.9.14

3. operaUK 2008.12 People:352 Jonas Kaufmann

4. The Gurdian, 2002.11.28

 

(2023.03.13 wrote) おたく記事に戻る