2018 MET鑑賞記 1. 「西部の娘」 2018.10.17.公演, NY, MET

 

今回のMETでは「アイーダ」「サムソンとデリラ」「西部の娘」の3公演を鑑賞しました。様々に考えることが多かった3公演でした。まずは最後に観た「西部の娘」です。

 

「西部の娘」は主役のミニーをウエストブルック、ランスをルチッチ、そしてジョンソン/ラメレスを前半ユーシフ・エイヴァゾフ、後半の4公演をカウフマンが演じます。私が観賞したのはカウフマンが初めて出演する回でした。

 

舞台は一幕目が酒場、二幕目がミニーの山小屋、三幕目がいかにもゴールドラッシュ時代の西部の町と言った感じです。昔からある演出で舞台に新しさはありません。しかしさすが本場。ずっしりとした臨場感があります。

 

第1幕、ミニーは言い寄るランスをさりげなく振ります。その後すぐカウフマンが見知らぬ男ジョンソンとして登場しミニーと言葉を交わします。その声が何とも良い。

 

私は今年ウイーンの「シェニエ」、ミュンヘンの「パルジファル」で彼の実声を聞いているのですが、今回が一番美しいと感じました。密度が濃く、厚いビロードのようになめらかな、そして深々とした声。大きな声ではないのですがふくよかで響きが良くしっかりと聞き取れる。そして高音の輝かしさが何とも魅力的です。絶好調ですね。

 

特に第1幕の最後、酒場を出てゆこうとしたが一瞬思い直してミニーの所に戻り、「あなたはよい娘さん、天使の顔を持っている」と歌うところが素晴らしかった。歌い方や演技にわざとらしさは全く無く自然体でありながらとろけるようで、これぞカウフマン!

 

カウフマン演ずるジョンソンはプッチーニの他のオペラに出てくるテノールとは毛色の異なる男です。ヒーローではありません。母や弟をたべさせるためにやむなく盗賊になり、しかし根っからの悪人にはなりきれず盗むだけで人を殺さない。心に葛藤を抱えており、ただ隠れ、逃げるだけ。最後はミニーとミニーを慕う男達のお情けで命を助けて貰う情けない男なのです。

 

この様に屈折した心を持つ男がルドルフォやカラフの様に自分の愛を思いっきりのフォルテッシモで朗々と歌い上げるとはとても思えません。最後の有名なアリアにしても、「皆さん御願いですから、ミニーにこう言ってくださいね」と嘆願する内容なのです。カウフマンはこのオペラ全体をレガートに甘く切なく美しく歌い上げていました。それは私が考えるジョンソン像とぴったり重なりました。

 

一方、主役のウェストブルックです。以前よりスマートになってとても美しい。法を犯す危険を物ともせず積極的に愛をつかみ取る西部の女を上手く演じていました。

 

ミニーはドラマチックソプラノの役です。ただしブリュンヒルデをふつうに歌えるくらいの歌手でないと歌えない難役だというのを実感しました。現在ミニーを歌いこなせる数少ないソプラノの一人が彼女でしょう。実際美しい声でとても上手に歌っていたのです。

 

しかし私には不満が残りました。オーケストラと張り合う大声を出す為なのか、強い声で高音を張る場面はほぼ全て、声がつぶれて響きが失われているのです。この高音がつぶれた歌い方はワーグナー楽劇でもしばしば耳にします。私にとってはまことに残念な歌い方なのですが、このつぶれた声に対する批判はなく、むしろオーケストラと張り合える大声を褒める論評ばかりですね。

 

ま、この様な事は個人の価値観というか好みによるところ大なので、良い悪いの問題ではありません。一昔前はオーケストラを凌駕する「偉大なる声」に絶対的な価値がありました。現在でもそう考える人は多いかも知れません。ただ、カウフマンは決して絶叫しません、吠えません、オーケストラと張り合いません。常に美しくリリックに歌うことを心がけています。それが彼の「クレド」のように思えます。

 

この様な事を考えていたためか、ルチッチに対する感想は無し。記憶に残っていないのです。申し訳ない。

 

カウフマンの演技は今回も秀逸でした。決して派手ではないが自然にあふれ出る演技、しかもこの人ならではのディテールが楽しい。動作の演技と歌での演技が相まって効果を上げています。MET HDでお楽しみ下さい。

 

そう、思い出しました。ミニーとジョンソンが皆に許されてカリフォルニアから立ち去る幕切れ直前の場面、ルチッチの演技がなかなかよいです。ついでに言えば、お馬さんに乗っかったカウフマン、居心地が良いようには見えませんでした。ひやひやものでこちらまで緊張しました。

 

この公演は一幕毎に聴衆がヒートアップしていきました。最後、オペラが終わったとたんに私の前(私の席はオーケストラ席後方)に座っていた人のほぼ全員が立ち上がり熱烈なオベーション。カーテンコール写真も人々の頭の間をぬってやっと撮ることができました。(バイエルン歌劇場では観客が座ったまま足を踏みならすため写真を撮りやすいが、ここは・・・・だめですね。)


 

カウフマンは今後遠方で歌う場合 (当然METを含む)新演出など長期間の滞在が必要とされる公演には出演しない、と表明しました。ふつうオペラ公演を主催する側の歌劇場は強い力を持っており、その日雇いのフリーランス歌手(一般のソロ歌手)の立場は弱いです。しかし以前の記事にも書きましたように、METは自らの意向に反したカウフマンの出演条件を受け入れざるを得ませんでした。

 

勿論カウフマンとて、ここでMETの意向に逆らえば永久にMETで歌えないという可能性を考えた上での決断であったろうと思われます。しかしこの決断はMETの経営陣やThe New York Times等のNYメディア関係者にとって面白かろうはずはなく、その複雑な心境は今後も様々な記事の中に現れて来ることでしょう。

 

しかし、私が今回出会ったMET opera shopのお姉さんや、backstage tourで案内を担当したMET教育部門の方は、「やっとカウフマンがMETで歌ってくれることになった。今回は絶対にキャンセルしない。本当に嬉しい!」と手放しで素直に喜んでいました。この辺の感想が一般的なニューヨークオペラファンの本音かもしれません。

 

ちなみに、今回のbackstage tourでは、最後にカウフマンが使用する控え室に案内されました。彼が本日 (17日でした)使う帽子やコート、ピストルなどがさりげなく置いてある狭い部屋でしたが、「一時間後には彼がここに来てメークアップする」と聞かされると何故か感慨深かったです。 (2018.10.21. wrote)