トゥーランドット バイエルン州立歌劇場 2019.7.13.公演

(+「トゥーランドット」 新国立劇場 2019.7.20.公演)

この動画はiltrovatoreが実際にみた公演ではないが、演出が奇抜で面白い。


今回の演出はCarlus Padrissa - La Fura dels Bausで、新演出ではありません。

 

しかしiltrovatoreが観たのは初めてで、あまりの演出にぶっ飛びました。様々なイマジネーションが始めから終わりまで尽きること無く、次から次へとものすごいスピードで繰り出されるので場面場面を記憶出来ません。

 

まずは着席すると手渡された片目赤片目青の3Dメガネ。はぁ〜?いったいどの様に使うのだろう?・・・答えは簡単。字幕の横に「3Dメガネ印」が出ている間、メガネをかけていればいいのです。

 

しかし、細かいことを考える余裕はありません。舞台の平面と立面一杯にイメージが広がります。中央に巨大な円盤が現れ、3Dメガネをかけるとこの円盤の外縁から光の炎が様々に形を変えながら観客に向かって放出されます。

 

そしてその円盤の中心から「北京の人々よ、トゥーランドット姫は3つの謎を解いた者の花嫁となる・・・」という声が聞こえてきます。輪の中央に歌手は見えるものの、声が円盤の中から印象的に響いてくるのです。

 

北京の人々の服装髪型は基本中国風ですが、種々雑多に見えます。フィギアスケート靴を履いたお姉さん方が舞台を滑り廻るわ、宇宙服の如き装いをした人が出てくるわ、王の輿の前をカーリングしながら露払いしているような人々もいるわで、これはいったい全体何事か?

 

かと思えば、舞台天井からシルク・ド・ソレイユばりにくるくると回転しながら降りてくる人々もいますし、まるで曼荼羅を思い起こさせるようなイメージも出てきます。

また沢山の頭部(骸骨?)がまとまりながら上下左右に動き回り、その周りを流れるような赤い雲(血潮を表していると思われる、プロジェクションマッピング)が取り囲むという濃厚な「死」のイメージもありました。

 

全体的に観れば「はちゃめちゃ」ですが、下品でも猥雑でもなくそれなりの統一が取れている感じでむしろ引き込まれてしまいます。そして歌手・合唱団達の姿はめくるめく演出の一要素と化しています。

 

まったく何と金のかかったエンターテイメントなのだろう!! 不協和音の溢れたプッチーニ音楽がその「はちゃめちゃさ」と上手く溶け合ってプラスの効果を出している。

 

この様に強烈で刺激の強い演出の場合、歌手の声がしょぼいと観客がしらけるのですが、今回は主役達全てが非常に良かったのです。

 

まずはティムール役のTsymbalyuk。 MET HDの「トゥーランドット」で既に知っている声ですが実際はHDで聞くよりも更に深々と良く響く声です。惚れますね。

 

またカラフ役のStefano La Collaは力強いスピントな大声。これだけ強い声を出せるテノールは滅多にいないでしょう。注目のテノールです。

 

リュー役はGolda Schultzという昨年までこの歌劇場のアンサンブルメンバー(座付き歌手)だった人。ソフトな高音を出すのが上手く、リューのアリアも情緒たっぷり、柔らかくよく響く声で歌いきり、最後のカーテンコールで盛大な拍手と足踏みを貰っていました。

 

しかしなんと言ってもニーナ・シュテンメです。第2幕、炎を繰り出す大輪の中から “In questa Reggia,・・・”「遠き昔この宮殿の中で・・・」 と、強靱でドラマティックな彼女の声が響き渡るのです。風邪をひいています、と言うことでしたが、なんのその。

 

トゥーランドットが持つ強大な権力、傲慢で冷たい姫のイメージがくっきりと浮かび上がります。

 

3つの謎かけの場面も面白かったです。姫は大きな三角形の頂点、上の方に居るのですが、カラフに謎を解かれる度に、その三角形ががらがらと崩れて行き、最後彼女はカラフと同じ高さの舞台平面に立つことになります。

 

音楽と相まって姫の居丈高な世界が崩れてゆくのを見事に可視化しています。シュテンメの芝居も上手かった。

 

第3幕最後の場面も印象的。リューは高い位置で縛り上げられ、彼女を360度ぐるりと取り囲む竹槍 (?) に刺されて殺されるイメージですが、竹槍の先が全てリューに向けられている為、中心にいる彼女の貴い犠牲が際立ちます。

 

そのリューを見てトゥーランドットの心は解け、倒れているティムールを優しく助け起こし、リューの死を悼む、という場面で終わります。

アルファーノの加筆部分は演奏せずプッチーニが作曲したところまでで終わりにするこの演出は以前来日したバーリ(だったかな?)でも見ましたが、案外自然で良いです。

 

今回演出家は下手な自己主張をしていません。彼はこのオペラから受ける印象を元にイマジネーションを自由奔放に膨らませ舞台化したようです。

 

それこそめまぐるしく動くぶっ飛んだ舞台ですが、オペラの音楽と溶け合い、音楽が表現したい内容を的確・明快に示し、オペラの進行を邪魔しません。

 

いや〜、iltrovatoreは口をあんぐり開けて観ていました。ものすごくゴージャスなエンターテイメントでしたが、とても全部を把握しきれません。ああ、面白かった、もう一度(この歌手陣とこの演出で)観たい!

(2019.7.19. wrote)

 

追記:「トゥーランドット」 新国立劇場 2019.7.20.公演

バイエルンのオペラを観た一週間後、新国立で「トゥーランドット」を観ました。舞台三方は立体的に作られ宮殿は上からつり下がるというよく考えられた大仕掛けな装置で、基本的にクラシカルなイメージです。

 

これもLa Fura dels Bausに属する演出家による演出なのですね。この演劇集団は世界の歌劇場で大流行みたいです。

 

今回は特に合唱が上手かったです。主演歌手達のレベルもかなり高かった。演出はもう少し動きを付けた方が良かったのではないかと思う部分もありましたが、とにかく気合いの入ったオペラでした。

 

オーケストラはいまいちの印象。テンポが遅めで時折緊張感に欠ける感じがしました。

 

しかしともあれ、新国立が頑張ると、バーリやボローニャ、パレルモ・マッシモなどイタリアの歌劇場と同じか、それ以上の実力を発揮する!新国立もやりますね。

 

しかし、一週間前に観たバイエルン歌劇場オペラの記憶が生々しい今この時、今回のオペラを観ながらの感慨は、「一流になるのも大変だが、Top of the topになるのは更に難しい・・・・」、です。

 

過去何年の間に観たバイエルン歌劇場のオペラを思い出しますと、、、好き嫌いはともかく、、、かの歌劇場における演出のイマジネーションの広がりとスケールの大きさは脱帽もので、主役歌手達の圧倒的な歌唱力と演技力、端役に至るまで全ての歌手達の充実した声の響きと演技の巧さは文句の付けようがない。

 

それらを総合したバイエルン歌劇場の実力・レベルの高さは感嘆するしかなく、普通の一流ではなかなか到達出来ないグレードだと感じました。 

 

追記2:

珍しくも、フランスのオペラサイト“ForumOpera”に今回の「トゥーランドット」新国立劇場、に対する評論 par Camille de Rijck (https://www.forumopera.com/turandot-tokyo-new-national-theater-turandot-mater-dolorosa)が載っていました。

 

日本発のオペラが注目され、きちんとした評論がこのサイトに載るだけでも素晴らしい。

 

今回の演出はフランス人に取ってさしたる面白みはないようですが、大野和士指揮者とオーケストラを褒めていますし、歌手にはおおむね好意的。「ローカルスター、中村恵理」も褒められています。

 

そしてご当地芸術家達は素晴らしいレベルで、特に子供コーラス(大人に関しては書いてなかったです)のイントネーションは非常に良いと書かれています。

 

で、総合評価のハート印ですが、2つ(満点4つ)。彼らから観ればまあまあの出来と言うところでしょうか。 (2019.7.22. wrote)

鑑賞記に戻る