「ピーター・グライムス」ウイーン歌劇場 2022.1.29公演(音声のみストリーミング)

 

もともと人気のないこのオペラYoutubeに上がっている全曲もあるけれど、英語で歌っていても字幕なしだと何歌っているかわからない…。著作権がまだ生きているのでパブリックドメインに台本も楽譜もアップされていない(ぶつぶつ)。

 

とはいえ、ラジオ放送があるだけマシでしょうか。日本では1月30日を含め7日間はこのサイトを介して聞くことができると思います。

 

人間は「外からの刺激を認識する時その70%を視覚に頼る」のだとどこかで見た覚えがあります。いったい聴覚の情報だけでオペラの感想記を書いてよいものか、演奏会方式でもないのに??? とまれ、私の想像力を働かせての鑑賞記なのでだいぶピントの外れたことを書くかもしれませんがお許しあれ。あまり馴染みのないオペラなのであらすじを少し付け加えながら書きます。

 

このオペラは間奏曲が印象的できわめて美しい(「4つの海の間奏曲」として独立して演奏される)。特にプロローグと第1幕の間に出てくる "Dawn"(夜明け)と題がついている間奏曲がなんともいえない。いまだ暗い夜明け前、空にかかる銀色の月の淡い光に照らされ、ただ波が打ち寄せるだけの荒涼とした海辺が思い浮かびます。

 

プロローグ&第1幕

グライムスは徒弟 (apprentice) が漁の最中に死んだ責任を問われ裁判にかけられています。しかし偶発的事故であったとして罪に問われず、人々は不満げで彼に冷たい。彼に同情的なのはエレン(リーゼ・ダヴィッドセン)とバルストロード(ブリン・ターフェル)のみ。

 

エレンを演じるリーゼ・ダヴィッドセンは非常に上手いです。声は密度が濃く滑らか。高音域も潰れることなく、心をくすぐられる弱音も思いのままで強弱を完璧にコントロールしています。たしかに傑出した声で、音声放送だけではよくわかりませんがデカ声だったそうです。

 

ヨナス・カウフマンについて、このオーディオ放送の説明に「カウフマンは美しいサウンドを求めてはいない。むしろグライムスのもろさを表現しようとしている」と書いてあります。しかし張りのある暗めの彼の声は健在。第1幕はむしろ強い感じ。村の皆に対して憤っているせいかもしれない。

 

嵐を避けて村人が集まっている酒場でグライムスは有名な "Now the Great Bear and Pleiades..."(今、地が動き、大熊座とスバルは人の悲しみの雲を描いている・・・)を歌います。カウフマンはE音の連続を抑制的ながらも大きなレガートの弧を描きながら歌います。しかもそのレガートの中に微妙な膨らみがついて表情豊か。さすがです。

 

第2幕

人々の冷たい視線を物ともせず小屋に連れ帰った第2の徒弟に対するカウフマンの歌い方は威嚇的。美しい歌い方ではない。これじゃあ嫌われるのが当然と感じられる。彼は喉の渇きで死んでしまった第1の徒弟を思い出している。これも自責と鬱積した怒りが入り混じる歌い方。

 

しかし彼の住む小屋に群衆が迫ってくる(群衆の声が近づく)と子供を崖下に追い出し彼も逃げ出すが子供は誤って崖を滑り落ち死んでしまう。

 

第3幕

数日後、第2の徒弟が着ていた上着が海岸に流れ着き、グライムスが第2の徒弟を殺したと信じる村の人々は彼を糾弾し雄叫びをあげている。群衆が去り静寂の時間が訪れると、何日も海で漂流していた彼が一人で船からあがってくる。

 

グライムスは「最初の子はただ死んだ、2人目は墜落死、3人目はどうなんだ? ピーター・グライムスはここにいるぞ!エレン、あなたの手を差し出しておくれ、あんたの同情なんぞくそくらえ」などと取り留めない様々なことを口走る。

 

彼の長いモノログをカウフマンは何かに取り憑かれたような強い声とメッサヴォーチェを取り混ぜ、狂ったように歌う。この部分グライムスの苦悩を表していて最高。ううっ、この辺を彼の演技付きで見たかった。絶対素晴らしかったに違いない!

 

グライムスはもはやこの漁村で生きてゆくことができない。バルストロードが彼にセリフで「お前を船に連れて行ってやる。船で沖に出ろ、そこで船を沈めろ、サヨナラ、ピーター」と言い、このオペラの1幕の最初の間奏曲のメロディーが静かに奏でられる。

 

おそらくグライムスはよろよろと船に向かって歩き出したのだろう、、、、と想像します。ここも映像で見たかったなあ。

 

翌日。沿岸警備隊から沖合で船が沈んでゆくとの報告があるが、人々は何事もなかったかのように「噂のひとつ」と片付けて、幕が降りる(はず)。

 

ブラボー多数。評判良さそうです。 (2022.1.30 wrote) 鑑賞記に戻る


評論から見えてくる 「Peter Grimes」 ウイーン歌劇場公演 (鑑賞記と重複部分あり)

 

コロナ以前ならカウフマン、ダヴィッドセン、ターフェルとくれば全ての公演が完売というところでしょうが、今回はどの価格のチケットもあまり放題。やはりオミクロンがオーストリアを席巻しているせいでしょう。

 

そのオミクロンにもめげず開催された今回の公演はここに引用した評論以外でも非常に良い評判です。主に主役のカウフマンとダヴィッドセンに関する記述が多い。ターフェルの歌と演技は十分に良いけれどもさほど注目を浴びてはいないというところか。 

 

ダヴィッドセンはもう直ぐ35歳になる若手ですが、すでに彼女の世代で抜きんでた存在になることは約束されている感があります。特にいくつかの評論でも言われているのは声が大きいと言うことで、他の歌手と声量的にバランスが悪いかもしれないです。まあ190cm近いあのガタイですから出る声も大きいのかなあ。

 

いくらか辛めの評論もあったことはありましたが、彼女は「若々しい輝きと新鮮さを持つドラマチックソプラノなのにもかかわらずみずみずしく美しい」 (1) と、今回も大方評判がよろしいです。

 

カウフマンに関して「彼(グライムス)は好かれる性格ではなく車輪の下敷きになる最低な人物である。したがってカウフマンが求めるのは美しいサウンドでは無い。むしろもろい存在で、それは彼の声にも反映されている。」 (2) と書かれているように、

 

確かに彼の声が荒々しく美しくは聞こえない場面や弱々しく頼りない場面がありました。が、それはグライムスの心情をはっきりと表すためだということは評論を読まずとも単に聞いているだけではっきりと理解できます。一方、彼の “Now the great Bear and Pleiades” は手放しで称賛する評論もあるくらいで、実際素晴らしかったです。

 

ファイナルシーンで、「グライムズの『狂気のシーン』はほとんど死んだ少年に向かって歌われ、バルストロードが船を沖に出して沈めろと叫んだとき、グライムズはすでに死体を片方の肩に乗せて旅立っていった」(3) そうです。

 

う〜ん、これは印象的。グライムスの心の弱さを顕在化させたのが今回の演出のようにも思えます。とはいえ今回は新演出ではなくリバイバル演出なので、演出家による演出云々というよりもグライムスに対して深い解釈を試み表現したカウフマンの歌と演技が観客や評論家の共感を誘ったのかもしれません。ただし、私自身がこの公演を見たわけではないので推測の域をでませんが。

 

グライムスは人とコミニュケーションをとることができず、無愛想で乱暴でいいところなどありません。その一方彼は社会から排斥されて孤独感と怒りに苛まれています。その上エレンと結婚するという唯一の希望も打ち砕かれ絶望しながらも、死んだ徒弟達の死に涙する人間なのです。評論から推測するに、カウフマンはそんなグライムスの心の柔らかいところ、特に弱いところを極めて明確にしかもエモーショナルに表現していたのでしょう。それゆえ彼の歌と演技はどの評論でも絶賛されているのだと考えます。

 

最後に評論全体の論調からみて、今回の公演は「暗く、重く、救いがなく、共感もできず、面白くない」というこのオペラの評価をぐっと高めたように見えます。グライムス歌いというと、Peter Pears, Neil Shicoff, Jon Vickers などが有名ですが、カウフマンは新たなグライムス像を作り上げたのかもしれません。実際の映像付きで見てみたいものです。

 

参考記事

(1)  ウイーン歌劇場のページ:Kleine Zeitung online, 27. Jänner 2022 

(2)  VolksBlatt 2022.1.27

(3)  SlippedDisc.com 27 January 2022 By Larry L. Lash (2022.2.9 wrote) 鑑賞記に戻る