鑑賞記 「アイーダ」パリオペラ座無観客公演 ストリーミング 2021.2.19

 

今回の公演はSandra Radvanovsky(アイーダ)、Ksenia Dudnikova(アムネリス)、Jonas Kaufmann(ラダメス)、Ludvic Tezier(アモナズロ)、Dmitry Belosselskiy(ラムフィス)という超豪華な歌手達。指揮はMichele Mariotti、新演出で演出家はLotte de Beerです。

 

結論から言うと、主演歌手達は皆絶好調で素晴らしく充実した歌唱だったと思います。いや〜素晴らしかった。一方演出ですが、もし観客がいたら強烈なブーをくらったと確信します。

 

まずは音楽から。

タイトルロールのRadvanovskyです。METで「ノルマ」の主役をするだけあって素晴らしい声楽技術と表現力を持っているのを再確認しました。彼女は三人のバリトンを相手にしても声量で打ち勝つほどの大声を持つのですが、今回のアイーダは特にピアニシモを多用して苦しみ悲しみを表現していたように思います。

 

私は揺れの大きな彼女の高音ビブラートが少々苦手です。しかし特に第3幕の「我が祖国」は絶望的な悲しみがよく伝わってきました。うまく歌うのが特に難しいアリアなのですが、ドラマティックなフォルテッシモと美しいピアニシモを使い歌いこなしているのに驚嘆しました。また第4幕最後の場面。高音ピアニシモにめっぽう強いカウフマンとの二重唱も、柔らかく美しいピアニシモで応戦していました。いや素晴らしいソプラノです。

 

次はカウフマン。昨年夏のアイーダ(演奏会方式)、バイエルン歌劇場での「ボエーム」、ナポリでのカヴァレリア・ルスティカーナ(演奏会方式)と好調が続いていますが、今回も絶好調。張りのある強く輝かしい声が懐かしい。彼のオペラを鑑賞するため早く欧州に出かけたい。

 

第1幕の「清きアイーダ」まずは高音フォルテ充実して響きも高め。滑らかで美しく長いレガートが印象的。息が長くて普通ワンブレスするところもブレス無しで歌います。歌が大きな弧を描いて会場に響いているであろうことが想像できます。最後の  "un trono vicino al sol!  un trono vicino al sol!"。お約束、最後の高音B♭はピアニシモ、しかもクレシェンド、デクレッシェンドを加えたメッサ・ディ・ヴォーチェで歌われ、なんとも美しい。このウルトラCのような歌い方を完璧に使いこなせるのはおそらく世界でもカウフマンただ一人でしょう。

 

第4幕第1場。囚われたラダメスはアムネリスに懇願されてもアイーダへの愛を貫き通します。アムネリスとラダメスの二重唱は劇的で迫力がありました。激情に突き動かされるカウフマンの芝居もうまいです。うっとおしいパペット(後述)が出てこないので安心してこの二人の歌に集中することができました。

 

第4幕第2場。上にも書きましたが、地下牢の中でラダメスとアイーダは来世での愛を願う二重唱をごく柔らかいピアニシモで歌います。いやこのようなハイレベルの歌唱はなかなか聴けません。素晴らしく美しかった。上手い!上手いです。

 

テジエはいつものようによく響く声で安定した歌を聞かせてくれます。特に印象に残ったのは第3幕 「ラダメスを騙してエジプト軍が攻撃に使う道を聞き出せ」 とアイーダに迫る迫力の二重唱でした。

 

アムネリス役のKsenia Dudnikova、降板したガランチャの代役でしたがきちんと役目を果たしたと言う感じです。なかなか迫力のあるメゾ声でいい感じです。トップ歌手達に混じって堂々と歌っていました。

 

Dmitry Belosselskiyはなんとも美しい響きのあるバス声を持っています。出番は少ないですが、印象的でした。

 

Michele Mariottiの指揮は特に問題なく堅実。コーラスは素晴らしい、とまではいきませんでしたがまあ良い。ただ大勢がマスクをして歌っているので顔の表情も見えないし、iltrovatoreは本番の舞台でマスクをつけて歌うのを好みません。気分が削がれます。

 

次は問題の演出・・・

 

時代は読み替えで多分19世紀くらい。音楽家が作曲した曲に深みと新たな解釈を加えるのがオペラ演出とすれば、彼女の演出はまったく違います。何を考えてこの時代に移したかの理由はよくわからないです。19世紀のヨーロッパ王室には奴隷もいないし、地下牢へ生き埋めの刑もないでしょうから、オペラの内容とマッチしない。なんか変なのですよね。

 

第2幕の凱旋の場は博物館の中のようです。何年か前ザルツブルクで上演された(と記憶している)ネトレプコ出演の「美術館イル・トロヴァトーレ」のアイデアを拝借したような感じがします。

 

舞台の中に絵の枠があり、その中で俳優さん達が様々な衣装を取っ替え引っ替えで有名な絵画の一場面を作ります。「ナポレオンのアルプス越え」?「民衆を導く自由の女神」?「硫黄島で星条旗を揚げる兵士たち」?他にもいくつかあり。まあ「あなたの美術造詣度」チェックにはいいでしょうが、気が散ってオペラの音楽に集中できません。それに「アイーダ」との関連性も見えなかったし。   

 

要するに演出家は「アイーダ」に新たな視点、深い洞察を加えるなどということは考慮になく、単にオペラをだしにして遊んでいる感じです。オペラが分からなくても美術クイズがあるから面白がる人もいる?目先が変わって楽しい??面白ければいいじゃん?

 

我が家人がしばしば申すことには「芸術でもなんでも本質(本筋)で勝負しないといずれ滅びるよ」。さて、この場合滅びるのは演出家だろうかオペラだろうか。

 

しかし、今回の演出の最大の欠点は演出家がアイデアの目玉として出したと想像されるパペットです。アイーダとアモナズロのパペットがご本人達と同一または似た動きをし、例えばカウフマンは向かい後ろ側にいるラドヴァノフスキーに話かけるのではなく彼女のパペットに話しかけます。

 

日本には文楽という芸能があって、人形達は黒子に操られ人間の情感を表現します。人形も精巧にできているし、人形操作があまりにも上手いので、黒子はだんだんと視界から消えてゆき、まるで人形が生きて演技しているように見えます。今回パペットがこのような域にまで達すればもっとポジティブな評価ができたのかもしれません。

 

残念ながら、パペットがいかにも大雑把な作りでした。操り師(パペット1体に3人)が頑張ったとしても細かな動きができないので繊細な感情表現などは無理で、脇に控える実際の歌手の代わりにはなり得なかったです。まさにパペットはパペットにしか見えない。私にはしょぼく見えました。

 

一方黒ずくめの衣装を着たラドヴァノフスキーやテジエは元々演技がうまいです。例え地味で控えめな演技でも細かな情感ははっきりと伝わるし、手前で動くパペットの演技を超えたリアルさで、パペットは全く敵わない。オペラに入り込もうとしてもパペットの存在がうっとうしくて集中できず、残酷な言い方ですがパペットとパペット使いは邪魔、うざい、目障り、と思いました。(2021.2.20 wrote) 鑑賞記に戻る