鑑賞記:「パルジファル」ウイーン歌劇場ストリーミング  2021.4.18プレミエ

 

とりあえずラジオ放送を聞きましたが、ハイレベルな演奏です。グルネマンツ役のGeorg Zeppenfeldの声は朗々と響きわたり、Jonas Kaufmannも調子いいです(すいません、彼のパルジファルは何度も聞いているもので感激が薄い)。

 

でも素晴らしかったのはクンドリ初ロールのElīna Garanča。高音フォルテでも決して叫ぶことなく響きのある美しい歌声。表現も豊かで感銘を受けました。またやはりアムフォルタス初ロールのLudovic Tézierも素晴らしいレガートでした。すべての方の声が素晴らしく、歌の響きが大きな弧を描いて劇場全体に響き渡っている様子が想像できました。

 

フィリップ・ジョルダン指揮のオーケストラも良し。これが無観客なんて、なんともったいない。ただし演出がどうだったかはわかりません。いくつかのサイトでの説明を見るに、ラジオで聞いているだけの方がいいかもしれない…。

 

とニュースに書きました。何度も書きますが、歌と音楽に関しては滅多にないほどの素晴らしい公演でした。

 

今度は演出に関して、

 

「パルジファル」はとても宗教的な作品です。キリスト教徒ではないiltrovatoreにもその深い宗教性がはっきりと読み取れます。これは非常に深い音楽で表現されたキリスト教の贖罪と救済の物語と私は理解しています。

 

今回はウイーン歌劇場が演出(ストーリー)に関する詳細な説明を発表していますので、興味のある方はご覧ください。

 

演出家はモンサルヴァート城を刑務所に見立て、中にいる囚人の話に仕立てています。演出家のKirill Serebrennikovはロシアの反体制監督で、現在自宅軟禁中、国外に出ることを禁止されているそうです。彼自身の状況と様々な思いが今回の「パルジファル」に色濃く投影しているような筋書きです。

 

結論から言うと、今回の演出は初めから終わりまでヘンテコです。演出家の荒っぽい創作ストーリーがむき出しの演出です。最後の場面の「救済」というところだけ音楽とイメージが一致しますかねえ。

 

全体に、全く内容の異なるストーリーと歌唱が並行して上演されている感じですね。しかも(あえて言いますが)粗くて安っぽいストーリーと宗教的で深い音楽が全く噛み合っていません。

 

ただこの演出家は必死の思いでこの演出を考えたのかもしれません。彼は自由を獲得するため戦っていて、それを自由陣営側にいる人々に訴えかけているのですから。彼の演出に賛同なさる方も多いと思います。

 

しかし、私はオペラに対して私なりの価値観を持っています。オペラは音楽が主役で音楽を傍に追いやってはならない。演出はあくまで補助的なもの、視覚によって音楽の内容に陰影をつけ作曲者の意図をはっきりとさせるものと考えています。演出家が台本と音楽に新たな意味を見出すのは好ましいですが。

 

今回の演出家は自己の目的のためにオペラを利用する姿勢をはっきりと打ち出しているように見えます。オペラにおけるそのような演出を私は評価しません。

 

この演出はいわば「他人の豪華なふんどし (超一流の歌手たちを使ったオペラ舞台) を借りて演出家が土俵で大仰に俺様の相撲をとっている」ように見えます。しかし私としては台本に沿った演出の中にさりげなく現在の彼の苦しい状況を組み込むような演出にして欲しかったです。そうすれば「パルジファル」の解釈に深みが増したかもしれませんし、彼に素直に賛同できたかもしれません。

 

ヨーロッパでは「演出家の自由を守る」と言う観点からこの演出に賛同する熱狂的な評論が大多数だろうと予想していましたが、そうでもないですね。オーケストラと歌手に関しては文句なく素晴らしいという評価で一致していましたが、演出に関しては演出家が描いたプロットにオリジナルな場面をどう合わせているかの説明が大部分を占める、と言う評論が多いです。(以下は完璧な私見ですので、リンクしたサイトで本文をご覧になってご自身で判断してください)例えば、

 

Olyrix (2021.4.19) は演出に好意的ですが、演出自体の評価をあまりはっきりと書いていないです。ううん、評価するのを避けているような気がするのは私だけだろうか。

 

Wiener Zeitung (2021.4.18) は批判的で、演出家が「パルジファル」を自分の主張に合わせてデフォルメしていると考えているようです。私もそう思います。Kirill Serebrennikovにとってのオペラは彼が主役で音楽は脇役です。ただ、この新聞も演出に対してあからさまな批判はしていないです。どちらかと言うと批判はするが及び腰の印象。

 

上記の評論を読むに、評論家の皆さんは「演出家の人気と彼の現在の状況を考えると安易にケチはつけられないが、どう評価するかねえ?」と考えているように思えてしまいます。

 

しかしnmz online (2021.4.20)は 芸術家(自由)を守ると言う観点から演出家の視点をとても好意的に解釈し、観衆もそれに激しく同意すると考えているようです。この評論はまあ予想通りですね。

  

(2021.4.20 wrote) 鑑賞記に戻る

 

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追記 2021.4.23

 

この鑑賞記を書いた後別の評論が出てきました。この演出を賛美する評論です。以下の一文で言い表されます。

 

「(この演出は) なぜリヒャルト・ワーグナーの高度にロマンティックで崇高で心に響く音楽を攻撃しないのだろう?それは、動きの演出がとてもよく、顔や体や声が、音楽や台詞を含むすべての事柄を表現しているからだ。どれだけたくさんのバリエーションが可能なのか、と驚くばかりだ。」(Online merker 2021.4.22, Sieglinde Pfabigan)

 

フウン?、だけれど、演出が音楽や台詞を完璧に表現しているのだったら、歌劇場や多くの評論家による異常に長々とした説明なんぞ必要ないはずですけれど。素直にこの演出を見るとオペラ「パルジファル」とはベクトルの方向が異なるように思えます。だから、歌劇場や評論家もオペラの台本と演出をつき合わせる説明、つまりはどの演出部分にどんな意味があるかを事細かに解説しなければならないのではないかな。

 

私は高尚な理念・理想・議論は理解できないです。ただオペラの音楽が好きなだけ。この演出は私にとって宗教的な深さも感じられないし、舞台も汚らしいし、台詞と舞台上の動きは全く異なるし、音楽とは全く合ってないし、要するに面白くないのです。

 

 

まあドイツでのこのような価値観がオペラ界に君臨して増殖するのなら、私は演奏会方式のオペラに行くか、オペラをラジオで聴くのみにするか、またはオペラそのものを見にゆかない、という選択肢しか無いように思えます。

 

でも一流の歌手達とオーケストラが創り出す舞台はなんとも魅力的だし、時々はハッとするほどに鋭い感性で私が感激する演出もあるので、いまだ舞台付オペラを捨てきれないというのがiltrovatoreの現状です。

 

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さらなる追記 2021.4.24   今回は私の思いを雄弁に代弁していただいた記事、Bachtrack By Mark Valencia, 21 April 2021

 

この批評家は、演出家キリル・セレブレンニコフが自分の体験を知らせる手段としてオペラを使うことをはっきりと批判しています。

 

「観客は偉大な音楽家による素晴らしい音楽を聴きに行くのか、またはワーグナーのドラマに合わせて自らの独断をすり合わせるのに大変な苦労をしただろう取り留めのない刑務所劇を見に行くのでしょうか?」と書いています。

 

私はこの鑑賞記の上の方で、「全体に、全く内容の異なるストーリーと歌唱が並行して上演されている感じ」と書きましたが、この評論家も同様に感じたらしく、

 

「一つは高尚、他方は私が気にもしないようなドラマ、という全く異なったストーリーを4時間以上にもわたってすり合わせるのは脳に負担をかけるので苦痛。これほどまでにおかしげだとと解釈するのがバカバカしくなる」とも書いておられまして、私と致しましては胸がスッキリする感じです。