久しぶりのMET ライブビューイング。いやぁ、大画面大音響でのオペラ鑑賞は良いですねえ。今回のボリス・ゴドノフはムソルグスキーのオリジナル版。ぶっ続け2時間半で休憩なし、というコロナ対策版みたいな上演でした。だけれど会場はガッラガラ。
まず印象に残ったのはルネ・パーペ。もちろん世界屈指のバス歌手ですから歌も上手いのですが、今回は俳優ルネ・パーペと言った方が良いくらい。第1幕ツァーリに即位した時からイマイチ不安げ、幕を重ねるごとに自らの犯した罪に苛まれ、精神的に追いつめられ、ついには発狂して死に至るボリスをパーペは細部に至るまで迫真の演技で表現していました。歌手の表情や演技が手にとるようにわかるのがシネマやストリーミングの良いところです。
そのほか世捨て人修道僧ピーメン役のバス、アイン・アンガーも重々しく存在感がありました。またテノールのマクシム・パステルはシュイスキー公爵を一癖も二癖もある狡猾な人物として歌い演じていて好演。その他の脇役の方々もレベルが高かったです。
METらしく当時のロシア貴族の豪華な衣装、特にツァーリの衣装、も見ていて楽しい。ロシア正教会の「イコン」(キリストやマリアなどを描いた聖像)も出てきてロシアの雰囲気が出ているし、十字の切り方も右肩から左肩へ(カトリックやプロテスタントは反対に切る)というのが実際に見られて面白かったです。
出演表を見ると、ボリス:バス、偽グレゴリー:テノール、シュイスキー公:テノール、ピーメン:バス、と男ばっかり。わずかにボリスの娘、宿屋の女将、乳母など女性もいますがさほど大きな役ではありません。主題がボリスの栄光からの没落と自滅で救いがなく、しかも男ばっかりオペラだから暗く地味であまり人気が出ないのかもしれません。
しかしこのオペラの良さは男性低音の魅力を堪能できること。パーペやアンガーの声は自然で無理がなくさほど低いとは感じられないのですが、歌っている彼らの声に自分の喉を合わせてみれば彼らがいかに低音域で歌っているかが実感できます。そしてその低音に美しい響きが付いているのです。
彼らの声を聞いていると、このオペラを日本人だけで上演するのはほとんど不可能とさえ思えます。日本男性はバリトン、しかもハイバリトンが多く、バスなどほとんど存在していないです。いるとしても低い響きのあまりつかないハイバス(こんな言葉ありましたっけ?)ですし。またテノールも軽くて細い声の人が大多数。だからと言って、役に合わせて声を無理につくるとおかしげになるし…。
私は以前このオペラの改訂版を見たことがあります。改訂版の場合はポーランド貴族の娘マリーナやカトリックイエズス会などが偽ドミトリーを利用しようとする場面や民衆の蜂起の場面などが挿入されており、16世期から17世紀にかけてのロシアの歴史絵巻風なオペラになっています。私はこの改訂版が好みなのですが、今回のオリジナル版はボリスの内面に焦点を当てていて、これはこれで良いなあと思いました。
最後別にどうでもいいことですが、
ボリス役パーペ:ドイツ、
偽グレゴリー役フィリップ:英国、
シュイスキー役パステル:ウクライナ、
ピーメン役アンガー:エストニア、
と生まれは様々、ロシアオペラながら主役および主要脇役にロシア生まれのロシア人がいないです。
(2022.1.26 wrote) 鑑賞記に戻る