「オテロ」ROHシネマ鑑賞記 2017.9.9.

いやあ、上手かった、上手かった。カウフマンは本当にすごいですねえ。完全に引き込まれてしまいました・・・。まずは音楽。「オテロ」を聴いたのはもちろん初めてではないのです。しかし密度の濃いオーケストラと歌手達のうまさにあっという間に終わってしまったと感じられました。

 

第1幕。嵐の場面で幕を開け、カウフマン/オテロは戦いの勝利者として凱旋します。カウフマンは以前からオテロで一番難しいのは最初の一言 “Esultate” 「喜べ」 だ、と言っていましたが、さすが。彼らしい輝かしい一声でした。カウフマン/オテロは人々に囲まれながらも上方にいるデズデモナをはったと見つめ、投げキスをし、歩き出しますがその歩みはあくまでも司令官としての威厳と力に満ちています。

 

一幕の終わり愛の二重唱。” Gia nella notte densa” 「既に夜もふけた」。カウフマンの歌いぶりはあくまでも柔らかく繊細で愛に飲み込まれてしまったうぶな男そのもの。彼の眼も愛に溶けています。

 

しかし二幕になるとあっという間に彼の心に疑念が生じてきます。いらいらと怒りっぽくなりデズデモナの言葉よりもイヤーゴの毒に満ちた言葉を信じるのです。眼も疑念と怒りに満ちてきます。

 

オテロはムーア人。もともとアフリカのイスラム教徒だったのでしょう。祖国と己の宗教を捨てヴェネチアに仕えたのです。

 

奴隷の暮らしにも耐える強い精神力を持ち、度重なる戦いには才能を発揮したのでしょう。しかしどうやっても所詮よそ者。それ故心の奥底に強烈なコンプレックスを潜ませていたのでしょうか? 政略結婚が普通だった時代、父に逆らって結婚にまでこぎ着けたデズデモナの愛をカウフマン/オテロは信じることができないのです。

 

オテロのコンプレックスとデズデモナへのうぶな愛を上手く利用し、イヤーゴはいとも簡単にオテロの力を奪ってゆきます。カウフマン/オテロは自信がなくなり歩き方もよろよろとしてきます。心を傷つけられ癒やしようもない傷口をイヤーゴは更に巧妙に広げてゆきます。二幕の終わり「復讐の二重唱」でカウフマン/オテロは怒りに我を忘れ判断力も精神力も失せてゆきます。彼の眼は怒りから狂気に変わっていきます。

 

第三幕はカウフマン/オテロの狂気がいや増します。カウフマン/オテロはデズデモナに “fazzoletto! fazoletto! fazoletto!” 「ハンカチだ!」としか言いません。彼女が何を言っても聞く耳持たずになってしまいます。狂気と怒りにさいなまれもはやぼろぼろ、司令官としての威厳も力も完璧に失われてしまいます。

 

ハンカチを不貞の決定的な証拠と思い込んだカウフマン/オテロは第三幕の終盤でも初めは心を抑えるように、2回目と3回目は鋭く“fazzoletto! fazoletto! fazoletto!”と繰り返し叫びます。すでに狂気と復讐に燃える残酷な心に支配されています。

 

第4幕で彼は既に心を決めています。静かに、しかし狂ったままの目でまどろんでいるデズデモナを刀(半月刀)で殺そうとします。一瞬「愛の二重唱」の音楽が流れると手を止めますが結局デズデモナを殺してしまいます。

 

全てが明らかになった時、彼は短剣で自らを刺します。そしてデズデモナににじり寄り第一幕の愛の二重唱で歌ったのと同じ言葉 “Un bacio,,,Un bacio  ancora,,,”「口づけを、今一度口づけを・・・を繰り返し事切れます。

 

なんと言ってもカウフマンの眼です。愛に溺れている眼、疑念の眼、怒りの眼、狂気にさいなまれている眼、最後の絶望と自責に満ちた眼。何という演技力。こればっかりはシネマの大画面で彼を見る価値があります。

 

オペラ「オテロ」はヴェルディの最高傑作と申せましょう。そのオペラの主人公オテロはスピントで輝かしい深い声、並々ならぬ歌唱力・表現力、そして更に素晴らしい演技があって始めて完璧になります。カウフマンはこれらを完全に満たしています。ドミンゴに続く当代の新たな「オテロ歌い」になったというのも納得です。

 

最後の幕は特に緊張感に満ち、あまりに緊張して聴いていたため、終わったら首が硬直していました。ああ、もう一度見たいなあ。

 

他の歌手の方々ももちろんうまかったです。しかし今回はカウフマンに関する感想のみ。

 

実は明日アンドレア・バッティストーニ指揮、演奏会方式の「オテロ」に行くのです。今日の「オテロ」の記憶が鮮烈なままに。ううむ・・・・・。(2017.9.9. wrote)