オテロ バイエルン州立歌劇場 2018.12.2. livestreaming

この公演の人気はすごかった。早々と全ての公演が完売、バイエルン歌劇場のチケット交換(売買)サイトは「オテロチケット求む」が何ページにもわたって延々と続き、 その反対に(私が見たときは)「チケット売ります」が一件あっただけ。これだけ期待度が高いと歌手達も大変でしょう。

 

しかしstreamingで見る限り密度が濃くレベルの高い公演だったと感じました。そして何時もながらペトレンコの指揮が素晴らしい。ペトレンコは歌手達を凝視し、彼らの息の流れや体の動きをしっかりと把握しながら指揮していました。う〜ん、惚れますね。

 

今回の公演はアメリー・ニールマイヤーによる新演出です。オーケストラは別として歌手達の歌唱は演出にかなり影響されますので、演出を絡めながら主役3人の歌の感想を書いて行きます。

 

まずはハルテロス。今まで何回か彼女の歌を聴いたことがあります。本人が風邪気味です、といって歌った時も私には調子が悪いとは感じられなく、何時も非常に安定している特上レベルのソプラノさんです。今回も同様。表情豊かで、第4幕の「柳の歌」「アヴェマリア」はつくづく素晴らしかった。

 

デズデモナは歌う場面がない時でもずっと舞台の上にいます。オテロに対するデズデモナの強い意思表示の仕方を見ても、ニールマイヤーがデズデモナを自立した芯の強い女として強調したかったのは明らかです。その思いに反対するわけではないけれど、舞台を見ながら私が強く感じたのは全く別のことでした。

 

それは、ヴェルディが彼女をさほど重要視していない、ということで、ヴェルディがこのオペラで表現したかったのはオテロとイヤーゴの二人なのです。そのため演出家が幾らデズデモナを舞台に出ずっぱりにさせ彼女の存在感を高めようとしても、そのことによりこのオペラの味わいが変化したり深まったりする訳でもないと感じました。

 

次はフィンリーです。この人は上手かった!彼は堂々とした体格、とはとてもいえず顔も普通の方なのです。しかし邪悪で狡猾なイヤーゴになりきり顔の表情、演技とも申し分無く上手く、さらに素晴らしい歌唱で存在感ありありでした。オテロとの二重唱も迫力満点。

 

ヴェルディはこのオペラを「イヤーゴ」と名付けようかと考えた時期もあったようですが、まさにオペラ「イヤーゴ」としても通用するようなパーフォーマンスでした。

 

最後はカウフマン。カウフマンも調子が良かったように思います。彼は今年1月の来日コンサートから公演を一回もキャンセルせず好調です。技術的に高難度のピアノやメッツァヴォーチェを頻繁に使って美しく歌っていました。

 

勿論、始めの” Esultate!”や復讐の二重唱などは彼お得意の輝く高音で素晴らしかったのですが、一つ大きな問題があったように思います。それは演出です。

 

カウフマンとのダブルインタビューでニールマイヤーは「このオペラの中で最もひどいのはどのシーンでしょうか?」という問いに「ヴェルディがオテロに共感を寄せるように音楽を書いている事。幾ら同情の余地があるといっても残酷な行為を容認するなんて。」と答えています。

 

そうです、ヴェルディの音楽はオテロに共感しているのです。少なくとも第1幕のオテロはよそ者でありながらヴェネチアの為に戦い勝利した偉大な戦士と表現されています。”Esultate”の一声はまさにその偉大さを表しているのです。この偉大な人間が自らの弱みをイヤーゴに利用され第2幕以降自滅して行くのがまさに悲劇で、観客はそのオテロに共感するのです・・・例え殺人者であっても。

 

ニールマイヤーは第1幕の始めから終幕までオテロを偉大な人物にしませんでした。オテロは風采の上がらないグレーヘアーのごく普通の将校。のっけからよそ者、性格的に壊れかかった人物として演出されています。”Esultate”も部屋の中で一人で歌うだけ。偉大さは全く感じられません。そしてそのような男が家柄の良い妻を得たものの、狡猾な部下の策略に載せられ自己崩壊を起こし殺人を犯す。という演出です。

 

始めから壊れかかった男が最後に本当に壊れる、と言うストーリーでその男に共感できるでしょうか?私は共感できません。ニールマイヤーはオテロに共感して貰いたくないようで、まさにそのように演出したと思われます。

 

ヴェルディは人間扱いされず馬鹿にされていた娼婦や身体障害者にも暖かい視線を送っていました。それは彼のオペラを観ればはっきりとわかります。「オテロ」はそのようなヴェルディが人生の終わりに作曲したオペラで、いいも悪いもひっくるめた人間の様々な心のありようを多面的に捕らえた作品です。ニールマイヤーの演出はヴェルディの偉大な作品のほんの一面のみを浅く切り取っただけの様に見えます。

 

しかし、主役3人とペトレンコ(オーケストラと合唱含む)は素晴らしかった。終幕、すでにデズデモナもいないベッドにオテロがにじり寄り ”un bacio・・・, un bacio ancora・・・, ah! un altro bacio” 「キスを、もう一度、ああ、もう一度」といって事切れたあと、深く沈み込むような感動が残りました。(2018.12.4.wrote)