バイエルン州立歌劇場鑑賞記 「パルジファル」 2018.7.8.

歌劇場前のOper für alle会場

"File:Oper für alle 3 Nationaltheater München.jpg" by Schlaier is licensed under CC BY-SA 3.0


「パルジファル」公演日は日本の5月を思わせるような気持ちの良い天気になりました。"Oper für alle" の日でもあり会場前の広場は人がいっぱい。カジュアルな服装で食べ物を持ち歩いている若い人達も多かった。

 

ハイヒールをはいた足には残酷極まりないぼこぼこした石ころ畳みの上で5時間のオペラ鑑賞・・・はいくら厚い敷物を敷いてもしんどいと思うのですが、ここにいる人達はまったく意に介していない様です。特設トイレもしっかりと配置されており沢山の係員による整然とした会場管理はさすがドイツ。歌劇場内部にはスポンサー様BMWのパーティー会場もできていました。

 

ところで、ヨーロッパの有名観光都市はどこも中国人旅行者で溢れかえっています。しかし歌劇場に一歩入るとアジア系は日本人が圧倒的に多く中国人とおぼしき観客はまず見かけません。オペラは異文化圏に浸透しにくい芸術ですかね。

 

 

さて「パフジファル」公演。まず印象に残ったのはペトレンコの指揮です。厚みのある深々とした美しいオーケストラに時間を忘れ陶酔しました。

 

今回とりわけ感動したのは歌手達の声があたかも耳元で歌われているかのように際立って明瞭に美しく響いてきたことです。

 

iltrovatoreが嫌う高音がつぶれたようなシャウト(叫び)は全く無く、むしろ内省的で時にささやくような歌唱が目立ち、しかもこの「ささやくような歌唱」が驚くほど良く聞こえるのです。それは歌手達が優れて上手いからでもあるでしょう。しかしこれがペトレンコの音楽なのですね。

 

第1幕は焼け焦げた木々が立ち並ぶ暗い森の中。色彩感がない黒白の世界で聖杯の騎士達も薄汚れた黒の衣装です。「パルジファル」はこの様なモノトーンの世界が似合いかも知れません。

 

Pierre Audiの舞台は始めから終わりまで陰鬱で暗く、このオペラのメインテーマ「救済」はあまり感じられません。しかし音楽と乖離しない演出で歌手の動きも良く練られており(衣装を除き)なかなかよかったと思います。

 

クンドリは動物の様に這って歩き粗野で獣を思わせます。グルネマンツの語りは穏やかで動きが殆どないにもかかわらず少しも長く感じませんでした。パーペはさりげなくうまさを感じさせる歌手です。

 

カウフマンは死んだ白鳥を抱えて走り出てくるところから上手い芝居でしたが、子供っぽさはなくむしろ「無知な」パルジファルを強く感じました。ゲルハーハは傷ついているとはいえ威厳充分のアムフォルタスで、歩きながらパルジファルとゆっくり眼を合わせるところが特に印象に残りました。

 

ただし聖杯の儀式の際、騎士達が衣服を脱いで裸になる、そして聖杯が肉の塊というのは頂けないです。勿論「パルジファル」はキリスト教に沿った演出をする必要などないですが、へんてこカルト集団の儀式に思えたのは残念です。しかし2000年ほど前、キリスト教はいかがわしいカルト集団と見なされていたことを考えるとこの演出もさほど変ではないのかもしれません。

 

第2幕も大道具というほどの大道具は無く、歌手達の歌に集中できる舞台でした。シュテンメは獣の如き女から妖しい女性に様変わりしてパルジファルをあの手この手で誘います。その歌は「予想通り上手し」。

 

第2幕で印象に残った場面は、”Amfortas ! Die Wunde !”(「アムフォルタス!その傷!」)。カウフマンの声が歌劇場一杯に朗々と響き渡りました。

 

しかしさらに印象的だったのは、“Amfortas!”と“Die Wunde!”の間にある一瞬、そして“Die Wunde!”の後の一瞬でした。これらはオーケストラも音を出さず歌手も歌わない「音の消えた一瞬」で、私にはこれらの一瞬が異常に長く思われ、その「音の無い一瞬」にパルジファルの使命、アムフォルタスの傷の痛みなどあらゆる「智」がパルジファルの頭に流れ込んでいると感じられました。

 

雄弁な言葉でも語りつくせない内容を「音の消えた一瞬」の中に感じさせるカウフマンとペトレンコの力量に感動しました。

 

ただし、この幕でも問題になるのが花の乙女達の衣装、裸の肉襦袢です。見せかけの美しさを幻視させる醜悪の塊ということでしょうか。これには既視感があります。昨年のバイエルン歌劇場「タンホイザー」の肉塊のヴェーヌスです。所も同じバイエルン歌劇場、しかも同じワーグナー作品の演出でこのようによく似たコンセプトではまるで二番煎じではないですか。しかも「タンホイザー」より遙かにセンスのない張りぼて裸です。

 

「タンホイザー」の後時間もあったことだし、もうちょっとセンスのあるオリジナルなアイデアが欲しかったです。

 

第3幕はアムフォルタスを演じるゲルハーハの歌と演技の素晴らしさが目立ちました。演技といっても動きはあまり無いのですが何という存在感。勿論歌のうまさが半端ではなかったということですが、第1、3幕を通してアムフォルタスってこんなに存在感がありましたっけ?と思わずにはいられませんでした。

 

肉襦袢を着せられた何とも形容しがたい醜悪な騎士達と花の乙女達でしたが、合唱はとても良かったです。それだけにあの衣装が残念。幕や背景ばかりでなく衣装もGeorg Baselitzがデザインした様です。とても有名な画家だそうですが、有名だからと言って必ず素晴らしい衣装をデザインできる訳もなし、とぶつぶつ。(くどいか・・・)

 

第3幕最後のオーケストラの音が消えたとたんにものすごいovation。 拍手、ブラボーのみならずミュンヘン名物の足踏みが怒濤の如く鳴り響き、聴衆の興奮がひしひしと伝わってきました。当方も大満足の一夜でした。

 

その後、出演者達は歌劇場の正面入り口付近に出てOper für alleを観ていた広場の観衆に挨拶し、観衆から熱い称賛を受けていました。こんな観衆の中から将来のオペラ好きが生まれるのかもしれません。

(2018.7.13. wrote)