運命の力 ロイヤルオペラハウス (ROH) 2019.3.21.公演

まずは感動。今回の公演を観ることができて本当に良かった、と思いました。

 

この公演は2018/19シーズン ROH最大のプロジェクトで、世界中のオペラファン注目の的となりました。何せ世界で人気ぶっちぎりのテノール、ヨナス・カウフマンとこれまたぶっちぎり人気のソプラノ、アンナ・ネトレプコの共演です。

 

おかげで転売サイトでのチケットは正価の10倍以上という非常識な価格につり上がりROHを激怒させました。

 

この様に人気の二人が共演することは滅多にありません。私の記憶に拠ればオペラでの二人の共演はROH 2008年「椿姫」のみ。その頃人気沸騰売り出し中のカウフマンと既に大スターで若々しく美貌のネトレプコ、(そしてパパ・ジェルモンはホヴォロストフスキーだった・・・)の組み合わせでした。

 

今回の公演は、LeonoraをAnna Netrebko, Don AlvaroをJonas Kaufmann, Don Carlo をLudovic Tézier、の他に Guardiano神父をFerruccio Furulanetto, Melitone修道士をAlessandro Corbelliと、脇もゴージャスな面々で固めています。

 

巷では大きな期待と共に、誰かが(当然カウフマンの事)キャンセルしたらどうしようという不安が交錯していましたが、当日は全ての面子がそろいました。ありがたや。

 

Antonio Pappanoの指揮で有名な序曲が始まります。私はこの序曲が好きでいつも聞き入るのですが、今回は最初に鳴らされる三つの主音があまり締まっていないな、と感じたのを覚えている程度で後は忘れました。とにかく歌が良かったのです。

 

アンナ・ネトレプコはレオノーラ初ロールだったので特に注目されていたと思いますが、十分期待に答えた歌と演技でした。彼女の声は最近中低音が美しく充実し、レオノーラの様なリリコスピント役にぴったりはまります。

 

しかも本番前のインタビューで、「レオノーラの歌には柔らかく歌う場面が沢山ある」と言っていたとおり、張りのある美しい滑らかなピアニシモを効果的に、印象的に使い、いやいや、心憎いまでのうまさ。

 

10年前と比べ大分体重が増え、いまやお姫様というより女帝と言った方が似合う貫禄体型になってしまった彼女ですが、さすが演技も上手い。ドスコイ風なところは消え失せレオノーラの不安、苦しみ、絶望的な愛を歌い上げていました。

 

レオノーラの兄、復讐に燃えるドン・カルロ役テジエは既に2013年カウフマンと共に「運命の力」を演じています。その時も良かったのですが、今回もその滑らかで深い声を響かせていました。この人はいつ聞いても「悪い」とか「まずい」ということがない。

 

最後にカウフマンです。ドレス・リハーサルをキャンセルした、と聞いた時は少々ひやっとしました。しかし彼及びROHのFB等をチェックするに「恐らく出演するだろう」と予想していたのでさほど心配しませんでした。

 

彼も今回(というか昨年一年間ずっと好調だったが)調子がよく、いつもの通りの深いブロンズ声。

 

自らの出生に誇りを持ちながらもそれを誰にも認めてもらえず、絶望の淵に居ながらレオノーラを想って歌う第2幕のアリア “La vita è inferno all’infelice ~ Oh, tu che in seno agli angeli,” (「人生は不幸な者にとって地獄だ」〜レオノーレを想って歌う「天使の胸に抱かれる君は」)は、情感たっぷりに優しく甘く、しかし溺れない理知的な歌いぶりで、彼のピアニッシモも健在。上手い。

 

また、テジエとの第3、4幕の二重唱も、お互い敵同士として言い合う場面が殆どではありますが、両人のレガートな歌いぶりが心に残りました。この2人は声が似ていて二重唱がハモると美しいのです。

 

カウフマン、ネトレプコ、テジエの歌は、例えピアニッシモで歌っていてさえ、3階の奥に座っていた私の耳の側で歌われているが如く極めて明瞭に美しく聞こえます。なんとも心奪われる感動的な響き。この様な響きは超一流の歌手でなければ味わえません。至福の時を過ごしました。

 

今回の公演は歌唱的に穴が一つも無かったです。どの場面も素晴らしく滅多にないハイレベルな歌が続き、始めから終わりまで感動的でした。

 

その他フルラネットの落ち着いた歌はオペラ全体を引き締め、道化役コルベッリの軽妙な演技も歌も楽しかった。唯一プレツイオジッラが上記5人のレベルに届かず物足りなかったですが、これはまあ他の歌手達が歌と演技とも素晴らしすぎるので比較してはかわいそうですね。

 

最後に演出を少々。はっきり言って凡庸でした。序曲を演奏中、子供の頃のドンカルロ兄、レオノーラ妹、そして死んでしまった弟(ドン・アルバロを模している)の関係を描いたような情景がありましたがわざとらしく特に印象的ではなかったです。

 

また時折プロジェクションマッピングで第1幕での悲劇を映し出していました。おそらく運命に絡め取られた人々の悲劇性を強調したかったのでしょうが、余計な事を、と言うレベルでした。

 

しかし歌手達が素晴らしかったので、ドイツなどでしばしば見かける変てこだけが取り柄の凡庸な演出や演出家の独善を強調したような演出より遙かに遙かによかったです。音楽に集中できました。 (2019.3.25. wrote)