オペラ解説:薔薇の騎士 "Der Rosenkavalier" リヒャルト・シュトラウス作曲

バイエルン歌劇場 1979年 全曲 日本語字幕付き


 

リヒャルト・シュトラウスが作曲したオペラの中で最も愛され頻繁に演奏されるオペラ。台本は良きコンビで共作がいくつもあるフーゴ・フォン・ホフマンスタール。

 

「薔薇の騎士」より前に彼が作曲した「エレクトラ」「サロメ」は不協和音だらけで気楽に心地よく酔わせてくれるオペラではありません。「サロメ」などは初演当時非難轟々だったらしい。しかし1910年に作曲された「薔薇の騎士」ではそんな前衛的な作風がすっかりなりをひそめてしまいました。このオペラは親しみやすくエレガント。限りなく美しく優雅な音楽に満ち溢れ当時の人々を魅了しました。大人気だったそうです。

 

この作品が書かれたのは第1次世界大戦勃発のわずか4年前。この大戦が起こる前のヨーロッパ先進国は経済的に順調で、人々は安定した平和を謳歌し悲惨な世界戦争が引き起こされるなど考えてもいませんでした。このオペラにはそんな無邪気な明るさも感じられます。

 

ちなみにプッチーニは同年1910年に「西部の娘」を作曲しています。

 

「薔薇の騎士」の舞台はマリア・テレジア(マリー・アントワネットのお母さん)在位の頃(1740~45年)のウイーン。モーツアルトがウイーンで活躍を始める40年くらい前の設定です。優美だがゴテゴテで退廃的な匂いもするロココの世界(おたく記事:ロココとオペラ)です。

 

シュトラウスはモーツアルトを意識してこの作品を作ったと言われています。オクタヴィアンはまさに「フィガロの結婚」に出てくるケルビーノですね。女性歌手がうら若き男子役を歌い、しかも舞台の中で召使に女装するのも同じです。

 

ただし、「薔薇の騎士」が「フィガロの結婚」と異なるのはオペラの中で移ろいゆく『時』が絶えず意識されていることです。元帥夫人の「時」への苦い思いばかりでなく、元平民の成金貴族の娘と結婚せざるを得ないオックス男爵に、この作品が書かれた20世紀初頭のヨーロッパの社会変化 ー貴族階級の没落とブルジョア階級の興隆ー という時の移ろいも感じとることができるように思います。

 

「銀の薔薇」はこのオペラの重要な小道具になっていますが銀の薔薇を婚約者に送るという風習はウイーンにはなく完全な創作です。

 

このオペラは長い。3幕仕立てですが休憩なしで3時間以上かかります。オーケストラも大規模です。

 

このオペラの音楽を抜粋してオーケストラ用に編曲された「Rosenkavalier Suite」があります。30分もかからない演奏時間ですが聴いていると「薔薇の騎士」を観てきたような気分になれます。 

 

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マリー・テレーズ: 元帥夫人。夫の元帥は出てこない。若い従兄弟のオクタヴィアンと不倫関係にある。しかしその関係もいつかは終わるものとの思いを持っている。気品と美しさを兼ね備えており判断力や決断力もある大人の女性。リリックソプラノの役。しかし彼女の性格と彼女の揺れ動く心を歌と演技で格調高く表現しなければならない難しい役。

 

オクタヴィアン: ティーンエージャーで元帥夫人の愛人。しかしゾフィーと出会い恋に落ちる。最後は元帥夫人の計らいによって彼女と結ばれる。メゾ・ソプラノが歌うズボン役だが途中女装する場面があり、メゾソプラノが男を演じしかもその男が女を演じる場面があるという複雑な役柄で場面に応じ歌い方や演技を変えなくてはいけない。

 

オックス男爵: 田舎貴族でマリー・テレーズの従兄弟。バス。貴族であることが唯一の取り柄で完璧な自己中心的人物。性格は粗野、色好み、ケチ。剣の使い方も下手だし、ちょっと怪我をしただけで騒ぎ立てる小心者。しかしこのオペラでは圧倒的な存在感があり主役と言っても良い。実際シュトラウスは当初このオペラの名前を「オックス」にしようと考えたらしい。

 

この役は喜劇役者でなくては務まらず、しかもバスにとっても低いホ音(第2幕最後の場面)を印象的に出さねばならない難しい役。加えて第一幕の終わり近くさらに低いハ音(C2)を出すよう楽譜には書かれているが、このハ音は一オクターブ上げて歌っても良いと指示されている。

 

ゾフィー: 成金新興貴族ファニナルの娘。修道院を出たばかりで貴族の生活に憧れている。オックス男爵との結婚を喜んでいたが男爵を見て失望。薔薇の騎士として現れたオクタヴィアンを恋するようになる。ソプラノで元帥夫人より若さのある声が必要。

 


第1幕:元帥夫人の寝室

 

元帥夫人とオクタヴィアンが熱い夜を過ごした次の日の朝。突然の来訪者にオクタヴィアンは隠れる。現れたのは元帥夫人の従兄弟オックス男爵。男爵は成金新興貴族の娘ゾフィーとの婚約使者を紹介してくれるよう夫人に頼む。

 

オクタヴィアンは女装して逃げ出そうとするがオックスに見つかる。夫人は彼を召使のマリアンデルと紹介する。オックスはマリアンデルに興味深々。

 

夫人は髪を整えながら朝のコマゴマとした用事をする。テノール歌手があらわれイタリア語のアリアを歌う。

 

カメオ出演的なテノール歌手だが有名または人気上昇中のテノールが出演することもある。ドイツオペラにはほぼ全く出演しなかったパヴァロッティの歌。

Di rigori armato il seno contro amor mi ribellai,

私の胸は愛の痛みに身構えていた、

 

ma fui vinto in un baleno

しかし、あっという間に打ち負かされてしまった

 

in mirar due vaghi rai.

あの二つの目のうつろう眼差しによって。

 

ma fui vinto in un baleno

しかし、あっという間に打ち負かされてしまった

 

ahí! in mirar due vaghi rai.

ああ!あの二つの目のうつろう眼差しによって。

 

Ahí! che resiste puoco a stral di fuoco

ああ!誰がこの炎に逆らえるだろう

 

Cor di gelo di fuoco a stral!

氷の心は炎に溶かされてしまう


歌手が歌っている間にオックスは弁護士と結婚契約書を作り上げ、元帥夫人に礼を述べて立ち去る。夫人は昔を思い起こし時が過ぎ去って自らが年をとったことを自覚するモノログを歌う。そしていつかはオクタヴィアンが彼女のもとを去るであろうとオクタヴィアンに語る。オクタヴィアンはその言葉を信じない。

 

下の動画は元帥夫人のモノログ。オックスの別れの挨拶から入っている。1:30くらいからのオックス役クルト・モルが出すC2(超低音)にも注目。

MET1982 キリ・テ・カナワ、クルト・モル、タチアナ・トロヤヌス

男爵

Und da ist nun die silberne Rose.

こちらが銀の薔薇でございます。

 

元帥夫人

Lassen nur drinnen. Haben die Gnad’ und stellen’s dorthin.

そのまま中に入れておいて。あちらに置いてくださいません。

 

男爵

Vielleicht das Zofel soll’s übernehmen? Ruft man ihr?

小間使いにやらせたらいかがですか?あの子をお呼びになっては?

 

元帥夫人

Nein, lassen nur. Die hat jetzt keine Zeit. Doch sei Er sicher: den Grafen Octavian bitt’ ich ihm auf, 

er wird’s mir zu lieb schon tun und als Euer Liebden Kavalier vorfahren mit der Rosen zu der Jungfer Braut.

いいえ、そのままにしておいて。今あの子は忙しいわ。彼は必ずやってくれます。私がオクタビアン伯に頼めば私のためにやっていただけるでしょう。あなたの騎士として花嫁にこのバラを届けますわ。

 

Stellen indeß nur hin. Und jetzt, Herr Vetter, sag’ ich ihm Adieu. Man retiriert sich jetzt von hier. Ich werd’ jetzt in die Kirchen gehn.

さあ、我が従兄弟様、お別れしなくては。今から私は教会に参ります。

 

男爵

Euer Gnaden haben heut’ durch unversiegte Huld mich tiefst beschämt.

本日はご好意痛み入ります。

 

元帥夫人

Da geht er hin, der aufgeblasne, schlechte Kerl, und kriegt das hübsche junge Ding und einen Pinkel Geld dazu,

ああ、やっと行ってくれたわ、慢心した悪い男、若い女の子とちょっとしたお金を手に入れて。

 

als müßt’s so sein. Und bildet sich noch ein, dass er es ist, der sich was vergibt. Was erzürn’ ich mich denn? ’s ist doch der Lauf der Welt.

まるでそうでなくてはならないかのようだわ。しかも彼がそのようにしてやったのだと考えている。なぜ私は怒るのかしら?この世はこんなものでしょう。

 

Kann mich auch an ein Mädel erinnern, die frisch aus dem Kloster ist in den heiligen Ehstand kommandiert word’n.

修道院を離れすぐに結婚させられた昔の女の子(私)を思い出すわ。

 

Wo ist die jetzt? Ja,

彼女は今どこに?そう、

 

such’ dir den Schnee vom vergangenen Jahr!

去年の雪を探すようなものよ!(無駄なことという意味)

 

Das sag’ ich so: aber wie kann das wirklich sein, dass ich die kleine Resi war, und dass ich auch einmal die alte Frau sein werd’.... Die alte Frau, die alte Marschallin! „Siegst es, da geht die alte Fürstin Resi!“

言ってみればこんなものかしら、小さなレジーだった私はある日お婆さんになってしまったの… お婆さん、老元帥夫人!「見てご覧、年取ったレジー様が行くよ!」

 

Wie kann denn das geschehn? Wie macht denn das der liebe Gott? Wo ich doch immer die gleiche bin. Und wenn er’s schon so machen muss, warum lasst er mich zuschau’n dabei, mit gar so klarem Sinn? Warum versteckt er’s nicht vor mir?

どうしてそんなことが起こるのかしら?神様はどうしてそんなことをなさるの?私はいつも同じなのに。神様がこんなことをなさるのなら、どうしてこんなにはっきりと私にお見せになるの?どうして私に隠しておかないのかしら?

 

Das alles ist geheim, so viel geheim, und man ist dazu da,

すべて秘密、あまりにたくさんの秘密、そしてそこにいて

 

dass man’s ertragt. Und in dem „Wie“ da liegt der ganze Unterschied.

耐えるの。「どうやって」というところがすべて違うのよ。

 

元帥夫人

Ach! Du bist wieder da?

あら!帰って来たの?

 

OCTAVIAN

Und Du bist traurig!

あなたは悲しいんだ!

 

元帥夫人

Es ist ja schon vorbei. Du weißt ja, wie ich bin. Ein halb Mal lustig, ein halb Mal traurig. Ich kann halt meine Gedanken nicht kommandiern.

もう終わったわ。私は半分の時間は面白がり半分の時間は悲しいのを知っているでしょう。自分の考えを意のままにすることができないのよ。

 

OCTAVIAN

Ich weiß, warum du traurig bist, mein Schatz. Weil du erschrocken bist und Angst gehabt hast. Hab’ ich nicht recht? Gesteh’ mir nur: Du hast Angst gehabt, du Süße, du Liebe, um mich, um mich!

愛しいあなたが悲しいのを知っているよ。怖がっているんだ。僕の言うことは正しいでしょ?僕に喋ったらどう:あなたは怖がっている。僕のために、僕のために!

 

元帥夫人

Ein biss’l vielleicht, aber ich hab’ mich erfangen und hab’ mir vorgesagt: Es wird schon nicht dafür steh’n. Und wär’s dafür gestanden?

少しはそうでしょう。しかし自分で気がついているし、もうこのままではいられないって自分に言っているのよ。そうじゃなくて?

 

OCTAVIAN

Und es war kein Feldmarschall, nur ein spaßiger Herr Vetter, und du gehörst mir, du gehörst mir!

あれは元帥じゃなくて、ただのおかしな従兄弟だもの。あなたは僕のものだ、僕のものだ!

 

元帥夫人

Taverl, umarm’ Er nicht zu viel: Wer all zu viel umarmt, der hält nichts fest.

タヴェル、あまりたくさん抱え込まないで。抱え込みすぎると一つも持っていられないわよ。

 

OCTAVIAN

Sag’, dass du mir gehörst! Mir!

あなたは僕のものだと言ってよ!僕のもの!

 

元帥夫人

Oh! sei Er jetzt sanft, sei Er gescheidt und sanft und gut.

あらあら!気を鎮めて、賢く穏やかで善良になって頂戴。

 

Nein, bitt’ schön, sei Er nur nicht, wie alle Männer sind.

いいえ、他の男達みたいにはならないで。

 

OCTAVIAN

Wie alle Männer?

他の男達って?

 

元帥夫人

Wie der Feldmarschall und der Vetter Ochs.

元帥とか従兄弟のオックスみたいな人たち。

 

OCTAVIAN

Bichette! 子鹿ちゃん!

 

元帥夫人

Sei Er nur nicht, wie alle Männer sind.

他の男達みたいにはならないでね。

 

OCTAVIAN

Ich weiß nicht, wie alle Männer sind.

他の男達がどんなだか僕は知らないよ。

 

Weiß nur, dass ich dich lieb hab’, Bichette, sie haben dich mir ausgetauscht.

僕が知っているのは僕があなたを愛してるって言うことだ、子鹿ちゃん、あなたは入れ替わってしまった。

 


 

第2幕:ファニナル家のホール

 

ファニナルと娘ゾフィーはソワソワしている。すぐにロフラーノ伯爵(オクタヴィアン)が到着しゾフィーに銀の薔薇を手渡す。華々しく印象的な場面。

MET 2017 エリーナ・ガランチャ, エリン・モーリー


しかしオックスのあまりの無礼さにゾフィーは失望と怒りを隠せない。一方オクタヴィアンはゾフィーに一目惚れ。ゾフィーを追いかけ廻すオックスと対立し、剣で彼に軽症を追わせる。

 

この騒ぎがひと段落したところで、オックスはマリアンデルとの仲介を頼んでいた情報屋のアンニーナから「マリアンデルからの手紙」を受け取る。もちろんオックスを陥れようというオクタヴィアンの罠である。

 

それを知らないオックスは気分を良くし「オックス男爵のワルツ」として有名な旋律に乗せて「俺様がいれば夜も長くはないさ」 "mit mir keine Nacht dir zu lang"と歌って第2幕が終わる。オックス役が最後の低いホ音を長く美しく響かせると称賛の的になる。下の動画はその場面

ザルツブルク 2014 ギュンター・グロイスベック

男爵

Ohne mich, ohne mich jeder Tag Dir so lang.

俺様がいなけりゃ、俺様がいなけりゃ お前にとって毎日は長い。

 

ANNINA

Vergessen nicht der Botin, Euer Gnade!

使いの者をお忘れなく!閣下!

 

男爵

Schon gut. Mit mir, mit mir, mit mir keine Nacht Dir zu lang.

よろしい。俺様が一緒なら、俺様が一緒なら、俺様が一緒ならお前にとってどんな夜も長くない。

 

男爵

Das später, All’s auf einmal. Dann zum Schluss. Sie wart’ auf Antwort. 

後でまとめてだ。すべて終わってからだ。あの子は返事を待っている。

 

Tret’ Sie ab indessen. Schaff’ Sie ein Schreibzeug in mein Zimmer hin dort drüben,

しばらく出て行け。あそこの俺様の部屋で筆記用具を用意しろ、

 

dass ich die Antwort dann diktier!

返事を書き取らせる!

 

男爵

Keine Nacht dir zu lang, keine Nacht dir zu lang, dir zu lang

どんな夜もお前にとっちゃ長くはないさ、どんな夜もお前にとっちゃ長くはないさ、お前にとっちゃ長くない

 

mit mir, mit mir mit mir keine Nacht Dir zu lang.

俺様が一緒なら、俺様が一緒なら、俺様が一緒ならお前にとって夜は長くないさ。

 


 

第3幕:宿屋の予備の部屋

 

宿屋の一部屋でオックスを罠にかける準備が進んでいる。歌はなくオーケストラにのせた演技のみで進行してゆく。

 

オックスはやって来たマリアンデルをものにしようと頑張るが、オックスの妻やオックスの子供たちと称する人々が乱入して大騒ぎになる。オックスは怒って警官を呼びマリアンデルをファニナルの娘で自分の婚約者と紹介するが、タイミングよくファニナルがやって来てオックスの嘘に激怒。ゾフィーまで現れ事態は混乱し収まりが付かなくなる。

 

そこに突然元帥夫人がやって来る。夫人は騒ぎを収めオックスにゾフィーとの結婚を諦めさせる。夫人は若いオクタヴィアンとゾフィーの仲を取り持ち、オクタヴィアンにさりげなく別れを告げる。

 

オペラの最後は三者三様の心を美しく格調高く歌い上げる有名な3重唱。

 

MET 2010 ルネ・フレミング、クリスティン・シェーファー、スーザン・グラハム

3重唱それぞれの想い

 

夫人はオクタヴィアンとの別れを予見していたが、今やその現実を受け入れる。

 

オクタヴィアンは夫人に未練はあるがゾフィーを愛している。

 

ゾフィーは夫人とオクタヴィアンの関係を悟り複雑な気分だがオクタヴィアンを愛している。


その後夫人は静かに去り、若い二人も2重唱を歌って後舞台から消えて幕となる。(2021.04.03 wrote) オペラ解説に戻る。