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今回は歌手に焦点を絞って彼らの働き方の違いを調べてみました。オペラ歌手は大きく2種類に分けられます。ソロ歌手と合唱歌手です。
ソロ歌手
まさにソロで歌うことが仕事の歌手です。彼らは公演毎に劇場と契約を結ぶフリーランサー(自営業者)です。基本的に歌う劇場や演目を自らの意志で選べるので、自分の希望する仕事をすることが可能です。
しかし、自営業者なので医療保険、年金等は自前でどうにかしなくてはいけません。世界中どの劇場で歌うも自由ですが、その滞在費や渡航費用も自分持ちです。
リハーサルに出なくてはいけませんがたいした報酬はありません。所属する音楽事務所への支払も結構な額です。舞台で一回歌ってなんぼの世界で、キャンセルしたら支払は無し。
一流の人気ソロ歌手は忙しい。世界中の歌劇場をジェット機で飛び回りホテルを転々とする生活です。自宅に帰ることも少なく、ゆっくり家族と過ごせるのもわずかな時間でしょう。家庭生活が崩壊することもしばしばです。
ですから夫婦歌手とか歌手&指揮者夫婦などは一緒に暮らせる時間を増やそうとしばしば共演します。例えば、ネトレプコ&エイヴァゾフ、アラーニャ&クルザック、ダムラウ&テステ、ガランチャ&チチョンなどの組み合わせ公演をよく見ます。彼らも努力しています。
一方、彼らとは異なるやり方を選ぶ歌手もいます。典型はアンニャ・ハルテロス。
まさに世界でトップの実力と人気のあるソプラノですが、彼女は自国ドイツおよび近隣オーストリアでの活動が殆どで、時々パリオペラ座やスカラ座にゆく程度。イギリスにさえまず行かないです。METには行きません(若い時は行きましたが)。
又自分の宣伝サイトも作らないしSNSも利用しない。彼女は自分の生活を大切にする為、自らの意志で行動範囲を狭めています。
カウフマンも2週間以上家族と離れねばならない公演を受けません。やはり家族を大切にしたいから、と言う理由で、その為に生じるデメリットは甘んじて受ける覚悟でしょう。
ただしこの様に選択出来る人は世界でもごくわずかで、多くのフリーランサーは「仕事が欲しい!」と、走り回っているのではないでしょうか。ソロ歌手は金銭的にも体力的にも精神的にも大変です。
合唱歌手
ドイツの合唱団員はソロ歌手とまったく異なる世界に住んでいます。合唱団の歌手 (オーケストラ団員も) は基本的に終身雇用扱いです。給料は毎月支給され、有給休暇もあり、様々な手当も付きます。健康保険料を歌劇場が半分負担してくれるのも良いです。
合唱歌手はフルタイムとパートタイムがありどちらかを選ぶことが出来ます。パートタイムだと給料は減りますが、空いた時間でソロ歌手としての活動も可能になります。
この様な合唱歌手としてドイツで働いている方のブログがあります。お給料の実額なども書いてあり、実際どの様に働いているかが分かります。興味のある方はご参照ください(ドイツで合唱歌手としての働き方)(ドイツでオペラ歌手になるまでの経過)。
ちなみにこの方の記述によれば、フルタイム雇用で一ヶ月31万円ほど、パートタイム50%雇用でその半分程度だそうです。
ドイツの合唱歌手は待遇的に安定していますが、自分自身の音楽をオペラ舞台の上で追究するのは難しいでしょう。
イタリア・スカラ座の合唱団も国から決められた額の月給を貰っています(文化芸術 vol.7, 2016, p5)。しかし終身雇用かどうかは不明。
劇場専属歌手、アンサンブル(歌手)
上記に加え歌劇場専属のソロ歌手、アンサンブル (歌手) がいるのがドイツ歌劇場の特徴です(ドイツ語圏歌劇場、スイス チューリッヒ歌劇場、オーストリア ウイーン歌劇場等にも同様のシステムがあります)。
契約は1-2年位 (チューリッヒは5年)ですが、その間は安定した収入が得られ、フリーランサーのように歌う場を求め神経をすり減らす必要がありません。
若い歌手が劇場で歌う機会をきちんと与えられ、勉強しながら実戦経験を積み、能力をアップさせてゆくにはよい環境とも言えます。
ただしどんな役をどの程度歌うかは基本歌劇場が決めますし、規模の小さな劇場を除き脇役を歌うことが殆どです。
またアンサンブル歌手は歌劇場と専属契約を結んでいる為他の歌劇場に出演するのは難しく、アンサンブル歌手からフリーランサーに移行するのは結構大変なのではないかと想像します。
例外は (今でも続いているかは分からないが)チューリッヒ歌劇場。ここのアンサンブルはある程度の自由度があって他の歌劇場で歌うことが出来ました。
若きカウフマンはこの歌劇場のアンサンブルを経由して世界の一流歌劇場で歌う人気歌手になりました。
ちなみに、現在人気スター歌手となっているベチャワ、カマレナ、グロイスベックなども若い頃チューリッヒ歌劇場のアンサンブルに所属していました。
ドイツのアンサンブルは契約を更新することができますし、15年継続できれば終身雇用になります。
しかし日本人にとって15年は高いハードルです。越えられなければ職を失います。アンサンブル歌手になる日本人はいますが、このハードルを前に帰国を模索する歌手もいるようです。
アンサンブル歌手にとって劇場での暮らしは大変で、自らを「ガレー舟漕ぎ手」と称しているようですし(「ヨナス・カウフマン、テナー」小学館p56)、給料はあまり高くないようです ("Oper - das knallharte Geschäft" 3sat, 2019.6.29)。
ただし他の業界、例えば日本の理系実験研究者の卵、ポストドク(期限付き雇いの博士号所持者)の仕事の大変さも似たようなもので、彼らは自らを「ピペド」(ピペットの奴隷)と呼びます。どの業界も下積みは厳しい。
とはいえ、アンサンブルシステムが無い国ですと、若手歌手には単発契約で歌うソロ歌手か合唱歌手の道しかありません。
前回の記事に書きましたが、「ドイツにオペラ人材が集積する」のはこのアンサンブルシステムの存在が一因かもしれません。
さて日本に住む(オペラ)歌手の働き方は?
オペラは元々明治時代に輸入した文化です。「都市の中心に歌劇場がなくてはならぬ」と考える欧州と異なり、オペラ愛好家の数も限られ「オペラ」に対する需要は大してありません。
でもオペラをやりたい人は需要に見合う人数よりはるかに多く、そのような人 ( or 組織) は黒字になる見込みが全く無い公演をやります。要するに(時として多大な) チケットノルマを歌手などに負担させて公演するのです。
この様なノルマ制は日本オペラ界では普通の事。それは「歌手が歌う為に金を払う」、赤裸々にいうと「歌手が金で役を買う」状況です。これはいびつに思えます。「趣味」でオペラを歌う為に金を出すということなら理解出来ますが。
ちなみに外国留学歌手のブログをいくつか覗き見た限り、ドイツなどではノルマを持たされて歌うことなどない様です。プロ歌手は稼ぐために歌うのだという労働意識がはっきりしているのでしょうか。
ただし新国立劇場、びわ湖ホールなどにノルマはないそうです。
日本人歌手の場合、「クラシックを歌う歌手が時々 (ノルマのある) オペラ公演に出演する」のが大多数で、殆どの歌手は大学・高校等の教員、アマチュア合唱団などの歌唱指導、その他音楽関係の仕事、又は音楽と全く関係の無い仕事を主体に生計をたてていると思われます。
オペラ公演だけで生活出来る金を稼げるフリーランサーのオペラソロ歌手は極々わずかです。実際存在するのだろうか?
その他オペラ専業で生活できるのは新国立劇場専属の合唱歌手やびわ湖ホールの声楽アンサンブルメンバーくらいだと考えられます (彼らの年俸は230-300万円位、各歌劇場のHP&求人広告などに書かれていた額を参考にした)。