2つの「指輪」世界 〜R.ワーグナー作曲「ニーベルングの指輪」とJ.R.R.トールキン作「指輪物語」〜


 

「ニーベルングの指輪」は「序夜と3日間のための舞台祝典劇」と名付けられた4部作の楽劇で、世界を統べる力を与える一方それを所有する者に死をもたらす指輪をめぐる壮大な物語です。

 

普通のオペラと異なり並外れたスケール感のある重厚で長大な作品です。 この台本は長編の叙事詩と言えましょう。ワーグナー自身が台本を書いています。 簡単な荒筋を書きますが、ご存じの方は飛ばして下さい。

追記:iltrovatoreのオペラ解説に「ワルキューレ」が載っています。

「ラインの黄金」

神々の住まうワルハラを巨人に作らせたヴォータンはその支払ができません。 彼は一計を案じニーベルング族のアルベリヒから世界を支配できる指輪を強奪します。

 

この指輪は元々アルベリヒがラインの乙女達から盗んだ黄金から作り出したものです。

 

怒ったアルベリヒは指輪に「死」の呪いをかけます。 指輪は支払いとしてヴォータンから巨人ファーフナーに渡ります。

 

「ワルキューレ」

舞台は変わって人間世界。 ヴォータンは指輪の呪いがかかった神々の運命を変えようと人間の女性にジークムントとジークリンデを産ませます。

 

別れ別れに育った彼らですが、ジークムントは偶然出会ったジークリンデと恋に落ち、彼は彼女の夫フンディングと決闘します。

 

ジークムントを勝たせたかったヴォータンでしたが妻フリッカの非難を受け入れ、ジークムントを殺すべくワレキューレの中で最愛の娘ブリュンヒルデを遣わします。 しかし彼女は父の命令に逆らいました。

 

怒ったヴォータンはジークムントを殺し、ブリュンヒルデから神性を奪って岩山に眠らせ彼女のまわりを燃えさかる炎に包ませます。 ジークムントの子を宿したジークリンデはジークムントの砕かれた剣をもって森へ逃げます。

 

「ジークフリート」

ジークリンデは子供(ジークフリート)を産んで死にます。

 

アルベリヒの弟ミーメに育てられたジークフリートは父ジークムントの残した剣(ノートゥング)を再び鍛え上げ、竜に姿を変えたファーフナーと戦って勝ち、竜が守っていた指輪と姿隠しのずきんを手に入れます。

 

そして小鳥の言うまま岩山の炎を通り抜けそこに眠っていたブリュンヒルデを見いだし妻にします。

 

「神々の黄昏」

ジークフリートはブリュンヒルデに指輪を与え旅に出ます。 旅先でギービヒー族の当主グンターと謀略に長けたハーゲンに出会います。

 

ハーゲンはアルベリヒの息子で指輪を狙っています。 彼はジークフリートに惚れ薬を飲ませてブリュンヒルデを忘れさせグンターの妹グートルーネを愛するように仕向けます。

 

ジークフリートはブリュンヒルデを妻にと望むグンターに請われ、姿隠しのずきんを使ってブリュンヒルデをだまし指輪を取り上げて彼女をグンターの元に連れ帰り、グートルーネと結婚しようとします。

 

ブリュンヒルデは怒りのあまりハーゲンにジークフリートの弱点を教えてしまいます。 ハーゲンはジークフリートを殺しますが不思議な力が働いて指輪を奪うことができません。

 

全てを悟ったブリュンヒルデは呪いを消滅すべくジークフリートの指から抜き取った指輪をラインの乙女達に返し、自らはジークフリートを焼く炎に飛び込みます。

 

その時ライン川はふくれあがってハーゲンを飲み込み、一方天上ではワルハラが炎上し神々は滅びます。

この楽劇の台本は北欧の神話(エッダ)や北欧散文物語(サガ、ヴォルスンガ・サガ他)、「ニーベルンゲンの歌」などをベースとして創作されています。 

 

エッダ、サガ、「ニーベルンゲンの歌」は北欧の人々の伝承を元にまとめられた文学なので沢山のバリエーションがありますが、ワーグナーが取り入れた元々の伝承をいくつか眺めてみます。

ニーベルンゲンの歌、古写本、バイエルン州立図書館

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北欧神話

オーディンの他にオーディンの正妻フリッグ、美と豊穣の神フレイヤ、戦いの神トール、元巨人族で始終悪さをするロキ、運命の女神ノルン、ラグナロクの戦いに備えて死んだ英雄の魂をワルハラまで運ぶワルキューレ達等、様々な神、神々と敵対する巨人、ジークフリト等人間の英雄、小人そして巨大な生命樹等が登場します。

 

ただし、ワーグナーは北欧神話で語られる彼らの性格を結構変えています。 北欧神話によると、世の終わりの日、ラグナロク(古ノルド語、Ragnarøk 「神々の運命」という意味)、 には神々と巨人達の最終戦争が起こり神々は敗北し世界は海中に沈んでゆきます。

 

エッダなどでは "Ragnarøkkr" と呼ばれており これは「神々の黄昏」と解されています。

「ニーベルンゲンの歌」

竜を退治したニーデルランドの王子、英雄ジークフリートはニーベルング族と戦ってその財宝を奪いブルグント国の姫、美しいクリームヒルトを妻に、と望みます。

 

クリームヒルトの兄グンテルはイスラントの女王ブリュンヒルトを自分の妻にしてくれるなら結婚させると言います。

 

ジークフリートはニーベルング族のアルベリヒから奪った隠れ蓑を使ってブリュンヒルトをだまし、グンテル王の妻とします。

 

更に結婚の翌日、隠れ蓑を使いグンテル王の振りをして王に従わないブリュンヒルトを力で懲らしめ王に従わせます。 この時彼は彼女から指輪と帯を抜き取ります。

 

ある時ブリュンヒルトとクリームヒルトはお互いの夫の上下関係について言い争います。 怒ったクリームヒルトは結婚の翌日にブリュンヒルトを懲らしめたのはグンテル王でなくジークフリートだったことをブリュンヒルトに告げ、彼女から奪われた指輪と帯を見せます。

 

屈辱に震えるブリュンヒルトは家臣のハゲネ等とともにジークフリート殺害を計画します。

 

ジークフリートは竜の血を浴びて武器で傷つけられない体になっていますが、一箇所血をかけ損なった場所がありました。

 

クリームヒルトからその弱点を聞きだしたハゲネは狩りの最中まさにその場所に槍を投げつけてジークフリートを殺します。ハゲネは更にクリームヒルトが譲り受けたニーベルングの財宝も奪いライン川に投げ捨ててしまいます。

 

夫を殺されたクリームヒルトは復讐心を押し隠しフン族の長エッツェル(アッティラ)に嫁ぎます。 そして兄王、ハゲネなどを領土に呼び寄せ彼らを襲撃します。 ブルグント族とフン族は激しく戦い、ついにブルグント族は全滅します。

 

ちなみにクリームヒルトがハゲネを殺したとき使ったのがジークフリートの形見の剣バルムンク・・・・「ニーベルンゲンの指輪」のノートゥングに相当します。 財宝はライン川のどこに隠されたかわからぬままに物語は終わります。

「ヴォルスンガ・サガ」より「竜殺しのシグルト」

オーディンはへニールとロキ(両方とも神様)をつれて世界を見回りに出かけましたが、カワウソに化けたオッタルをうっかり殺し、その父フレイドマールを激怒させます。

 

ロキは弁償金を彼に渡すためアンドヴァリという小人を脅して黄金と指輪を手に入れますが、小人は怒り指輪に「死の呪い」をかけます。

 

指輪を手にしたフレイドマールは彼の息子ファフニールに殺され、ファフニールは竜となって宝を守ります。

 

一方ファフニールの弟レギンはヴォルスング家シグムンド王の遺児シグルト(ジークフリートのこと)を育て、彼に竜を殺させるため名剣グラムを与えます。

 

その剣はシグムンド王の遺品でシグルトはその破片を母から受け取りレギンに打ち直させたのです。

 

シグルトはめでたく竜を殺します。 レギンはその後シグルトを殺す積もりだったのですが竜の心臓の血をなめたシグルトは鳥の言葉がわかるようになってレギンの悪計を知り、反対にレギンを殺して竜が隠した宝物を我が物とします。

 

この後シグルトは小鳥の導きに従いブリュンヒルトを見つけます。彼は彼女と恋仲になり結婚を約束して旅に出ます。

 

これ以降の展開は神々の黄昏のストーリーと良く似ています。最後シグルトに裏切られ復讐に燃えたブリュンヒルトは彼を殺させ彼の遺体を焼く炎に我が身を横たえたのです。 

 

この様に起伏に富み、劇的で悲劇的なサガやエッダに魅せられたのはワーグナーばかりでは有りません。J.R.R.トールキンもその一人です。

 

"JRR Tolkien picture, Eagle & Child, Oxford" by TheCreativePenn

 

J.R.R.トールキンはイギリス人。 オックスフォード大学アングロ・サクソン語教授でした。 古英語で書かれた英雄ベオウルフの物語研究で有名です。 もちろん北欧サガ、エッダなどは熟知していた方です。

 

言語研究に優れ、人工言語を創り上げるのが趣味でした。 彼は自分が発明した言語に実態を与えるため言葉に歴史的な背景を付けようと考えました。 その構想の中で産まれたのが途方も無く壮大な想像世界「アルダ」(地球)です。

 

「アルダ」は神々の歌によって創造されました。 そして創造から何万年という時間をかけ、不死のエルフ族、地中に住まうドワーフ族、定命の人間族、ホビット族、オーク等が産み出されます。

 

それぞれの種族は更に細かく別れ、独自の文化・暦・歴史・言語 (エルフ語は実際にしゃべることができます)を持っています。 またそれぞれの時代の地形(時代が進むにつれ地形も変化してゆく)、地名なども極めて詳細に描かれています。

 

トールキンが書き残したそれらの記述は緻密・厳密かつ膨大で本物の歴史を見るような現実感があります。

 

アルダの世界では、アルダ創造と同時に生まれた「悪」(モルゴス、後にサウロン)に対する神々、エルフ、人間の苦渋に満ちた数々の戦いが繰り返されますが (例えばシルマリルという宝玉をめぐる長年の戦い) 、物語の主舞台となったのは「中つ国」“Middle-earth” です。

 

トールキンの作品で最も有名な「指輪物語」 ”The Lord of the Rings” はアルダ創造から何万年も過ぎた太陽の時代第3紀の終わりわずか2年間という短い期間に「中つ国」で起きた指輪戦争の顛末を記した物語です。

 

とはいえ、この本は軽く1000ページを越えますけれど。

 

「指輪物語」

指輪物語とは、一言で言うと、「指輪を捨てにゆく」物語です。悪の権化サウロンが鋳造した悪の指輪は人々を惹きつける魔力を持ち、所持する者に世界を支配する力を与えます。しかし指輪所持者は次第に指輪に支配され最後には指輪の幽鬼となります。

 

その指輪をひょんなことから譲られたホビットのフロドは世界を滅ぼす力を持つこの指輪を消滅させるため、サウロンの支配する邪悪な地の滅びの罅裂に指輪を捨てにゆくのです。指輪を巡って人々は争い大戦争が勃発します。フロドは最終的に指輪を消滅させますが彼の心と体の傷は深く、その苦しみを癒すために彼は自分の命をかけて守った故郷を捨てエルフの住まう西方の地へと去ってゆきます。

 

トールキンは「指輪」に具体的な意味付けをすること、例えば原爆になぞらえる、を嫌いました。 指輪は人間の欲望があるかぎり様々な形で存在し続けるからかな、と思います。

 

ワーグナーとトールキンが創り出した作品の中で、「指輪」は人々の欲望に火を付け争いを引き起こします。 指輪を持つ者はたとえ指輪に魔力があることを知らなくても指輪の持つ「呪い」や「力」に翻弄され滅びます。

 

ブリュンヒルデやフロドは指輪の本質を知り、深く傷つきながらも自らの手で指輪を消滅させるのです。 

 

2つの「指輪の世界」はなんとも壮大です。 北欧の昔話に着想を得、ワーグナーは音楽で、トールキンは文学で世界が誇る偉大な芸術作品を創り上げたのです。

 

トールキンが創り出したアルダ世界の話は「指輪物語」以外にも「ホビット」「シルマリルの物語」「終わらざりし物語」 「THE HISTROY OF MIDDLE-EARTH"(このシリーズ12+1巻の日本語訳はない。膨大な内容。)」という本になって出版されています。ワーグナーと同じで取っつきにくいけれどその魅力にとりつかれると一生逃れられない世界です。

 

ちなみに「指輪物語」はピーター・ジャクソンにより3部作として映画化され驚く程の人気を博し、最後の「王の帰還」で11ものアカデミー賞を取りました。 歴代最多の受賞数で、同じく11賞とった「タイタニック」「ベンハー」と並ぶ高い評価を得たのです。

 

受賞した賞の一つに作曲賞があります。作曲を担当したハワード・ショアは複雑で難解なこの作品を理解し易くするためにワーグナーのライトモチーフを採用しました  (2018.6.24 wrote) おたく記事へ戻る