マイケル・スパイアーズ (Michale Spyres)

 

アメリカ生まれのテノール。1979年生まれで本年42歳。超絶技術を持つ素晴らしいベルカントテノールとして有名でドニゼッティ、ベッリーニ、ロッシーニをよく歌っています。あまりに難しいので「テノールの墓場」とあだ名が付けられている「ウイリアム・テル」(Guillaume Tell) のArnold などを難なく歌いこなします。彼のArnoldのアリア ”Amis, amis" には全く惚れ惚れさせられます、なんと力強く輝かしく歌っていることでしょう。余裕しゃくしゃくのハイC。

ドニゼッティ作曲による "Les Martyrs" 「殉教者」 第3幕 のアリア "Oui, j'irai dans les temples"。最後になんとハイE!!をファルセットではなく力強いフォルテで出してます。

ロッシーニ作曲 "Guillaume Tell"  「ウイリアム・テル」、第4幕 Arnoldの極難で有名なアリア ”Asile héréditaire〜Amis,amis" ("Amis,amis" は9:00より)


 

また彼はフランスオペラでも有名でマイアベーアーの「ユグノー教徒」のRaoul、ベルリオーズの「ファウストの劫罰」のファウスト、オッフェンバックの「ホフマン物語」のホフマン、そのほかたくさんのフランスオペラを歌っています。

 

彼の声は非常に密度が濃く、張りと強さがあります。彼は三オクターブの声が出るそうです。しかも超高音をファルセットではなく強い声で出すことができるのです。輝かしいハイCは彼にとって大した高さではないように聞こえます。最高級の技術と歌唱力そして張りのある強い声に恵まれたテノールです。

 

彼の残念なところというと、、、地味ですね。以前彼のホフマンをバイエルン歌劇場で聞いたことがあります。素晴らしい声で歌もうまいのですがなぜか目立たない。容姿・立ち振る舞いが地味なのです。もう少し派手さがあれば素晴らしい人気が出るのではないかしら。とはいえ欧米では十分人気があると思います。

 

しかも彼の素晴らしいところはこれだけではありません。歌のレパートリーが異常に広いのです。この一年間彼が歌った演目をざっと見てみると、、、

 

モーツアルト「ポントの王ミトリダーテ」ミトリダーテ

ベルリーニ「ノルマ」ポリオーネ、

モーツアルト「ドン・ジョヴァンニ」ドン・オッターヴィオ、

ベートーベン「フィデリオ」フロレスタン、

ワーグナー「トリスタンとイゾルデ」トリスタン、

グノー「ロメオとジュリエット」ロミオ

 

これ、彼が歌った順に書いています。トリスタン、フロレスタンはスピントテノールの難役。一方ドン・オッターヴィオとロミオは若いリリックなテノールがよく歌う役です。

 

ドイツ、フランス、イタリアオペラ、ベルカントからワーグナーまで、これだけ多様な役を歌えるテノールは現役歌手ではいないのではないでしょうか(ドミ様を除く)。カウフマンもレパートリーの広さを誇っていますが、ベルカントオペラはあまり歌っていないです。

 

さらにびっくりすることに、彼はバリトン領域にまで手を出しています。下の動画は「セヴィリアの理髪師」フィガロ(バリトン)の有名なアリア "Largo al factotum"「私は町の何でも屋」です。

ううん、相当低音までしっかり出しますね、声の響きはハイバリトン風。本人は2021/22シーズンに " (Unidentified Singing Object): BariTenor" とかいうアルバムを出すらしい。なんでもベルカント、ワーグナー、フランスのグランドオペラ、ヴェリズモまでのテノールとバリトンのオペラアリアを歌うそうです。

 

追記1:”BariTenor" CD の鑑賞記を載せました。この鑑賞記には「バリテノール」という言葉の説明も入れてあります。いや、なかなかスパイアーズはすごい歌手です。(2021.12.26)

 

追記2:ちなみに、スパイアーズは初めバリトンとしてスタートしましたが、先生の勧めによってテノールに変えたということです。ベルカントオペラの世界は先見の明のあったその先生に感謝ですね。(2022.12.27)

 

テノール、バリトン、バスと音楽の世界は男性の声種に区別をつけていますが男性の声帯が三種類あるわけではなくその境界ははっきりしません。自分のパートに固定化されず、歌いたいものを歌いたいように歌う、という攻めの姿勢には好感が持てます。

 

ついでですが、そんな彼が2022年3月にカウフマンやラドヴァノフスキーが出演するコンサート形式「トゥーランドット」の皇帝Altumを歌います。トゥーランドットのお父さん、年取った有名テノールがよく歌う役です。あれえ、と驚いたのですが彼は現役人気テノールが歌わないような役も制覇する気なのかもしれません。いずれ彼は「魔笛」の夜の女王のアリアを歌うんじゃないか、と冗談を飛ばす人もいるくらいだから。(2021.07.25 wrote) 番外地に戻る