サロメ バイエルン州立歌劇場 2019.7.10.公演

 

このオペラは短く全部で1時間45分程。休憩は無く、オペラが終わって外へ出たら空はまだ明るかったです。しかし主役サロメは出突っ張り、歌いっぱなし、途中で踊りも入る大変難しい役です。サロメ役のマルリス・ペーターゼンも大変。

 

しかし彼女は上手かった。始め彼女にしては明るく細めの声だなあ、と思いましたが、そもそもサロメは妖しく美しい少女のはずです。聴いているだけでこれは難しい、と思う高音もつぶれること無く最後まで歌いきりました。

 

(これは大いなる称賛です。iltrovatoreはワーグナー、R.シュトラウスのオペラでしばしば聞かれるつぶれた金切り声の高音が大嫌いなのです)。

 

勿論ペトレンコの指揮が巧みだったおかげでもあるのでしょう。歌手の声を無理なく活かす彼の指揮は絶品ですから。

 

良かったと思ったのは第4場の「7つのヴェールの踊り」の場面。オーボエのソロから始まるエキゾチックで難解な音楽をペトレンコは何とも美しく演奏し、iltrovatoreは聞き惚れました。

 

ダンスも良かったです。サロメ一人でなく「死」を模した男性ダンサーとの有る意味エロティックなダンス。血塗られた妖婦サロメのイメージがはっきりして一人で踊るより効果的だったと思います。

 

この音楽に合わせて背後にアニメーションで絵が描かれて行きます。始めは一匹のユニコーンから段々と背後を埋め尽くすタペストリーの様になります。上の写真にある様にとても美しい背景でこれも素晴らしかった。舞台中央が割れるとそこは地下の古井戸 (貯水槽らしい)、というのもいいアイデアです。

 

一方、ヨカナーン役のヴォルフガング・コッホです。朗々とした声で歌自体は良かったのですが、何せ外見が悪かった。どう見てもごま塩頭・白いひげだらけのむさ苦しい太ったおじいさん。サロメが魅せられる若く美しい男のイメージとはかけ離れ、動作も幽閉でよろよろ、というよりよたよた風。これは幻滅でした。

 

ヘロデは歌う箇所が多い割に全く印象に残りませんでした。反対にミカエラ・シャスターさんが良かったです。彼女が舞台に現れただけでヘロディアスだとはっきり分かる存在感の大きさ、そしてふてぶてしい芝居がまったくヘロディアスその人!

 

ナラボート(Pavol Breslik)、 ヘロディアスの小姓 (Rachael Wilson)も普通に良かったです。

 

しかしオペラが終わったときの聴衆の反応が面白かった。まずはざわざわという話し声(雑音)が一瞬劇場を支配し、そのあと礼儀正しい気のない拍手が起こりました。足踏みも無し。

 

ペーターゼンとペトレンコに対しては拍手と足踏みがありましたが、コッホには拍手だけ。ブーさえもないこの様に冷めた反応はめったにお目にかかれません。

 

この冷たい反応の原因は演出でしょう。演出家のクリストフ・ワリコフスキーは悪名高いアウシュビッツのあったポーランドの生まれ。オペラがユダヤ人の王ヘロデとその妻、連れ子を主人公としているので、ナチス時代の抑圧されたユダヤ人とこのオペラとを強引に結びつけようとしたのでしょう。

 

今回の舞台はナチスの時代、ユダヤ人が隠れ住んでいる一室から始まります。その中で、財産を奪われ命の危険に脅かされてびくびくしている「はず」のユダヤ人達が、、、素敵なドレスをまとってお気楽にダンスをしている。ヘロディアスの衣装も豪華。・・・・何じゃ、これ?違和感がふつふつと沸き立ちます。

 

更に迫害されているユダヤ人が隠れ住んでいる居間の地下にヨカナーンを幽閉しているという奇妙な設定。ナチスが支配する時代のユダヤ人にそんな事をする余裕があるのか?

 

また、ナラボートは毒薬を飲んで死ぬらしい。そしてまわりにいたユダヤ人達も毒を飲むのだが(理由不明)、最後に皆さん生き返るのもこれまた理由不明。せっかくダンスで死をイメージしているのに、演出に一貫性がない。

 

オペラの冒頭、演出家はオペラの台本に無いプロローグを付けました。後から調べるとドイツ人寡婦がユダヤ人に搾取されるというシーンで、 “Monsieur Klein”という映画から取ったのだそうです。

 

ワリコフスキーは抑圧された閉鎖空間の中でのユダヤ人達の行動(この舞台を見る限り貪欲な行動)に興味があるらしい。しかしそれは「サロメ」というオペラ音楽の主題とは程遠く、舞台で表現するにしてもほんの脇筋程度の重みしかないでしょう。

 

プロローグまで付け (プロローグ自身も意味不明だが)、さらにバイエルン歌劇場のツイッターなどで説明しないと理解出来ない様な演出はどっちにしろ良い演出とは言い難いし、観客も理解したようには見えませんでした。

 

オペラの楽譜に存在しない演出者の独善的興味を演出の中心に据えると演出と音楽が乖離し、不自然さが目立ち、むしろオペラを混乱させます。

 

演出はオペラ音楽の内容と矛盾せず、陰影と奥深さを加えるものであって欲しいのです。その点で言えば、踊りのシーンだけは良かったと思うのですが。

 

と、今回もまた演出批判になってしまいました。しかしiltrovatoreとて、時代読み替えや奇妙な演出にいつも批判的な訳でもありません。少々の時代読み替えなら殆ど違和感がないし、ROH2016の現代物コジ・ファン・トゥッテなど小洒落ていて楽しかったです。

 

しかしまさにぶっ飛んだ何でもありの演出にも素晴らしいものがあります。その良い例が次に書こうと思っているCarlus Padrissa - La Fura dels Baus演出による「トゥーランドット」です。(2019.7.19. wrote)

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