アンドレア・シェニエ ROH 2015

 追記:アンドレア・シェニエの説明が「iltrovatoreのオペラ解説」歴史テノールソプラノバリトン編)に出ています。

 

デヴィッド・マクヴィカーがオーソドックスにフランス革命時代を演出しています。衣装も当時の再現に努めたそうで、カウフマンの履いている靴は着脱に5分もかかる代物らしい。「幕毎に脱ぎ着は大変だけれど (ストッキングを履き替えなければいけない為だそうです) 演じられる時代そのものに入り込みやすい」(こちら)とはカウフマンの弁です。

 

ウエストブルックはもともとゆったりとした動きをなさる方という感じですが、その感じが世間知らずのお嬢様に合っている。2幕目以降、家族を全て失った上に自分を愛してくれる人(元召使いのベルシ)が自分の犠牲になっているという引け目をもち、シェニエへの愛だけに生きる価値を見いだす女性になっています。

 

カウフマンはシェニエにぴったりです。理想主義に燃える情熱的で麗しき詩人。革命前は貴族の前で貴族階級を堂堂と批判します。「ある日青空を眺めて」は輝かしくヒロイックでエモーショナル。当然ながら歌も芝居もうまい。

 

貴族達は第3階級(平民階級)の勃興や平民の貴族に対する不満を聞かされても全く無関心。優雅なガボットが鈍感でおろかな貴族の象徴として効果的に演奏され、その音楽に平民階級の不穏な音楽が重なります。第1幕は平民の怒りを無視するかのようにガボットが再び演奏されて終わります。この音楽の一連の運び方はジョルダーニ上手ですねえ。

 

第2幕目の舞台。中央に暗殺されたジャコバン党の指導者マラーの胸像を置き、マラーの死をプロパガンダとして利用した恐怖政治のまっただ中にいることを視覚的に示しています。

 

時代の流れはシェニエの理想を裏切ります。彼の歌からもまた酔っ払った芝居からも彼が革命に空しい想いを抱いているのが見てとれます。

 

彼はすでにジャコバン党から危険人物とみなされています。シェニエはマッダレーナと再会しすぐに激しい愛におちますが、彼女を密かに愛し彼女の行方を捜していたジェラールに見つかって決闘となりジェラールを傷つけてしまいます。シェニエとマッダレーナは一緒に逃げ出します。

 

ルチッチが演じるカルロ・ジェラールという人物はとても魅力的です。第1幕目は奴隷に近い使用人という自分の身分を激しく憎み自由を欲しています。しかし権力を持つようになった第2幕目になるとシェニエに傷つけられたにもかかわらず 「マッダレーナを守ってくれ」 とそっと彼に言い彼を傷つけたのがシェニエであることを皆に隠しています。

 

第3幕目では 「わたしはやっぱり奴隷のままだ。主人が替わっただけだ。しかも暴力的な激情の奴隷だ。もっと悪いことにわたしは殺人者なのだ、人を殺しながら泣いている。」 と有名なアリア 「国を裏切る者」 を自嘲的に歌います。このアリアは深く美しく感動的です。

第3幕 ジェラールのアリア 「国を裏切る者」


嫉妬からシェニエを逮捕してしまったジェラールですが、シェニエの命乞いのために現れたマッダレーナが歌う 「亡くなった母を」 で彼女の心情を理解し、シェニエを愛する心に打たれてシェニエの助命に奔走します。

 

そして最後はマッダレーナがシェニエと共に死ねるように取りはからうのです。彼は身分の違いなど理解できないほど幼い頃からマッダレーナを密かにずっと慕い続けているにも関わらず、です。

 

ちなみにジェラールはアリアも良いしアリア以外の出番と台詞も多い。演出の仕方を変えればオペラ 「アンドレア・シェニエ」 ではなくてオペラ 「カルロ・ジェラール」 にもなり得るくらいの重みのある役だと思います。

 

第4幕は監獄にいれられているシェニエが人生最後の詩 「五月の晴れた日のように」 を歌います。時代に翻弄され死んでゆく詩人としての想いがほとばしりでるカウフマンの熱唱でした。

そして彼の熱唱で心が一杯になっている状態がさめやらぬままにマッダレーナとの最後の二重唱へと雪崩れ込みます。革命に裏切られたシェニエと全てを失ったマッダレーナが勝ち得たただ一つの価値あるもの、愛、をたたえ、「私の生涯はあなたのもの!愛は不滅!死によって私達は一つになる!」と二人は高らかに宣言します。

 

最後に看守が点呼します。「アンドレア・シェニエ」「私だ」、「イディア・レグレイ」「私です」。手を取り合いギロチンへと向かう二人の後ろ姿を見せながら舞台は感動的に終わります。 (2017.02.18 wrote)