オペラ解説:「アンドレア・シェニエ」と「トスカ」 "Andrea Chénier & Tosca"  (1) 歴史編 ーフランス革命とナポレオンー

 

この2つのオペラはフランス革命とその結果起こった対仏戦争の時代、歴史に残る戦争、場所、人物を背景として主人公達の生き様を描いた作品です。台詞の中にばんばん歴史的な事柄が出てくるため安易な時代読み替えをすると、(耳で聞く)歌詞と(目でみる)舞台とがミスマッチングを起こし音楽の力が失われてしまうオペラです。

 

 

「トスカ」は今更筋を説明する必要もないほど人気のあるオペラ。 一方「シェニエ」は上演回数の少ないオペラです。 2015年カウフマン主演による「シェニエ」はROHで実に30年ぶりの公演です。 また2017年バイエルン歌劇場での上演(これもカウフマン主演)はなんとバイエルン歌劇場初演となっています。

 

しかしテアトロ・コロンでホセ・クーラ達が、そして2018年スカラ座でネトレブコらが競うように 「シェニエ」 を上演していますので、定番オペラとしての地位を得てきているのかもしれません。

 

「シェニエ」 は1896年、「トスカ」 は1900年の初演で「シェニエ」 の方が4年ほど早く上演されています。

 

この2つのオペラはストーリーの流れが似ていて両者を比較しながら見てみるとお互いの特徴がよくわかります。そこで今回は 「歴史編」 「キャラクター編」 に分けて書いてみたいと思います。 シェニエの荒筋はこちら,トスカはこちら

 

歴史編:「アンドレア・シェニエ」の時代 ーフランス革命の時代ー

 

18世紀フランス革命前夜、自由・平等を唱える啓蒙思想がヨーロッパ各地に広まってゆきます。当時フランスのボーマルシェが書いたフィガロ三部作の中で作家は貴族を痛烈に批判しています。

 

その戯曲を元にモーツアルトが1786年(フランス革命勃発の3年前)に作曲したのが「フィガロの結婚」で、領主の特権を乱用しようとしたアルマヴィーヴァ伯爵(貴族)は賢く機転が利くフィガロ(平民)に完敗です。

 

"Le nozze di Figaro" by CineRecensione 

 

当時フランスは絶対王権の時代。 王は多額の財政赤字に悩み財政改革を行おうとしますが、第3身分(平民階級)からは既に搾り取れるだけ搾り取っているため増税しにくい。

 

とにかく税収を上げねばと第1、2身分(聖職者と貴族階級)に課税を考えますが彼らは大反対。 にっちもさっちもいかなくなった王はネッケルを財務長官に再任命します。 ネッケルは三部会(第1、2、3身分の議員で構成される)の開催を就任の条件とします。

 

第三階身分が聖職者と貴族を背負う 

 

The Third Estate carrying the Clergy and the Nobility on its back

 

  

三部会は開かれました。しかし 既得権を守りたい聖職者・貴族は平民の要望を無視しようとして三部会は紛糾。 とうとう1789年7月14日バスチーユ襲撃が起こり、フランス革命が勃発します。 ちなみにパリの新オペラ座はこのバスチーユの地に建てられています。

 

ここでオペラをみてみましょう。 「シェニエ」 第一幕。 舞台はフランスの貴族の館。 パリから来た修道院長はマッダレーナの母コワニー伯爵夫人達に「王がネッケルにそそのかされている。 第三身分が台頭している。」 と話しています。

 

そして啓蒙思想に染まったシェニエは聖職者・貴族達の前で彼らを批判する「ある日、青空を眺めて」 “Un di all’azzurro spazio” を歌うのです。 しかし聖職者・貴族は彼を全く無視します。(カウフマンが歌うこのアリアと歌詞はこのページにあります)

 

「バスチーユ襲撃」

Jean-Pierre Houël作

フランス国立図書館、

départment Estampes et photographie

 

Prise de la Bastille.jpg ジャン=ピエール・ウエル  

 

 

革命は成功します。しかし革命政府はフイヤン派(立憲王政派)、ジロンド派(穏健共和派)ジャコバン派(過激派)等に依る権力闘争の場となっていきます。 最終的にロベスピエール率いるジャコバン派が権力を握り、対立派を次々と粛正する独裁恐怖政治が始まります。

 

「シェニエ」 第2幕−4幕はこの恐怖政治時代のパリが舞台になっています。 台本には1794年パリ、右手にはマラーに捧げられた祭壇がある、と書かれています。 マテューは「マラーの頭の上にほこりがたまっている」と歌い、ベルシは「ロベスピエールがスパイを使って人々を監視しているって本当なの?」と聞きます。 密偵はシェニエを危険人物として監視しています。

 

「マラーの死」

ジャック=ルイ・ダヴィッド

ベルギー王室美術館蔵

 

"Jacques-Louis David, La Mort de Marat (1793)" by raelga "

 

この絵に関する記事が別のおたく記事にあります。

 


 

マラーという人はジャコバン派の闘志でしたが、ジロンド派に傾倒する女性に風呂場で暗殺されます。 同じくジャコバン派に属する画家ダヴィッドはマラーの死を美化した絵画 「マラーの死」を作成し、ロベスピエールはこの絵(イメージ)を独裁恐怖政治に利用します。 オペラ「シェニエ」 にはマラーをイメージした舞台装置が頻繁に出てきます。

 

第2幕の最後でシェニエと剣を交え傷ついたジェラールは「きみの名前が(危険人物として)リストアップされた」 とシェニエに告げ、逃げるように言います。・・・・・恐怖政治のど真ん中、シェニエは捕まれば殺されると決まったようなものです。

 

第3幕は革命裁判所の大広間。 ジェラールは 「オーストリア、プロイセン、イングランドがフランスに襲いかかっている。 今こそ金と血が必要だ!」 と献金と兵士を募り、 盲目の老婆マデロンはたった一人残された孫を国に捧げます (マデロンの歌)。 彼女は何故この様な犠牲を払うのでしょうか。

 

マデロンの歌

 

この頃、 自国でも革命が起こることを恐れたヨーロッパの国々はフランス革命をつぶそうとジェラードが語るように連合を組んで対仏革命戦争を起こします。 フランス人からみれば自分達の自由を守る戦争で、マデロンの孫の様な人々が活躍してフランスは最終的に戦争に勝ちますが・・・・・

 

第4幕、 捕らわれたシェニエは結局死刑を言い渡され、マッダレーナと共にギロチンにかけられてしまいます。 

 

追記:以下「アンドレア・シェニエとトスカ、バリトン編」からの一節を転載

 

そして実際の歴史はシェニエの死後2日目に急転します。 1974年7月27日、テルミドールのクーデターと呼ばれる反乱が起こり、ジャコバン派は一斉に捕らえられ、7月28日から3日の間にロベスピエールを始めとして100人以上が処刑されます。ジャコバン派の高官だったジェラールも恐らくこのクーデターで捕らわれたのではないでしょうか。 そしてシェニエとマッダレーナの死から一週間もたたないうちに、彼らの後を追うが如く断頭台の露と消えたのではないかと私は想像しています。

 

テルミドールのクーデター;ロベスピエールの処刑

 

荷台の上で茶色の上着を着て顎をハンカチで抑えている人物がロベスピエール(クリックで拡大します)

 

Execution robespierre, saint just....jpg

 

歴史編: 「トスカ」の時代 ーナポレオンの時代ー

 

対仏革命戦争は次第にフランスによる侵略戦争に変質してゆき、この戦争で力を得たナポレオンはイタリアを侵略します。 この頃、領主の圧政に苦しむイタリアの国々の人々はナポレオンを解放者と考える者も多く、トスカの恋人カヴァラドッシもその一人です。

 

ナポレオンはローマを攻め一時期「ローマ共和国、 "La Repubblica Romana"」(1798.2.15~99.9.30)、を樹立させますが、「トスカ」の時代その共和国は崩壊し王政に戻っています

 

 サンタンジェロ城から脱獄したアンジェロッティをカヴァラドッシは "Angelotti! Il Console della spenta repubblica romana"(アンジェロッティ!消滅したローマ共和国の統領)と呼んでいます。カヴァラドッシにとってアンジェロッティは自由を守る重要人物で、だからこそ命を賭けても救いたい人物だったのでしょう。

 

ナポレオンは1800年の春エジプト遠征に乗り出し、彼の不在を好機と見たオーストリア等の国々は第二次対仏同盟を結成しフランスに戦いを挑みます。 1800年6月14日、マレンゴ(イタリア北部の町)におけるオーストリア軍との戦いでナポレオンは窮地に追い込まれるも、最後逆襲に成功し勝利を得ます。

 

この日、前半の戦いで勝利を確信したオーストリア軍の将軍メラスは勝報をウイーンに送りましたが、これは誤報でした。 

 

「マレンゴの戦い」

Louis-François Lejeune

ミラノ、市立ベルタレッリ印刷物収集館

 

"Bataille de Marengo, by Louis-François Lejeune" by Historystack 

 

「トスカ」は、まさにこの1800年6月14日マレンゴの戦いの結果を聞き知ったローマが舞台になっています。 第1幕は聖アンドレア・デッラ・ヴァレ教会礼拝堂の中。 「マレンゴの戦いでナポレオン(ボナパルト)敗退」の知らせ(誤報)を聞いた堂守が子供達と喜び合い、 教会ではミサが捧げられます。 ここでスカルピアが歌うのが有名な 「テ・デウム」です。

 

しかし第2幕、ファルネーゼ宮でカヴァラドッシを拷問していたスカルピアは部下のシャッローネから「マレンゴで」「ボナパルトが勝利しました!」「メラス将軍は敗走中です!」と聞かされます。 

 

それを聞いた自由主義者(ナポレオン支持派でスカルピアは彼をヴォルテール派と呼んでいる)のカヴァラドッシは “Vittoria! Vittoria!” 「勝利だ!勝利だ!自由だ!専制政治は打ち倒されるのだ!」 と高らかに叫びスカルピアから即、死刑を申し渡されるのです。

 

ちなみにダヴィッドによる有名な「アルプス越えのナポレオン」に描かれている軍馬の名前はマレンゴ。 マレンゴの戦いにちなんで付けられた名前だそうです。 

「サンベルナール峠を越えるナポレオン」

ジャック=ルイ・ダヴィッド

ヴェルサイユ宮殿蔵

 

"Le Premier consul franchissant le Grand-Saint-Bernard - Jacques-Louis David - Exposition Les désastres de la guerre 1800-2014 - Musée Louvre-Lens" by y.caradec

 

(2018.1.17. wrote) 次テノール編(シェニエの場合)に続く。  iltrovatoreのオペラ解説に戻る