「ドン・カルロス」パリオペラ座 2017.10.16.

 

今回の「ドン・カルロス」はパリオペラ座での「ドン・カルロス初演150周年」を記念してのイベントで、オペラ座は根性を入れていました。まずは豪華な歌手陣:ヨナス・カウフマン、エリナ・ガランチャという2大超人気歌手、ソンヤ・ヨンチェバ、リュドヴィック・テジエ、イルダール・アブドラザコフとこれも人気歌手。

 

これだけのメンバーを集めるのは大変だったと思います。もちろんチケット争奪戦は激烈でした。

 

今回のもう一つの目玉は原典版のフランス語 「ドン・カルロス」 5幕版が使われたことです。指揮者フィリップ・ジョーダンによればバレエ場面を除きカットされたところはないそうです(参考:評論「ドン・カルロス」)。その結果午後6時に始まって11時に終わるという長い舞台になりました。

 

またバレエを除き全くカットがない、と言うことは、非常に人気の高かったザルツブルグ音楽祭2013年のイタリア語版5幕 「ドン・カルロ」(カウフマン主演)(参考:鑑賞記イタリア語版5幕「ドン・カルロ」)は言うに及ばず1996年パリ・シャトレ座でのフランス語版5幕 「ドン・カルロス」(ロベルト・アラーニャ主演)とも異なる版ということになります。

 

結論から先に言うと、歌手陣に関してはこれほどレベルの高い公演にはもうお目にかかれないだろう、と思うほどの素晴らしさでした。一方演出はWarlikowskiという演出家によるもので、その評価はまあ様々でした。

 

彼の演出はカルロスとエリザベスの絶望的な愛を中心とはせず、破壊された家庭、政治を絡めた複雑な人間関係を主体としていたように思います。時代設定は恐らく19世紀から20世紀初頭くらいでしょうか?

 

 

第1幕、フォンテンブローの森、といっても今回は父に愛されず孤独で自殺未遂をしているらしいカルロス王子の部屋。エリザベスとのつかの間の愛の思い出は淡い夢とも思える演出でカルロスの絶望感が募ります。もともとこのオペラは主役のはずのカルロスに大きなアリアは与えられておらず、カルロスの存在感は全体を通しての歌唱と演技で出すしかありません。

 

しかしそこはカウフマン、とにかく芝居が上手い。ずっと双眼鏡で彼をガン見(手が疲れた)で追っていましたが、名俳優並みのうまさ。これはビデオで彼をアップで映してくれたらものすごく嬉しいのですが。日本のTVが19日ライブの放映権を買ってくれないかなあ。更に歌もよかったです。

 

彼の声は決して大きくなく、時にはピアノで絶望感を表現することが多かったのですが、その声はいつもしっかりとクリアーに響いていました。またカウフマンとテジエの声の質がとても似ているので友情の二重唱も自然で美しい。

 

今回の公演で輝いていたのはガランチャ/ エボリです。完全に美しい悪女ですね。誇り高く自分に権力が有ることを自覚しエリザベスを軽んじています。誇らかに歌う 「ヴェールの歌」 は輝かしく豊かな声が印象的でした。さらにカルロスが愛しているのはエリザベスで自分ではないと気づき復讐を考えるところはなかなかの迫力でした。

 

最後の「呪わしき我が美貌」、これは圧巻。彼女は本当に美しいですしね。しかも声が素晴らしい。圧倒的なうまさで聴衆を魅了しました。

 

 

テジエとアブドラザコフですが、この二人とも麗しく歌っていました。ロドリーグはもともとカルロスとの強い友情はあれどフランドル救済に命を賭けており、有る意味カルロスを利用しています。そのため王に対する態度も私からみればすっきりしないが、というところを上手に演じていたと思います。

 

彼の声は滑らかで朗々と響いていました。アブドラザコフは、うん、まだ若いです。とても美声ですがこの役に関してはフルラネットの重厚な声と姿が未だ私の頭から消えていないのです。すいません。

 

アブドラザコフ/ フィリペ2世の性格付けに関して、第3幕の終わりの方で人間が人間を食っている様な演出が出てきました。

 

有名なゴヤの「我が子を食らうサトゥルヌス」(写真)を連想させます。サトゥルヌスは「我が子に殺される」という予言を恐れ我が子を食い殺しますが、演出家は「フィリペ2世が己の政治的な権力を保つ為に我が子を殺す」 というメッセージを強く押し出したかったのでしょう。ただ舞台で演じられている演出とイマイチ合っていなくてちぐはぐ感はありました。

 

ゴヤの「我が子を喰らうサトゥルヌス」

 

"File:Francisco de Goya, Saturno devorando a su hijo (1819-1823) crop.jpg" by Soerfm 


 

最後はヨンチェバ。良い声と演技で並み居る実力派歌手達と対等に渡り合っていました。ただ高音を張るところで音がつぶれた感じに聞こえるのです。特に「世の虚しさを知る神」でそれを強く感じました。単に調子がさほどよくないのか、自分の声をよりロブストにしようとした結果つぶれた様に聞こえたのかはわかりません。そのため私はどうも彼女のアリアにのめり込むことができませんでした。

 

ただし、これは彼女が下手だということでは有りません。充分に実力を示した歌唱であったが今ひとつ言えば、と言う程度の事です。

 

今回の公演で、カルロスは最初から最後まで非力で絶望的です。輝かしく歌うところが無い。今回のカルロはずっと 「どよよんムード」 が続くのみ。人間的に魅力のあるカルロスでは無かった。

 

カウフマンは演出家の意図にそったカルロス像を表現していたと思います。それはそれでよいのですが、この演出が私の好みかというとそれは??

 

 今回演出家が表現しようとしていた「家庭内不和」ですがフィリポ2世がアル中しかもエボリとの不倫がより明確、で示されたくらい。カルロスが剣をぬいて父に刃向かうところも何故かあまり迫力がなかったし。一方「政治性」ですが大審問官と王との政治的な会話も迫力が欠けていた。なぜなら両者とも見た目も声も若すぎで重厚感・威圧感に欠けていたし、現代的な洋服では「王権対教会」という緊張感を視覚的に示せなかったから。

 

政治的に複雑に立ち回るロドリーグのキャラも(何となく無表情の顔以外は)さほど目立たなかった。ガランチャは輝いていたがそれは彼女の歌唱が輝いていたのであってエボリのキャラは従来の演出とさして変わらず。カルロスの無力感孤独感だけがやけに目立っていた。

 

この様な点を考えると演出者は表現したかったものを詰め込みすぎ、その結果を受け取るわたしにはかえって中途半端と感じられ心に響かなかった。素直にカルロスとエリザベスの実らぬ愛に焦点を絞った方がこのオペラにより共感できると思いました。しかし演出家が一生懸命新味をだそうと考えたというのは理解できました。

 

また今回使われた原典版ですが、やはり長すぎで冗長に思えるところがありました。ヴェルディが短くカットしたのも納得です。5時間の公演を長いと感じず素晴らしいと思えたのはひとえに歌手陣の歌唱が素晴らしかったからでしょう。(2017.10.21.wrote)