ウイーン国立歌劇場鑑賞記「アンドレア・シェニエ」 2018.5.2.

 

今回私の観賞した「アンドレア・シェニエ」は111回目のオットー・シェンク演出舞台だそうで、ドミンゴ様も1981年に同じ演出でシェニエを歌っていますこれも素晴らしいです iltrovatore)。 この演出を古くさいという評論家達もいますが上の写真でわかるとおり台本に忠実で無理がなく、聴衆が落ち着いて歌を聴いていられる雰囲気があります。 

 

私が観賞した5月2日はカウフマン、ハルテロス、フロンターリが歌う「シェニエ」最後の舞台でした。いよいよ幕が上がる、という時壇上に男性が上がってきました。 これは不吉でとってもいやです。 歌手キャンセル!のお知らせだったりするのですから。 しかし今回は「ハルテロスは風邪を引いていますが歌います」ということで劇場に安堵のため息が漏れました。

 

肝心のカウフマンです。 第1幕目の「ある日青空を眺めて」。 自然を讃える朗々とした歌が貴族達への鋭い批判に変わって行く変化が歌唱や演技ではっきりと読み取れ、いつもながらあっという間に観客の心を引きつけてしまう人です。

 

今回は声が良く響き、昨年ミュンヘンオペラフェスティバル最終日にシェニエを歌った時より調子が良いように思えました。 彼の声は特に中声部が充実しバリトンの様な深みと響きを増しています。 一方高音はいつもの様に輝かしくスピントテノールそのものでした。 第3幕「私は兵士だった」、 第4幕の「5月の晴れた日の様に」もまことにエモーショナルで盛大な拍手とブラボーを貰っていました。

 

カウフマンは映画俳優並みの芝居上手です。 シェニエの心の変化や感情を肩や手の動き、体のちょっとしたひねり、顔の表情で表現し、それが歌唱のうまさと相まって素晴らしい効果を上げています。 彼は自分が歌っていないときも絶えず演技を続けているのでずっと観ていても見飽きないです。

 

ただ双眼鏡を持つ私の手の方が疲れて見続けられないのが残念です。 しかしまあこれだけ演技に集中できるということは自分の喉を信頼し、かつ歌唱技術に完璧な自信を持っているのでしょう。 ある評論家は「彼は自分が表現しようと考える通りに歌う。 難しいと思っても失敗を恐れない。」という様な事を書いていましたが、それは一流のオペラ歌手でも滅多にないことです。

 

調子が悪いと言われたハルテロスですが、第1幕始めの方の弱音が出にくかったかな、と感じられた程度で後はいつもの素晴らしいハルテロスでした。 当然ながら第3幕の「亡くなった母が」は強弱自在に声を操って革命時の悲惨な体験をドラマティックに語ります。 このアリアが終わった後も盛大な長い拍手でした。

 

二人の二重唱も圧巻でした。 第2幕の“Ora Soave”。 カウフマンはいつもの様に最難関高音部分、出だしの“O “を弱音で始めました。 対するハルテロスも二重唱の後半に出てくる難関高音部分“Ora Soave” をこれまた極上のピアニシモで歌い始め、そのレガートな歌いぶりといい、二人相まってため息の出るうまさでした。 勿論終幕の二重唱も感動的でした。

 

最後にフロンターリです。 彼はとても声の良い人です。 第3幕の「祖国を裏切る者」は朗々と美しく歌われました。 もう少しドラマティックに歌った方が好きという方がいらっしゃるかも知れませんが、これはこれで良かったです。

 

評論で「オーケストラの音が大きすぎる」と批評を受けていたアルミリアートですが、今回オーケストラが爆音出し過ぎと思ったのは一箇所だけでした。

 

最初から最後まで観客は盛大で長い拍手をおくっていました。 ちなみに、私の隣に座っていたマダムもカウフマンファンだったようで、「彼の声は滑らかで深くてすばらしい。 それに顔もいいでしょ」「私達はウイーンに住んでいてこんな素晴らしいオペラをいつも観られるから幸運なのよ」と得意げにおっしゃっていました。

 

終演後オペラ座を出たところで、予想外の雷と稲光に強雨。 ホテルがすぐ近くだったので走りましたが結構ぬれました。着物だったら悲惨だったでしょう。

 

もう一つ。 ウイーンに着いた翌日、歌劇場の広告をぼんやりと見ていたら劇場から走り出てきたカウフマンと鉢合わせしました。 思わず "Kaufmann?" と声をかけたら "Yes"と答えてくれましたが、すぐ道路の横断歩道でない箇所を脱兎の如く突っ切って駆け抜けて行きました。 唖然。  (2018.5.5. wrote)

 

 追記:アンドレア・シェニエの説明が「iltrovatoreのオペラ解説」「アンドレア・シェニエおよび歴史テノールソプラノバリトン編)に出ています。

 

ウイーン国立歌劇場「アンドレア・シェニエ」 ストリーミング 2020.6.5

 

上の鑑賞記に書いてありますように、私はこの上演をウイーンで見ています。が、、、歌劇場ではよほど前の席でない限り歌手の細かい動きも顔の表情もわかりませんし、前の座席に巨大な男性が座ったらそもそも舞台が全く見られないという悲劇に見舞われたりします。

 

それに比べたらビデオは視界が遮られないし、歌手さんの演技もよくわかるという利点があります。確かに客席で視聴する時に感じる歌手の声の響きや観客が創り出す独特の雰囲気は味わえませんが、これはこれで楽しいです。

 

というわけで今回も大いに楽しみました。主役三人はそれぞれうまい!引き込まれます。しかも三人すべて声、容姿含めキャラクターのイメージに合っている。 ハルテロスが歌う第2幕の“Ora Soave”もやっぱりうまかったし、「亡くなった母が」も引き込まれたし、フロンターリの「国を裏切る者」も演技を含めて良かったし。

 

あれ、肝心のカウフマンのことを書いていませんね。よほど調子悪い時を除き彼は大体うまいので、私の耳の方が彼の声と歌唱 (interpretation) に慣れてしまっているのですね。

 

ストリーミングの場合、確かに画面に引きつけられるのですが、一方舞台以外のことを思い浮かべる余裕もあるのです。今回は第3幕、盲目の老女マデリンが自分の孫の少年を兵士にしてください、とジェラードたちに少年を差し出すシーンでふと思い出しました。

 

アンデルセンの「絵のない絵本」第5夜(童心社)。本当に短い文章です。フランス革命の時代、貧民階級の老婆の話です。老婆の孫の少年は「フランス王の玉座で死ぬ」という輝かしい予言を受けていたのですが、少年兵になった彼は革命を戦い瀕死の重傷を負って予言の通りフランス王の玉座の上で死んだのです。老婆は孫が死んだ場所をなんとしても見たくて、いくつもの困難を押してやっとその玉座を見に行ったというストーリです。

 

岩崎ちひろさんの挿絵で、杖をついた貧しい老婆が玉座に近寄ってゆくところ、少年兵が玉座の上で死んでゆく場面が印象的に描かれています。

 

フランス革命時代の貧しい老婆と少年兵の話はどちらも私の心を揺さぶります。 (2020.6.5 wrote)