ドニゼッティ「連隊の娘」"Ah! mes amis! Juan Diego Flórezによる輝かしいハイC
オペラの華と言ったら、実はソプラノではなくテノールかもしれません。テノールの高音にはソプラノの高音にない魔力が潜んでいます。それはワクワク感。素晴らしい高音に期待はするが一方で失敗するかもしれないというスリルに満ちたワクワク感です。まるでスポーツ競技を見ているような感覚です。
人々は「連隊の娘」のトニオが軽々と繰り出す(ように聞こえる)有名な九回連続ハイC(上の動画)や 「トゥーランドット」の二重唱で放たれるカラフの強く輝かしいハイCを待ち望みます。
しかしハイCを歌うテノールは大変です。
プラチド・ドミンゴはヨナス・カウフマンとのダブルインタビューで「テノールは安全ネットをつけないまま綱渡りをするサーカス芸人みたいなものさ!」1と言っています。ホセ・カレラスも同様なことを喋っていますし、ルチアーノ・パヴァロッティは「ハイCが怖くないというテノールは嘘つきだ。」2 とまで言っています。
テノールのハイCは成功すれば満場の喝采を得られるものの、失敗すれば歌手生命をも失いかねない危うさをはらみます。
テノールの歴史
オペラが生まれた当時16〜17世紀の頃、オペラで基本的に重要な旋律を歌うのはテノールだったそうです3。
しかしカストラートが出現しその圧倒的な声でオペラ界に君臨すると(参考、オタク記事の映画とオペラ「カストラート」)、パッサージョより高い音を主にファルセットでしか歌えないテノールの人気は無くなってしまいます。英雄的、恋人的な主役はカストラートに持ってゆかれ、テノールは脇役に甘んじなければなりませんでした。
ただしカストラートが人気だったのは主にイタリアで、フランス人は彼らを嫌っていました。またドイツ・イギリスの場合カストラートはさほど使われていなかったようです。
とはいえ、高音をファルセットで歌うのはテノールにとってある意味自然で比較的楽ですから(テノールさんごめんなさい)主役にはなれなくても喉に大きな負荷はかからず平和に歌っていたのでしょうね。
しかし倫理的な理由で去勢が容認されなくなった19世紀に入るとカストラートは急速に減少しテノールが見直されてきます。そこに現れてきたのがテノールのGilbert Dubrey (ジルベール・デュプレ)です。1831年彼はロッシーニ作曲の「ギヨーム・テル」に出てくるハイCを実声(ファルセットでない声という意味で使っています)で歌い大喝采を浴びました。
File:GilbertDuprez.jpg
Illegible - Louis Huart, Charles Philipon, Galerie de la presse, de la littérature et des beaux-arts, Paris, Aubert, vol. 1, 1839.
Drawing of Gilbert Duprez (1806-1896), French tenor
作曲者のロッシーニは当時のテノールが出す柔らかいファルセットの高音が好みだったらしく、デュプレの声を「鶏が首を切られるときに出すような声だ」と嫌いました。しかし聴衆はその思いを無視しデュプレが出す実声の高音に熱狂しました。デュプレは声の革命者となったのです。ロッシーニは「ギヨーム・テル」を最後にオペラの作曲を止めています。
ちなみに高音を実声で歌う新しい発声スタイルを創り出したデュプレは短いキャリアの後、おそらく無理に歌い過ぎたため声を失ったそうです3。
そもそもデュプレの発声スタイルはテノールにとって人工的な歌い方でその技術を習得するのは難しいのです。このやり方で歌わなければならなくなった当時のテノールたちにとってはえらい災難ではなかったでしょうか。
しかしヴェルディの時代になると高音を実声で出す歌い方がテノールの主流となりカストラートに奪われていた英雄役や情熱的な恋人役がテノールに回ってきました。ワーグナーの時代になるとテノールにはさらに英雄的で強い声が要求されるようになります。
一方オーケストラの編成も大規模になってきます。ちなみにモーツアルトの時代は40人またはそれ以下の編成でしたが、ヴェルディになると60人編成、そしてワーグナーになるとなんと110人編成にもなるそうです2。
となると、ヴェルディやワーグナー、ヴェリズモオペラを歌うテノールはこの大編成のオーケストラと張り合いオーケストラを突き抜ける声を作らなくてはなりません。声に共鳴や響きを十分に付けなければ聴衆に声が届かないからです。
やれやれテノールにとってひどく迷惑な事態になりました。ハイCのような高音を実声で出す技術を習得しなければいけない上にさらに声自体も大きく、響きと共鳴をつけなければならないのですから。
そして、、、19世紀の終わりになると歴史上最高のテノールと言われるエンリコ・カルーゾーが現れます。彼は並外れた声を持っていました。充実した暗めの中低音と輝かしい高音を駆使して強く美しく、そしてなんとも魅惑的な歌いぶりで聴衆を圧倒します。
"Celeste Aida" Enrico Caruso
彼は最初の現代的テノールと考えられていて、彼の歌い方はその後のテノールのお手本となりました。テノールは力強く輝かしい高音を実声で響かせねばならず、さらに演目によっては充実した中低音も要求されるようになったのです。テノールを歌うのはえらく骨の折れる仕事になりました。それなのに現代のテノールにはさらなる重荷がのしかかるのです。
現代のテノールに降りかかるさらなる難題
それはベルカントオペラの再興隆です。ロッシーニ、ベッリーニ、ドニゼッティに代表されるベルカントオペラではアジリタを駆使し超高音を連発する超絶技巧がよく用いられます。しかしヴェルディやワーグナー、そしてヴェリズモオペラが人気になると、ベルカントオペラは下火となりあまり上演されなくなっていました。それはテノールにとってベルカントオペラの超絶技巧に習熟する必要性がさほどなくなったことを意味します。
実際ロッシーニの「セヴィリアの理髪師」アルマヴィーヴァ伯爵の最後の大アリアなどテノールにはむつかしすぎると歌われなくなってしまったくらいです。
そこに現れたのがファン・ディエゴ・フローレスやチェチリア・バルトリその他の天才達。彼らは素晴らしい声に加えて超絶技術を持ち、一旦は忘れ去られた超難度のベルカントオペラやバロックオペラを軽々と歌いこなしてそれらの魅力を人々に再認識させました。
彼らの活躍や「ロッシーニルネッサンス」(ロッシーニの再評価) の機運そのほか諸々が相まって、ベルカントオペラは再び頻繁に上演されるようになりました。それは聴衆にとっては素晴らしいことです。しかしテノール達にとってみれば超絶技術を身につけないと良い役をゲットするのが難しくなるということを意味します、、、
ということで、ヴェリズモやワーグナーを歌うテノールは力強く輝かしいハイCを出すのに苦労し、ベルカントオペラを歌うテノールは高音頻出の難しいアジリタを実声で歌う高度な技術の習得に悩まされることになりました。
テノール達のストレスは如何許りでしょう。
実際「黄金のトランペット」の声を持つデル・モナコは神経質なまでに声を気にかけ来日した時は首にマフラーを巻き部屋に籠もっていたとか、緊張のあまり舞台に出ることができず奥方が気付のウイスキーを飲ませて舞台に出した4とか言われています。
また現役当時一世を風靡したフランコ・コレルリはストレスとプレッシャーに苛まれ「・・・僕は疲労困憊している、休息が必要だ、しかし眠れない・・・公演がよければ嬉しくて眠れない、もしよくなければ絶望で眠れない。人生とはなんだろう、これは囚人の生活だ。」5と、声自体は全く問題ないのに54歳の若さで早々と引退しました。
いやはや、テノールはなんとも大変な仕事。輝かしく美しい高音を得るために彼らは今も涙ぐましい努力を重ねているのです。
次回は具体的にテノールのハイC(または超高音)が要求されるオペラのキャラクターを見てみます。
参考資料
1:"Domingo und Kaufmann: Wir sind Zirkusartisten ohne Netz", Profil 2013.7.9
2:BBC "Antonio Pappano's Classical Voices 2 Tenor"
3:"The Rise of the Tenor Voice" by S.Jocoy
4:マリオ・デル・モナコ フリー百科事典「ウィキペディア」 2021.5.17(月)18:57
5:"The greatest Tenors" Opera Now, 2021 p29
(2021.08.27 wrote) おたく記事に戻る。
テノールの高音を響かせるオペラのキャラクター、実演編
ベルカント系オペラ
ベルカントオペラは明るく軽い声のテノールが歌うことが多いです。有名なのはドニゼッティ「連隊の娘」で9回(アンコールがあると18回)繰り返されるハイCを歌うトニオ役がよく知られています。しかしそれよりさらに難しい役もあります。
例えばロッシーニ作曲「マチルデ・ディ・シャブラン」に登場する人物、コルラディーノ役です。アジリタとハイCなどの高音を連発する非常に難しい役で、歌いこなせるテノールがあまりいないためなかなか上演されなかったのです。
このオペラは1996年にぺーザロで復活上演されたのですが公演直前この役を歌うテノールがダウン。急遽代役として選ばれたのが若きJuan Diego Flórezです(当時23歳)6。無名な彼はチョイ役を歌うためにペーザロに行ったのですがコルラディーノ役を見事に歌って大評判となり一躍有名になりました(その時の録音はこちら)。
「10年後にはこの歌劇場で歌ってみたい」とペーザロに行く前に旅行者としてスカラ座を見学しに行った彼ですが、その年のうちになんと自身がスカラ座の舞台に立って歌うことになりました6。
その他にもロッシーニ作曲「ギヨーム・テル」のアルノルド役にはハイCのみならずそれより高音のハイC#、そして沢山のBとB♭があり、その難しさから「テノールの墓場」と言うニックネームがついています7。さらにベッリーニ作曲「清教徒」のアルトゥーロ役にはなんとハイFまで出てきます。(あまりに高音なので音を下げて歌われることが多い)。
フローレスが歌う「ギヨーム・テル」アルノルドの極難アリア ""Asile héréditaire.. Amis, amis !"
ヴェルディ、ワーグナー、ヴェリズモオペラ系
ヴェルディ以降テノールの役には英雄的な強く重い声が求められるようになりました。充実した中低音と輝かしい高音を出さねばなりません。しかし重く強い声質でハイCを出すのは非常に難しいためテノールがハイCを出すオペラは減りました。が全く無くなったわけではありません。例えば、
「トゥーランドット」第2幕。トゥーランドットとの息詰まる二重唱の中で彼女とユニゾンで出さねばならぬカラフのハイCはトゥーランドットのハイCに負けてはなりません。力強くフォルテッシモで出さなければならないし、二重唱だから半音下げできません。第3幕で歌う「誰も寝てはならぬ」での最高音ハイHも大変ですけれど私的にはこの二重唱でのハイCの方が辛いのではないかと想像しています。(参考:オペラ解説「トゥーランドット」)
Birgit Nilsson と Franco Corelliの歌の競い合い。カラフがトゥーランドットと一緒にハイCを出すのはこの動画の最後の部分(5:15から)。
フランスオペラ
フランスオペラにもテノール泣かせのアリアがあります。例えば、「ファウスト」第3幕に出てくるファウストのアリア「この清らかな住まい」。曲の雰囲気として最後に出てくるハイCは柔らかく出すのが良いのですが、それは超高難度でほとんどのテノールはフォルテでハイCを出します。(昔々若かりしカウフマンはこのハイCを柔らかいmfからディミニュエンドしてピアノで歌えてたけれど…この動画1:01:30くらいから)
Michael Spyres が歌う「この清らかな住まい」。これだけ美しくムラなく超高音を歌えるテノールはあまりいない。
ちなみにフランスオペラの場合テノールの歌う音域が全体的に高く、高音はミックスボイスと言う歌い方で歌うことが多いようです。だけれどこの歌い方も習得が難しい(参考:おたく記事「発声の話」の中の「ミックスボイス」)。
テノールの苦難はまだまだ続く
ただでさえ高音を出すのが大変なテノールですが、厄介なことにオリジナルの楽譜に書かれた音程より高い音を出すのが慣習となったテノールアリアがいくつもあり、テノールにとってさらなる苦役となっています。
元々ハイCではなかったのだが、慣習的にハイCを求められるようになった典型例といえばヴェルディ「イル・トロバトーレ」第3幕最後のマンリーコのアリア “Di quella pira l’orrendo foco” 「見よ、恐ろしい炎を」でしょう。私が以前オペラ解説に書いたこのオペラの解説を一部分転載しますと、
これは非常に問題のある歌で、最後の高音(ハイC)は元々の譜面にはなく(本来はG)、歌唱を劇的に盛り上げるために勝手に音を上げて歌っているのである。しかしマンリーコは本来重い声を持つテノールが歌う役なのでそのような歌手がハイCを出すのは難しい。
そこでこの歌全体を半音または全音下げ、更に歌手にとって負担の重い繰り返し部分を省いて歌う事が多い。要するにヴェルディの構想を殆ど無視するのが慣例となっている。しかしこの様に変えてさえテノールにとって非常に難しいアリアである。
ヨナス・カウフマンが歌う「見よ、恐ろしい炎を」。カウフマンは繰り返しを歌った後、最後を高音(ただし半音下げ)で締めくくっている。
これに似た例は他にもあります。例えばビゼーの「真珠採り」第1幕で歌われるナディールのアリア「耳に残るは君の歌声」。元々高音域を柔らかく歌う箇所が多い難しいアリアなのです。特にハイCを優しく歌う最後の繰り返しの一節 "charmant souvenir"はオリジナルの楽譜には存在しなかった一節ですけれどテノールのみなさんは頑張って歌いますね。この部分を完全なファルセットで歌うテノールもいます。ちなみにこのアリアを歌うカルーゾーの録音が残っていますが、調べた限り全音または半音下げて歌ってます。
ドイツ人のリリックテノール、ダニエル・ベーレの歌う「耳に残るは君の歌声」。全体を優しく歌っています。最後のものすごく難しい一節を優しくppで完璧に歌っていてナティールの想いが心にジ〜ンと染み入ります。彼は弱音を効果的に使える人ですね。「コジ・ファン・トゥッテ」の歌うのが案外難しい"Un'aura amorosa"なども優しく歌います。
比較として同じアリア、最後の一節は繰り返しません。その代わりにオーケストラが主旋律を奏でています。昔の録音。フランス人テノールAlain Vanzoは優しい歌い方。最後はナディールの想いが波間に消えてゆく感じで風情があります。(Youtubeに入ってお聴きください)。
デュプレがお節介にも新たな発声法を創出したために以降のテノールはえらい迷惑を被っているわけです(笑)。さらに加えて、フローレスなどによって一時忘れさられていたベルカントオペラが人気になってきたのもテノールにとっては迷惑千万。彼らのおかげでテノールは超絶アジリタ技巧を駆使しした高音頻発アリアを歌わざるをえなくなりました。ほんと、ほんとに大変だわ。
でもそれゆえにテノールは舞台の花形となったのです。危険と隣り合わせのアクロバティックなハイC、そのハイCに観衆は熱狂するのです。
参考資料
1:"Domingo und Kaufmann: Wir sind Zirkusartisten ohne Netz", Profil 2013.7.9
2:BBC "Antonio Pappano's Classical Voices 2 Tenor"
3:"The Rise of the Tenor Voice" by S.Jocoy
4:マリオ・デル・モナコ フリー百科事典「ウィキペディア」 2021.5.17(月)18:57
5:"The greatest Tenors" OperaNow, 2021 p29
6:Classic Talk with Bing & Dennis: Juan Diego Flórez Part 2(ものすごく面白いインタビューです)
7:"10 contre-ut à décorner les bœufs", Forumopera 2020.11.25
(2021.9.3 wrote) おたく記事に戻る